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2013/05/04

叢書 宗教とソーシャル・キャピタル 編者たちに聞く

『アジアの宗教とソーシャル・キャピタル』 櫻井義秀/濱田陽(編集) 
『地域社会を作る宗教』  大谷栄一/藤本頼生(編集) 
『ケアとしての宗教』 葛西賢太/板井正斉(編集) 
『震災復興と宗教』  稲場圭信/黒崎浩行(編集) 、明石書店、2012-2013年


表紙写真も印象的な4冊。
 
 











どんなシリーズですか?

司会:明石書店より、叢書「宗教とソーシャル・キャピタル」全4巻が刊行されました。櫻井義秀・稲場圭信のお二人が責任編集としてリーダーシップをとられ、あわせて8人の編者で制作されました。全4巻が揃ったところで、編者の皆さんにお話をうかがいました。
 
稲場:宗教は、長い歴史においてさまざまな苦に寄り添ってきました。しかし、宗教者の社会貢献活動は日本国民にはあまり認識されていません。経済・効率とは別の価値観を持つ宗教が、社会のあり方を問い、社会的力を発揮することができるのか。宗教者は、世の中の苦と諸問題に向き合っているのか。第1巻から第2巻まで、アジアの宗教において、地域社会において、繰り返し問われています。そして、第3巻ではケアの現場から宗教者が語り、第4巻では、非日常である大災害において宗教を取り上げています。
 
司会:ソーシャル・キャピタルという概念が社会貢献とつながる点について、もう少し補足頂けますか。また、このシリーズはどのような構想で始まったか、お話し頂けますか。
 
櫻井:人間は進化のプロセスにおいても、歴史においても、他者と協力すること、集団としてまとまることで多くの困難な問題を乗り越えてきました。近代は、個人の自立性/自律性や人権の確立を目指してきたわけですが、逆に、孤立したときの個人の弱さも露呈しました。医療、防災、教育、経済や政治、社会の諸問題において、社会関係こそが肝心なのです。人間と人間とが関わることで生み出されるさまざまな力やアイディア、社会的安心の効用などを今一度考え直す時代に来ているのだと思われます。
 
藤本:昨今、公益法人改革をめぐり、宗教法人の果たすべき役割、あるいは公共性、公益性を問う大きな議論もありますが、たとえば、身近な地域神社、地域寺院の取り組みの一つひとつが実は、地域の紐帯を支えていることだということをもっと量的にも質的にも押さえて発信すべきだと感じています。
 宗教者としては、神社や寺院、教会は世の中の役に立っているんだという実感があり、その前提の上で宗教の社会的活動を発信しようとするかもしれません。しかし、一般の人々の視点からの問いかけは十分でしょうか?宗教者だからできること、宗教者ならではの視点が意義を持たなければ、そっぽを向かれるかもしれません。
 
司会:近代のさまざまなしくみができあがってみると、そのあいだをなめらかにつなぐ潤滑油として、ソーシャル・キャピタルとしての宗教の働きが実に大きかったということですね。その責任を果たし、語っていく必要が、宗教者にもあると。

シリーズの出発点は?

司会:シリーズの背景となった研究会についてお話しいただけますか。共同研究を始めたきっかけや時期など。
 
稲場:2000年以降、学術大会で「宗教の社会参加」や「宗教の社会貢献」をタイトルとしたパネルを研究仲間で組みました。その研究仲間で2006年には「宗教と社会」学会の「宗教の社会貢献活動研究」プロジェクトが発足しました。20~30名が毎回全国から参加する研究会が続いています。本叢書の編者は皆、その当初からの研究仲間です。
 

各巻の内容

司会:刊行に先立って研究や発表の蓄積がすでにあるということですね。それぞれの巻を、編者に紹介いただきましょうか。

第1巻

濱田:『アジアの宗教とソーシャル・キャピタル』では、アジアの多様な宗教のなかでソーシャル・キャピタルが生まれてくる可能性がどこにあるのかを考察する上で、示唆的な事例研究が多く収録されています。
 
