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2010/08/26

『トーラーの名において』
ヤコヴ・M・ラヴキン(著)/菅野賢治(訳) 平凡社 2010年4月 5670円(税込)

 イスラエルを取り巻く中東問題は、オスマン・トルコ支配下におけるアラブ人の独立を認めると同時にパレスティナにユダヤ人の居住地建設を認めたイギリスの二枚舌外交が発端とも言われる。ユダヤ側の動きを遡ると、聖書に示された<イスラエルの地(シオン)>に帰還しようとしたユダヤ人によるシオニズムの運動がある。ユダヤ人に関して否定的な言及をすると反ユダヤ監視団体などから抗議が入るため、自主規制されがちだ。日本では、ナチスによるガス室でのユダヤ人虐殺を疑問視する記事を掲載した文藝春秋発行の雑誌『マルコ・ポーロ』が1995年に廃刊に追い込まれた事件がある。だが、ここでは言わば内部告発のような形で、ユダヤの教えが説かれたトーラーを論拠として、敬虔なユダヤ教徒の立場からシオニズムさらにはイスラエル国家が否定されている。といっても机上の空論のような聖書解釈の書ではなく、ラビたちの見解や史実を織り交ぜながらシオニズムを検証する壮大な歴史書である。

 旧ソ連で生まれ、現在はカナダのモントリオール大学で歴史学の教授をしている著者が出版したフランス語の原著はベストセラーになり、すでにロシア語、アラビア語、スペイン語、ポーランド語などに翻訳され、世界各国で出版されているという。
 なぜ、これほどまでに話題になったかといえば、ユダヤ内部からシオニズム批判をしたことと、いまだ紛争が絶えない中東紛争の核心に問題提起したからではないだろうか。


 19~20世紀に高まったシオニズムはユダヤ教に基づく運動と思われている。確かにシオニズム推進派は聖書の章句を根拠に建国の正当性を主張している が、一方でユダヤ教の伝統を守る者たちは同じ章句を見て神の慈悲を読み取り、シオニズムに反対する。<イスラエルの地>が実際の土地を示すのか、それとも 象徴的な表現なのかという問題もあるが、ユダヤ教の立場から反シオニズムを唱える人々の大半は、<イスラエルの地>への帰還は神の意志によって成されるべ きものであり、イスラエル建国は神への冒涜だと主張する。また、トーラーの一部を構成するタルムード(注釈書)には、イスラエルの民が世界に離散する前に 交したという3つの誓いがある。曰く「民としての自律を獲得しないこと、たとえほかの諸々の民の許可が得られても<イスラエルの地>に大挙して組織的な帰 還を行わないこと、そして、諸々の民に盾を突かないこと」(p139)。今日のような建国の仕方が、決してユダヤ教に沿ったものではないこともわかるだろ う。シオニズムは、まさに宗教が政治に利用された運動なのである。
 第二次大戦後、建国されたイスラエルだが、実体はユダヤ教国家というにはほど 遠い。ユダヤ人のアイデンティティーはユダヤ教ではなくイスラエルという国家に属することとなり、イスラエルは脱ユダヤ教が最も進んだ場所となっている。 公用語である現代ヘブライ語は、聖書のヘブライ語を土台として宗教性を取り除いて構築された近代語であるため、現代ヘブライ語しか解さないイスラエル人 は、いまや祈祷の言葉を片言しか理解できないという。
 このようなシオニズムという反宗教的な行為、つまりトーラーの棄却が、ナチスによるショアー(大虐殺)をもたらしたと解釈するラビもいるほどだ。シオニズム運動の指導者たちが同朋の救出よりも国家建設を優先し、パレスティナ以外の国のユダヤ人受け入れを阻止したことなど、ショアーを政治的に利用してきたイスラエルには都合の悪い史実も明らかにされている。
 本書は、ユダヤ教が政治に利用された歴史をたどったものとも言える。宗教が紛争の根源にあるように見える問題であっても、背景を知悉した人が解読すれば問題の本質がこれほどにも明確になるのかと驚嘆する。
  中東紛争やエルサレムでたびたび起きる抗争も、ユダヤ教対イスラム教という構図で報道されることが多い。2001年の米国同時多発テロの後、「イスラムによるテロ」という言葉が報道記事などで多用され、イスラムの教えが暴力を促しているという誤解が蔓延した。宗教者側からの抗議などによって、その後、言葉が慎重に使われるようにはなったが、いったん一般の人々に浸透した誤解は拭い切れていないだろう。宗教対立と言われる問題は世界に多いが、本当にそうなのだろうか。それらの問題の本質を正しく把握してもらえるように、特に宗教に疎いと言われる日本の人々に読んでほしい本だ。
(宗教情報センター研究員  藤山 みどり)