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2011/10/21

『アラブ革命はなぜ起きたか ―デモグラフィーとデモクラシー
エマニュエル・トッド (著)/石崎晴己 (訳・解説) 藤原書店 2011年9月 2000円(税別)


 本稿を書いている2011年10月21日、テレビは「リビア全土解放、カダフィ大佐死亡」とのニュースを流している。チュニジアに端を発した革命がリビアにも飛び火し、約6カ月に及ぶ闘争ののち、42年間も独裁体制を敷いていたカダフィ政権がついに終焉を迎えた・・・・・・と。このような動きも、トッドによれば普遍的な歴史の流れとして予測できることで、主として2つの変数から導き出されることである。
 トッドは、フランスの歴史人口学者・家族人類学者である。団塊の世代ならば、「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない」で始まる『アデン アラビア』の著者ポール・ニザン(1905~1940)の孫と言えば、感慨深いものがあるかもしれない。当年60歳のトッドは、“予言者”との異名をとる。人口統計学の観点からソ連崩壊やアメリカの衰退を予測したからである。
  2007年に刊行された『文明の接近』(人口動態学者のユセフ・クルバージュとの共著)で著者は、イスラーム文明と西洋文明の衝突という構図を描いたサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』(1996年)に異を唱え、イスラーム圏のテロや暴力は近代化への過程の“移行期危機”として起きているだけで宗教とは無関係であると主張した。そして、その予言通り今回、近代化に至るアラブ革命が起きたとして、予言者としての名声をまた高めた。
 
 本書には、イスラーム・フォビアが充満していた欧米のイスラーム観に一石を投じた既刊のエッセンスが凝縮されている。原題は「Allah n’y est pour rien!(アッラーは、それには全く関係がない)」で、本欄で取り上げた意義もここにある。内容としては『文明の接近』との重複が多く目新しさはないが、改めて読むと今回の革命を大きな視点で捉えることができる。要点が絞られており、チュニジアとエジプトで革命が起きた後の2011年3月に行われたインタビューが基になっているため、対話形式で分かりやすい。巻末には訳者による平易な解説が付いて、『文明の接近』の概説書といった趣だ。
   トッドが社会変化を予測するのに用いる人口統計上の主な数値は、識字率と出生率である。近代化には「識字率が上昇し、革命が起き、出生率が低下する」という普遍的なパターンがあるという。フランス革命やロシア革命、1970年代のイラン革命も、このパターンで説明できる。いずれも近代化に至る移行期危機として起きた革命で、同質のものだという。識字率の上昇と出生率の低下が、革命つまり近代化の先行指標となると考えてもよい。ただし、アラブ圏の場合は識字率と出生率に加え、内婚(自分が属する集団の中で婚姻する)率が近代化の指標となる。内婚率の高さや石油収入がアラブ圏の近代化のブレーキ要因になっているからだ。これらの指標から説明されると、チュニジアで最初に革命が起きたことは、確かにトッドの理論にかなっている。
 トッドは、近代化にはイスラームなど宗教的な要因はあまり関係がないとして、重きを置いていない。この姿勢が、アラブ革命や独裁体制を読み解く際に、とかくイスラームを理解することから始めようとする人々と好対照を成す。例えば、アラブ圏で多く見られる父系システムはイスラームの教義以前にあった家族システムであって、アラブ圏ではむしろコーランの教義は無視されているとする。また、イスラームの権化で民主化とは隔たりがあると言われるイランについても、極めて民主的であるが外国の勢力によって民主化にブレーキを掛けられただけだという。
 しかし、宗教を頭から無視しているわけではなく、人口統計を見るうえで必要な要素としての宗教とその教義をきちんと考察したうえで、重要ではないと言っているのだ。だから、イスラーム少数派のアラウィー派の教義のように家族形態ひいては出生率に影響を及ぼすような要素は、考慮に入れている。また、宗教が人口統計に与える影響は少ない一方で、近代化の局面において見られる出生率の低下は、宗教的信仰の崩壊を示すとも明確に述べている。信仰の崩壊を示す閾値として、出生率の具体的な数値を提示するところは、トッドならではである。出生率から見ると、イランはすでに脱イスラームの局面に入っており、宗教の問題に見えるものはナショナリズムの問題であると断言している。とすると、全世界で近代化が進むなか、宗教的信仰の崩壊も時間の問題なのだろうか。
 さて、本書の原稿がまとめられた時期、リビアの情勢はまだ不透明だった。トッドは、「リビアは人口動態的には近代化している」と述べているが、この流れでカダフィ政権が崩壊するか否かまでは明言していない。予言者といっても具体的な時期まで当てるわけではないのだから、そこは仕方がないだろう。
 補足すれば、本書の刊行に合わせて9月に来日したトッドは、青山学院大学で開催されたシンポジウムで、リビアやイエメン、シリアに波及した革命の見通しを述べた。その際、北アフリカでは革命は完遂されると述べており、これについては予言が的中したと言える。また、民衆蜂起が続いているイエメンやシリアでは、革命は挫折するだろうと予測した。イエメンは識字率が低く出生率が高く、近代化の要件を満たしていない。シリアは、識字率は高いが内婚率の高さが民主化のブレーキになるという。この予言が的中するかどうか、今後の両国の動きを見守っていきたい。
 ただし、全世界と全歴史を普遍化して捉えるトッドの巨視的な見方には、異議を唱える声があるのも事実だ。シンポジウムでも複数のパネリストが、チュニジアやエジプトのように内発的に達成された革命と、外国の軍事介入によって進められたリビア革命とでは異なるのではないかとの問題提起を行った。これに対してトッドは自分の主張を繰り返し、議論が噛み合わなかった。近代化の指標を見る限り、軍事介入の有無に関わらず、リビア革命は遅かれ早かれ実現したのかもしれないが、トッドはそうとは説明しなかった。その立ち位置がユニークであるため、トッドが展開する理論については、このような細かな点で常に議論が付き物だ。  
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 なお、アラブ革命については、他にもいくつかの書籍が出ているが、そのうち『<アラブ大変動>を読む――民衆革命のゆくえ』酒井啓子編(東京外国語大学出版会/2011年8月)について触れておきたい。チュニジアとエジプトの革命の要因のミクロ分析は、ダルウィッシュ・ホサム(アジア経済研究所研究員)の「アラブ世界の新たな反体制運動の力学」という論考が参考になるだろう。
 トッドの著書との関連で言えば、飯塚正人(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授)の「イスラームと民主主義を考える」が興味深い。今回の「民主化革命」に絡めて、「民主主義とイスラームは対立する」という巷間に広まっている思い込みについて考察している。この思い込みが広まった原因を作ったハンチントンの『文明の衝突』は、『フォーリン・アフェアーズ』誌に掲載された論文が元になっているが、後日まとめられた書籍の文章を注意深く読むと、当初の主張について混乱が見られると指摘する。なお、『オリエンタリズム』で有名なエドワード・W・サイードは、著書『イスラム報道』で、思い込みが広まったのは、イスラーム諸国の非民主的な政権が「民主化できない理由としてイスラームを持ち出して説明するから」と述べているという。飯塚は「イスラームは民主主義と対立しない」という立場だが、サウディアラビアだけは例外とし、その独特な政治体制を『クルアーン』から説明している。
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 アラブ革命を機に、多くの関連書が出版されたが、これらの著作を見るとイスラームや宗教についての正しい理解が広まりそうで、うれしい限りである。

  (宗教情報センター研究員 藤山 みどり)