櫻井:伝統的なソーシャル・キャピタルには地域福祉を増進するものもあれば、阻害するものもありますので、現代的課題としては、伝統の再創造をいかにして成し遂げるかにあると思います。そうした事例が各章で展開されており、アジアの宗教文化の新しい動きを学ぶという意味でも面白いし、宗教と社会との協働と葛藤の両面にも目配りしていることが本巻の特徴と考えています。
 
濱田:総説とⅠではソーシャル・キャピタル論と宗教研究とを接合する学術的視角や主要論点、現代日本伝統仏教を対象とした計量分析研究を学ぶことができます。Ⅱ・Ⅲは、日本の協同組合を指導した賀川豊彦のキリスト教経験、日米の軍事組織と聖職者、中国のチベット系仏学院、中国・東南アジアの華人社会、イスラームとソーシャル・キャピタル、インドのヒンドゥーと社会福祉、「開発」のなかのタイ僧と斬新な事例が揃っています。さらに、コラムでロシア正教、ヨーロッパのタイ寺院、韓国キリスト教、ソロモン諸島のアングリカン教会等、最新研究のエッセンスが詰まっています。

第2巻

大谷:2巻の「地域社会と宗教」というテーマは、実証的な宗教学や宗教社会学研究の定番のテーマですが、近年はこのテーマを正面から扱った研究書は少ないと思います。また、日本社会を中心に取り扱っているので、アジアの諸地域を対象としている1巻と読み比べて、日本社会の「地域社会と宗教」の特徴がよく理解できるのではないかと思います。
 
藤本:神社やお寺の祭礼や各種の行事、あるいは路傍の石碑や祠、地蔵などの背景にあるものが何なのかなど、地域のなかで息づく宗教的なものの意味に気づくだけでも十二分に学ぶ意義があると思います。
 
大谷:2巻では多くの章で、「無縁社会」について言及されています。これは2010年初頭、NHKの造語ですが、視聴者の大きな反響を呼びました。「無縁社会」は、現代日本の家族や地域、会社に見られるつながりが薄れた「つながりのない社会」「縁のない社会」を意味します。「無縁社会」が突きつけた問題は、まさに地域社会の問題なんです。その意味で、「無縁社会」をどのように克服するか、そのために宗教が地域社会でどのような役割を果たすことができるか、そのことを個人的にはつねに意識していました。
 日本国内の地域社会の伝統的な人間関係が変化した、つながりが解体しつつあるという認識は広く共有されています。行政でも市民レベルでもさまざまな対応策が図られていますが、決定打はない現状。地域社会における人々のつながりの創造や再生を鑑み、宗教のソーシャル・キャピタル形成力は、「地域社会と宗教」の研究視角としても有効であると思います。
 
司会:第2巻は熱いですね。ローカルに根ざすソーシャル・キャピタルということ、第1巻、第2巻の共通の視点でしょう。第1巻もアジア全体に目配りしながらも、個々の事例はローカルですからね。
 第3巻と第4巻は、地域よりはテーマ主体の編集ですね。お話しください。

第3巻

葛西:この巻では、研究者ではなく多くの宗教者に書いていただいています。本格的にケアに関わっている宗教者ですから、自分を客観視もできるプロです。が、善意がそのまま受け入れられ肯定されるわけではない、という、ケアの現実もあるし、がんばりすぎれば宗教者も壊れる。ソーシャル・キャピタルを「持続可能」にするための課題を現場の宗教者に挙げていただくように心がけました。
 テーマとしては、刑務所の教誨師をする僧侶、末期患者さんのために奉仕するチャプレン、自死者やその周囲を支えようとする僧侶、里親里子制度に教団として取り組む天理教、鎮守の森での保育の可能性、という5つの章に、ユニークな視点からの鼎談とインタビューが入り、発見の多い本にできました。
 
板井:これまでの「宗教とケア」をめぐる議論は、キリスト教や仏教、新宗教の具体的なアクションを中心に論じられてきた印象を持ちます。本書では、「絆を強める」「橋を架ける」というソーシャル・キャピタルの二側面で、アクションとしては捉えにくいが、じっくりととどまって根を張る神道の特性にも光を当ててみました。本書をきっかけにして、ケアをめぐる多様な価値観の議論を深め合うことにつなげたいと考えています。ケアは、いつでも、どこでも、誰にでもかかわることですから。
 
