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2011/09/25

『宗教心理学概論』
金児暁嗣(監修)・松島公望・河野由実・杉山幸子・西脇良(編)ナカニシヤ出版 2011年

20110925.jpg 「実証的」な宗教心理学を包括的に

 本書は11月発売予定であるが、9月半ばの日本心理学会において先行販売された。
 本書は今田恵『宗教心理学』文川堂書店、1946年、以後、約60年ぶりに出された『宗教心理学』という(実際には、1979年に刊行された松本滋『宗教 心理学』東京大学出版会、があるが、これは、刊行に言及されているだけである)。監修の金児氏や執筆の恩田氏などのベテランを除くと、中堅世代の研究者によって書かれた、労作である。「実証的な」(統計的手法を適切に駆使した)心理学の研究が多く紹介されており、とくに,宗教について心理学的に学びたいと思う人にとっては、本文中で言及されたさまざまな指標・尺度をていねいに拾っていくことが有意義である。本書で扱われている「実証的な」宗教心理学とは、 このような、人間の態度や価値観を見るための指標の蓄積であるとも言えるからである。

 いっぽう、本書がこの「実証的な」研究に絞った(実証「主義」)ために、一般読者が「宗教心理学」に普通は期待するような現象が対象外となっている。本書のタイトルに「実証主義的」あるいは「実証的」を冠して、宗教心理学の中の本書の位置を明示した方がより内容を正確に反映できるのではないか。
 ここでは、一般読者のために、本書の位置づけについて、また本書において触れられていない現象や理論について、補足を試みたい。

一章を割くべきか、コラムで済ませるか


  「実証的な」宗教心理学として、本書で章をあてて詳述されていないテーマについては、コラムがそれをカバーする役割を担わされている。啓発的だと思われたのは、質的調査、ナラティブ(物語)の理論についてのコラムであるが、これらは「宗教心理学」と呼ばれる本ではそれぞれ一章を当てて論じるべき重要なアプローチと思われる。たとえば質的調査法におけるグラウンデッド・セオリーは、量的調査法における因子分析などに相当する、研究にあたって注目すべき因子を取り出す手法で、重要と思われるのだが、本書でそれについて評価されていないのはなぜか。質的だから実証性を欠くとはかならずしも言えないだろう。また、量的だから実証性があるのではなく、前提が偏っていれば結論はゆがめられるのだ。
 ジェンダーと宗教心理とのつながりも、紙数を費やして論じられるべきテーマであるのだが、一つのコラムで触れたことにするのは無理があろう。ジェンダーがクローズアップされる文脈を説明しないでは、ジェンダー研究への誤解を増すことにならないか。日本の宗教学におけるジェンダー研究では、たとえば、僧侶が何らかの理由で若くして亡くなられた場合、その妻や家族は寺を出なければならない(寺院は彼等の指摘財産ではなく公務員住宅や社宅のようなものだからだ)。寺族や坊守とよばれる彼女たちの意識を説明し吟味するには、 また彼女たちに目を向けるジェンダー研究の意義と可能性を理解してもらうには、こうした文脈への言及が不可欠と思うが、どうか。
 本書では研究史に一定の紙数が割かれている。先行研究の吟味は不可欠だが、この部分やや国内の古典的研究の発掘や欧米の研究誌にあるキリスト教対象の研究に偏っていると感じられる。たとえば、コラムにも寄稿している恩田彰が若い日に献身してきた禅心理学の一大プロジェクトは、禅の生理学的心理学であるが、これらにも、また、禅の心理学的研究論文を渉猟して吟味した加藤博己の研究にも、あるいは、恩田同様に健康心理学分野で瞑想や呼吸法について多くの成果を上げている春木豊の仕事にも言及してほしい。また、回心研究史を吟味してそれを伝記的研究に当てはめるとともに、イスラームにおける回心体験にも取り組んでいる徳田幸雄の研究はどうだろうか。
 松島・杉山による宗教意識調査の一覧表(56-57頁)は便利。ただし、読売新聞やNHK放送文化研究所による調査や世界価値観調査などは、しばしばメディアでも引用されているので、これらは一覧表にあげられるべきであっただろうし、これらの調査の問題点も専門家の視点から吟味されてよいのではないだろうか。
 なお、本書では学説史に触れながら、宗教心理学の「衰退」「停滞」といった言葉が散見される。評者は、宗教心理学の重要概念である回心conversionが、社会学や文化人類学において入信(入会)や改宗と訳されるべき現象として、異なる角度から新たに捉えなおされているとみえることを、日本心理学会で指摘したことがある。(「宗教学から見た宗教心理学――conversion諸研究間の没交渉」 2009.7.28、日本心理学会発表、(/files/user/activities/download/01/Psychology-of-religion20090728.pdf)。かいつまんで説明すれば、 (特に思春期の)個人心理に焦点が当てられていたconversion概念が、新宗教運動への入信(入会)における変化の過程(ここまでは本書で言及があ る)や、福音的キリスト教の布教と連動しての経済支援を得るために改宗する戦略について捉える概念へと発展しているという指摘である。関心のある向きはご参照頂きたい。

