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2010/07/25

『「よきサマリア人」の譬え 図像解釈からみるイエスの言葉』
細田あや子(著) 三元社 2010年4月 6720円

 仏教寺院の壁画に釈尊の前世物語や仏伝図が描かれているように、キリスト教教会の聖堂には聖書に題材を得た壁画やステンドグラスがある。そこに多くみられる題材が「よきサマリア人」の譬えである。
 著者は6年半に及ぶドイツ留学の間、欧州各地の図書館や聖堂を巡り、「よきサマリア人」の図像を集め、それらを分析した。その成果が本書である。巻末には関連する図像63点のカタログが添付されており、著者の労がしのばれる。
 「よきサマリア人」とは、新約聖書の中でイエスが隣人愛を説く譬え話である。話はこうだ。――エルサレムからエリコに向かう旅人が、強盗に襲われ、半殺しの目に逢う。そこに祭司が通りかかるが、通り過ぎていく。次にレビ人が来るが、やはり通り過ぎる。最後に来たサマリア人が旅人の傷の手当てをし、宿屋に連れていき、主人に銀貨2枚を渡して介抱を頼む。イエスは聴衆に、誰が旅人の隣人であるかと問いかける――

 この譬え話の聴衆や旅人はユダヤ人で、祭司やレビ人はユダヤ教の聖職者であるが、サマリア人はユダヤ教徒側から見ると異教徒で、敵視されていた存在である。そのサマリア人がユダヤ人を助けるという譬えで、イエスが広い隣人愛を説いたとされる。
 ところが、著者が図像を見ていくと、この譬え以上の寓意が込められたものがある。図像の伝播には、手本となった図像が増幅するという側面もあるが、それ以上に譬え話の解釈の変化が色濃く反映されるという。譬え話を図像に落とし込む段階で、作り手の新たな解釈が付加されるのだ。強盗の容姿、旅人の衣装、サマリア人の容姿や衣装などを詳しくみていくと、隣人愛を超えた信仰の世界が展開することがあるという。例えば、「よきサマリア人」の図像を借りて、“悪魔に襲われている人々を救世主イエスが救う”という話が展開されている場合もあるのだ。
 この辺り、キリスト教になじみの薄い日本人が図像を一瞥しただけではわかりにくいが、丹念に集めた資料を基に説明されると、興味が沸いてきておもしろい。細部の見方がわかれば、その図像がどのような解釈から描かれたものかがわかる。また、聖堂など多数の図像がある場所で、「よきサマリア人」の図像がどこに配置されるかといったことからも、作り手が込めた意図が浮かび上がる。
 図像は信仰を伝えるために存在するが、伝える段階で驚くほど変容してしまうことがある。逆に、多くの人が見る図像であればこそ、細かな意匠にさえも注意を払わないと、意図しない解釈をされるおそれもある。本書はキリスト教界における1つの図像の研究書であるが、宗教界に普遍的な課題「伝道のための図像の在り方」を考えさせる書物でもある。


(宗教情報センター研究員 藤山みどり)