藤本:ひとこと補足させていただくと、持続可能というのはわたしたちにも大事な視点です。社会への貢献とか、社会活動の一環として行った収益事業が、機を逸して、数年後に莫大な負債を抱え、法人そのものが破産したという事例などもあり、さらに地域からも大きな批判を受けるというケースもあると思います。

第4巻

黒崎:第4巻では、東日本大震災での宗教者・宗教団体の支援活動を追っていますが、それだけではありません。このたびは宗教者災害支援連絡会や、東北大学の「心の相談室」・「臨床宗教師」養成といった、宗教を超えた連携、宗教者と研究者との連携という新しい展開が出てきました。編者と執筆者の多くがこうした連携にコミットしています。その立場性をふまえつつ、災害支援と復興に果たす宗教の役割を問うているのが本巻の特徴です。
 
稲場:震災復興を扱った第4巻は、総論と3部11章に加えて3本のコラムからなります。叢書「宗教とソーシャル・キャピタル」の他の巻に比べると本巻は各章の統一感があまりないとも言えます。しかし、それは、本書がまさにそれぞれの復興支援の現場を扱っているからであり、また、当事者あるいは当事者に近いところにある研究者が執筆しているからです。そして、その現場での取り組みは完結したものではなく、まだ復興の途上にあります。現時点で、東日本大震災の被災地は、まだ復興への土台を築いている段階。これから年月をかけて、東日本大震災の被災地が復興した時、「震災復興と宗教」もあらためて問われるでしょう。震災復興に宗教はどのような寄与をなし得たのか。人と人をつなげたのか。ソーシャル・キャピタルの源泉となり得たのか。本巻は、そのことを問う出発点です。

宗教の社会的価値を評価する難しさ

司会:熱気が伝わってくるのはそのままに、視点を変えましょう。宗教の公的価値について、強い疑念を持ってみる論調が、現代の日本社会にはあります。宗教の社会貢献活動など偽善に過ぎないという言葉も聞かれます。また、これまで、宗教の研究では、宗教的価値観に一定の距離をとり、一つの思想や運動の事例として「客観的」に見ることを重んじてきた歴史もありますね。このシリーズは、社会にも、宗教研究の世界にも、別の可能性を提示しようとしていると思われます。デタッチメントだけでなくコミットメントも重視する研究に踏み出したわけは?
 
大谷:宗教者の「偽善」や宗教者の「自己満足」を判断するのは、一体、誰なのでしょうか?さまざまな地域のさまざまな宗教者や宗教団体、NPO団体のバラエティに富む活動は、地域社会で人々のつながりを作り上げ、作り直すはたらきをしている、あるいはしようとしている活動なのではないかと、問題提起しています。宗教のソーシャル・キャピタル形成力をどのように評価するか、事例を確認した上で、読者のみなさんに判断いただきたいと思います。
 
稲場:ある社会問題に対して、他人事として傍観者になることもできます。一人の人間として、励ましの言葉をかけることもできます。政治学や教育学には、政治や教育を通じて、よりよき社会を構築する、社会に貢献しようとする志向性があります。宗教研究でも、宗教を通じてよりよき社会を構築する、そこに関わるような研究者の姿勢が必要でしょう。これについてはアクション・リサーチとして第4巻の随所にその姿勢が読み取れるはずです。
 
櫻井:人文・社会科学においては、認識論上の問題としても社会から切り離された個別者として研究するということはありえません。どういう立場や関係のなかで、このような発言や研究活動を行っているのかということを明示しない(バイアスの方向性を正直に語らない)研究は不誠実でもあります。研究の客観性とは、研究をするものとそのアウトプットを評価する人、社会との関係性において成立するものと考えます。
 今回の叢書では、編者や執筆者は事実に即して記述し、それを論じる自分の立場を明確にしているのではないでしょうか。エッセイであっても所感を書き連ねるのではない、事実の迫力を伝えているのではないでしょうかね。それが正確に読者に伝わり、読者が自らの解釈に基づいてソーシャル・キャピタルについて考えていってくれれば、本書は学術的な中立性・客観性を示せたとみなされるのではないでしょうか。
 