「宗教」はどこにあるか
 
 本書には、「宗教周辺」という一見風変わりなタイトルの、だが重要な指摘を行っているコラムがある。これは、宗教団体の「会員」に限定せず、その周辺に広がる宗教をめぐる言説に広く目配りしておくべき必要を指摘し て、われわれの「宗教」概念を問い直すものである。宗教学で重ねられている「宗教」概念を再吟味する諸研究は本書の視野に入っていないが、ここで暗黙の前 提とされている「宗教」や「実証的」という語の意味をあらためて問い直してはいかがだろうか。
 この点で、「宗教」が「どこ」に現れるかという視点をもってみたい。スピリチュアリティの章、また、死についての章は、宗教教団という形をとらず、宗教施設ではない場所に現れる、宗教性の検討である。前者は、アメリカで研究を進める著者らしいグローバルな視点がアドバンテージで、日本の多くのスピリチュアリティについての相互参照したような議論とは一線を画す一方、WHO憲章の1998年の健康定義改正など、日本の宗教界周辺で話題になった事柄には言及がない。また死についての章では、終末期医療に関連 して「病院に宗教家が入るのはいやだ」と考える人々のデータがあげられている(180頁)のだが、病院同様に是非検討してもらいたいのは、在宅医療の現場である。在宅医療は、相部屋環境の病室とは異なり、患者の個人的な信仰や価値観を表出できる場所であり、また、お迎え体験などがしばしば報告されている場所である。この報告には、社会学者諸岡亮介の実証的な研究がある。

クリティカル・シンキングに導く教科書として

  概説書は、基本的な立場を踏襲するだけでなく、クリティカルシンキング(吟味的思考)をも刺激するものであってほしい。本書における事例の扱い方は、詳細に吟味するにはものたりないと、評者はたびたび感じさせられた。本書17頁で言及されている、薬物による神秘的体験を検証する実験――ボストンでパーンケが行った,聖金曜日の礼拝前に幻覚性の薬物と偽薬を投与して体験を聞いた実験――同じ実験について、拙著『現代瞑想論』においても述べているので、評者の考える「詳細な吟味」について検討頂くために、以下長めであるが引用してみる。

「グッ ドフライデー実験」という、一九六○年代の米国で行われた有名な研究がある。これは、神学校の学生二○人の半分に、シロシビンという向精神薬を服用させて金曜日の教会での礼拝に出させ、どんな体験をするかを報告させるというものであった。どのような実験かはあらかじめ説明されたが、誰にシロシビンが投与されるかは教えられず、実験を施行する側もわからないようにして、反応に影響を及ぼしてしまうことを防いだ(二重盲検)。残り半分には身体に若干の変化が知覚されるビタミン剤を、対照実験として与えた。
 ボストン大学のチャペルの金曜日の礼拝に出た二○名のうち、ビタミン剤を与えられた者の半数が先に、身体に不思議な感触を覚える。自分こそ薬物を投与されていたのだと思い込み、これが薬物の体験かと感じながら周囲の反応を確認する。ところが少し遅れて、それまで反応がなかった者たちが、祭壇上のキャンドルの光がとても輝かしく見える、などの体験を急に、報告しはじめた。
 ビタミン剤で先に反応をした側は、期待のあまり過剰に反応してしまったことを恥じ、またがっかりしながら、周囲の者たちの反応を聞いた。
 この調査では、シロシビンを与えられた者の神秘体験率がはるかに高かったが、同時にビタミン剤を与えられた者も、期待のあまり、それなりに神秘的な感覚を味わっていたのである。そして、二○年後に別の研究者が、このときの被験者の大半にインタビューを行った際、シロシビン投与群と対照実験群の両者の多くが、これを忘れられない体験として語っていたのである。
 薬物体験においてはセットとセッティング(本人の準備度と環境要因)が重要である。たとえばセッティング(環境要因)としては、先述のアイソレーションタンクと大学のチャペルとを比較すれば、その違いは明らかだろう。そして宗教心理学着ウルフは、この実験に対する二○名の参加者全員(神学生!)の大きな期待が、環境要因に影響を及ぼしていると指摘する。薬物の体験に過剰に期待したために、シロシビン投与群も対照実験群も同じように強い反応を示してしまい、対照実験〔ある薬剤の効果を計るために、比較対象として、効き目のない物質を代わりに服用させた人も用意すること〕としては無効になってしまった。しかしここからはからずも明らかになるのは、本人の期待(セット)が薬物の作用と並んで重要だったということである。その後、薬物による実験は論議を呼び、それ以降はほぼ行うことができなくなっているようだ。
  評者は、概論書において事例を詳細に扱う紙数がないことを著者として体験的にも知っている。どのような研究や事例を集中的に採り上げるかは、執筆者の心理学観を問われることであろう。何かを採り上げない理由を明示することは、建設的行為でもある。本書においても、松本滋の『宗教心理学』は、文献リストには挙げられているものの、本文中では参照が一度、また、「宗教学的宗教心理学」の一例として表中にあげられるのみで、内容の吟味や批判には本文が当てられていないのが、評者には気になっている。

 「実証的な」宗教心理学は、独学で学ぶのは難しいだろう。大学で「実証的な」心理学の手法を学んだ教員に教わる、という方法以外には、なかなか難しいのではないか。本書はその「実証的」宗教心理学の貴重な概説書である。
 精力的につくられた概説書ではあるが、一方で、読者が「宗教心理学概論」というタイトルの本に期待するものとはズレがあることも、評者としては強調しておきたい。そのため、講義されるにあたっては、ぜひ上述の注文を取り込んで、「実証的な宗教心理学」と、実践的な「宗教心理学」との間を埋めることを検討頂きたい。また、事例の詳細を採り上げるのと同様、宗教文化士認定試験などの最近の動きも押さえることを提案したい。

 (研究員 葛西賢太)