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2011/07/20

『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』
ニコラス・ウェイド(著)/依田卓巳(訳)NTT出版 2011年4月 2800円(税別)


 人類が誕生してから5万年。歴史を遡っても宗教が存在し、世界中のどこを見渡しても宗教がある。人類にとって、宗教行動があたかも遺伝子に刻まれた本能 であるかのように。ここから、英国生まれの科学ジャーナリストである著者は、“宗教は集団を結束させる働きを持ち、その集団の生存に役立った”すなわち “宗教は適応行動であり、自然淘汰で発生した”という進化論の立場に則って、宗教行動の起源と発展を紐解いていく。

 最近の大規模な研究によれば、“宗教に対する態度と実践にはある程度、遺伝的要素が影響している”が、宗教行動を支える遺伝子はまだ特定されていない。ということで、宗教が進化した過程を間接的に考察するのだが、説得材料として提示される事例は広範囲にわたっている。チンパンジーが示す共感行動、道徳的な感受性が損なわれる遺伝性の神経変性疾患、集団全体に利益を与える遺伝子のほうが一般化するという「集団選択説」など生物学に基づく話もあれば、太古の狩猟採集社会を今に受け継ぐアボリジニの宗教やアンダマン諸島民の舞踏など文化人類学の観点からの知見もある。音楽や舞踏が果たす宗教的な役割、考古学の見地から検証したキリスト教やイスラム教の実像、宗教と戦闘、宗教が経済や人口調整にもたらす効用までと話は縦横無尽に広がり、著者の守備範囲の広さに瞠目する。
 ただし、宗教を「霊的存在への信仰」(E・タイラー)や「無限なるものをとらえる能力」(M・ミュラー)などと考える人にとっては、違和感をやや覚えるかもしれない。全体を通して、宗教を社会システムや共通の信念体系として捉える姿勢が前面に出すぎていると思われるからである。本書は「宗教はまず第一に、観念のシステムである。個人はそれによって自分が所属する社会を想像し、自分と社会との不明瞭ながら親密な関係について考える」(『宗教生活の原初形態』岩波文庫)というE・デュルケムによる宗教観に依拠している。神や霊的存在は夢やトランス状態の産物であるとされ、あまり尊厳が置かれていないように感じられる。
 キリスト教やイスラム教の形成過程についても、人間が意図的に宗教を“創りだした”という記述がなされている。イエスによる草創期から大きく変容を遂げたキリスト教の形成過程、そして「ムハンマドはいなかった」かもしれないイスラム教の形成についての驚くべき仮説は、これらの宗教が普遍宗教として成功した秘訣を明らかにするものとなっていて興味深い。が、三大一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教ばかりが言及され、仏教やヒンドゥー教はほとんど取り上げられていない点に物足りなさを感じる。文章の端々に西洋中心主義、特にキリスト教優位の思想がにじみ出ているのも気になる。宗教が集団にとって利益になるという自説に引き寄せすぎるところもあり、「宗教なしで長期にわたって存続した社会はない」とソビエト連邦の崩壊を例に挙げるのは強引だろう。
 だが、時空を横断して宗教を考察した本書には、現代の宗教が直面する課題に答えるヒントが詰まっている。著者によれば、宗教は狩猟採集社会において超自然的存在による懲罰システムとして誕生した。宗教は集団の結束力を高め、メンバー内に寄食者が発生するのを防ぎ、他集団に対する戦闘力を高めることができ、その集団の存続にとって利益になったという。9.11の米国同時多発テロ以降よく耳にする「宗教が戦争や紛争の原因だ」という指摘について、著者は「正義と防衛のための戦争に宗教が貢献していることは肯定的に受け止められるべきだろう」と述べる。これには異論も出そうだが、「宗教は変容させて強硬政策にも平和政策にも役立てることができる」という意見ならば、どうだろうか。
 宗教関係者ならば気になる「宗教が本能的なものであり、進化への適応だとするならばなぜ宗教が低迷し始めたのか、どうすればよいのか」という疑問についても、著者は最終章で明確に応えている。三大一神教についての答えではあるが、宗教の「世俗化が進んでいるのは宗教が聖典という枠のなかにとどまり、人々の信頼を失いつつあるからだ」と分析する。宗教にとって欠かせない知識は「神学ではない」。必要なのは、進化の観点から見て社会の存続にもっとも役立ちそうな、ある3つのことに関する実際的なルールであると具体的に述べている。おそらく、これについてはどの宗教も共通であろう(3つの詳細は伏せておくので、興味のある方は、ぜひ本書を読んでいただきたい)。そして、宗教指導者は宗教をより現代に合った形態に作り替えていくべきであると提案している。デュルケムが示したように宗教は社会的な機能をもち、社会のニーズにいくらでも適応できるという。この「宗教の未来」と題する最終章に至ると、それまで述べられてきた様々な事柄が1つにつながり、一気に視界が開けた気分になるだろう。

 (宗教情報センター研究員 藤山 みどり)