濱田:偽善や自己満足にならないよう自己点検していくことは、宗教者にとっても、研究者にとっても、一般の方々にとっても等しく重要なことだと感じます。その上で、互いに批判すべきところは批判し、評価すべきところは評価できるのが、理想です。優等生的な解答になってしまいますが、試行錯誤しながら、バランス感覚をもって相互理解を深めていくことが肝要だと思います。
 
黒崎:ある方から第4巻に葉書でコメントをいただいたのですが、そこには「沈黙」の価値、「私」の慢心を離れること、ということが書かれていました。人知を超えたものごとの前に私たちはなすすべもなく黙るしかない、私がやっているのではなくさせていただくのだ、というお気持ちなのだと察せられます。その葉書に差出人の名前はありませんでした。一方、本シリーズ全体に、社会貢献活動に取り組む多くの団体名、個人名が記されています。これは事実の所在を提示するために行っているのですが、そこに成果の誇示を感じる人もいるかもしれません。
 しかし、私が出会った方々は、周りからのそうした批判を受けつつも、何らかの宗教的な内省や対峙を経てそれを乗り越えたり、それらの批判を甘受したり、批判とともにある道をとっていたりしています。その方々と私との信頼関係なしでは本も作れなかったわけですが、これは同調や予定調和ではなく、お互いの、また外からの批判や議論に開かれていることを強調させていただきます。研究者としてはまた、こうした葛藤をきちんと織り込んだ記述、分析の方法を開拓していきたいとも感じます。
 
葛西:黒崎さんのエピソードに関連して、利他と利己、偽善と心からの善意とは一線を引いて分けられないということを指摘させてください。第3巻でも触れた自助グループ運動の世界では、たとえばアルコール依存症の自助グループでいえば、自分がお酒を断ちたいという利己的な願いが他の仲間を手伝うという利他的な方向に導かれ、それが結果的に自己の安定に寄与して利己となるという循環があります。援助者治療原理という現象ですが、ソーシャルワークなどの分野ではもはや常識の考え方です。同じものが、ソーシャル・キャピタルとしての宗教を作り上げている当事者の感覚にもあります。純粋に中立した立場などあり得ないし、利他と利己は混在して立ち現れるもの、心からの善意にも一抹の引っかかりがあるもの、と見るべきだと思います。個人の行動に確実な動機を追及する現代の人間観の、一つの限界を、この話題は示していると思います。
 
櫻井:研究という視点からは、シリーズ全体で示せた、と思うことを二点確認しておきたいです。
 一つは、先にも述べたように宗教がソーシャル・キャピタルになるポテンシャルがあることを学術的に明らかにしたことです。もちろん、ソーシャル・キャピタルを形成するのは、人間社会の文化や人々の社会的活動一般ですので、宗教はその一つの領域に過ぎません。しかしながら、日本では宗教の社会形成力が正当に評価されてきませんでした。これも一つの偏り、客観性の不足といえるかもしれません。
 私は社会学者ですので、宗教の本来的なあり方や宗教的理念の優秀性といった議論は宗教者にお任せにすることにしており、現実社会における宗教の機能にのみ着目します。そして、宗教が持つ文化や社会関係を構築する力を日本社会はもっと活用すべきではないかと考えているのです。
 もう一つは、本叢書のテーマの設定やテーマの解説が、参考文献の提示を含め丁寧になされていることです。4巻とも、研究者や学生向けというよりも、現場で活動される宗教者や、宗教に距離を置いて接している市民の方にも、現代宗教を理解してもらえるようにわかりやすい記述やエッセィ・コラム・文献紹介といった工夫ができました。
 

シリーズの副産物

司会:すでにいろいろなことが議論されてきた蓄積があるのですね。語りきれないことがたくさんありそうです。出たばかりですが、本書からスピンアウトした新しい成果なんてありますか。また、これからの研究のビジョンについてもお聞かせください。
 
濱田:編集過程で宗教研究にとっては、人々の、何をめざしての信頼、ネットワーク、規範をソーシャル・キャピタルとするのか、その内実が大切だと気がつきました。この点については「あたたかい心の資本:ソーシャル・キャピタル創出の根源」(濱田陽『宗教と社会貢献』第3巻第1号、「宗教と社会貢献」研究会、2013)にまとめました。
 
稲場:現在、未来共生災害救援マップを構築中です。全国約7万件の避難所および約20万件の宗教施設のデータを集積した日本最大級の災害救援マップです。このマップは、防災の取り組みを通して、自治体、自治会、学校、NPO、寺社・教会・宗教施設による平常時からのつながり、コミュニティつくりに寄与し、災害時には救援活動の情報プラットフォームとなることを目指しています。
 行政、自治体、他の民間支援組織と宗教施設の連携の動きは、今後、益々広がっていくでしょう。しかし、災害時の協定が市町村と宗教施設で結ばれたとしても、それだけでは機能しません。日ごろからの取り組みが大切です。
 東日本大震災の被災地で緊急避難所、活動拠点として機能した宗教施設の多くが、日頃から地域社会に開かれた存在でした。宗教者が、平常時から自治体の町づくり協議会や社会福祉課、防災課と連携しているところは災害で連携の力を発揮しました。私は、研究者として、宗教者とともに防災を通した地域作りに取り組みたいと思っています。
 
櫻井:私は近年、人口減少社会における日本のあり方や、東アジア社会の急速な経済発展と価値観のゆくえといった問題を考えているのですが、ソーシャル・キャピタル(人間関係に関わる智恵や徳、協力)という文化の力こそ、将来への不安を和らげ、活力をもたらすものであると考えております。これに関連して、二点。
 私はこの叢書と『タイ上座仏教と社会的包摂』という本も同時に刊行することができました。また、今年の秋頃に拙著『カルト問題と法・公共性』という単著を北海道大学出版会から刊行する予定です。この叢書と『タイ上座仏教と社会的包摂』で、宗教とソーシャル・キャピタルにかかわる研究の視角を提示するという役割を終えることができたと考えております。今後は、個別具体的な事例研究を積み重ねることが重要だと思いますので、日本では「過疎(農村・地方)/過密地域(都市)における寺院仏教の役割」、東アジアの宗教文化研究では、「日本・中国・韓国・台湾・香港・タイのキリスト教文化」「宗教系NPOの社会活動」をこれから数年間かけて研究していく予定です。
 一方、『カルト問題と法・公共性』のカルトというのは、違法判決を受けるような独善的社会活動をなす宗教団体です。カルトを反面教師として、宗教が社会貢献するとはどういうことか、宗教がソーシャル・キャピタルになるためには、宗教団体にどのような特質がなければいけないのか、いかなる社会的条件があれば宗教者の善意が生かされるのかを考える上で、カルト研究は私にとって必要なものでした。そのアイディアは、これまで新書や編著で出し、事例研究としては『統一教会-日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、中西尋子と共著)を書いたのですが、今度の出版で、カルト問題研究の理論的総括できるのではないかと思います。日本のカルト研究にも道を拓くことになるのではないでしょうかね。
 
司会:ありがとうございます。宗教と社会とのボジティブ・ネガティブ含めたさまざまな関わりの可能性を探究して行かれるのですね。4冊もの成果を刊行したので研究会はひとくぎり、という感じではなさそうですね。
 
稲場:ええもちろん続いていますよ。2011年7月以降は、世話人の若返りをはかり「宗教と社会貢献」研究会として新体制になりました。新体制でも研究会の活気は続いており、活発な研究発表をベースに無料電子ジャーナル『宗教と社会貢献』を年2回刊行しています。本叢書の編者が皆、そのジャーナルの編集委員です。無料電子ジャーナルに無償奉仕、これも社会貢献かもしれません(笑)。
 

語り手

責任編集:櫻井義秀(北海道大学)・稲場圭信(大阪大学)
編者:板井正斉(皇學館大学)、大谷栄一(佛教大学)、葛西賢太(宗教情報センター)、黒崎浩行(國學院大学)、濱田陽(帝京大学)、藤本頼生(國學院大学)
聞き手:宗教情報センター

叢書 ソーシャル・キャピタルとしての宗教 明石書店 2012~2013年

櫻井義秀・濱田陽編   アジアの宗教とソーシャル・キャピタル
大谷栄一・藤本頼生編 地域社会をつくる宗教
葛西賢太・板井正斉編 ケアとしての宗教
稲場圭信・黒崎浩行編 震災復興と宗教
各巻本体2,500円+税