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宗教こぼれ話

このコーナーは、宗教情報センターに長年住みついている知恵フクロウ一家の
長老・宗ちゃんと、おちゃめな情報収集家・情ちゃん、そして、
日々面白いネタを追い求めて夜の空を徘徊するセンちゃんが、
交代で、宗教に関わるさまざまなエピソードを紹介します。


第十二回「カエルが人間に変身?!」

2011/08/22 第十二回「カエルが人間に変身?!」 

情ちゃん 先日、テレビでおもしろい行事を見ました。修験道をののしった男がワシにさらわれて奈良の金峯山のがけに置き去りにされたところ、高僧がカエルの姿に変えて救い出し、法力で人間の姿に戻したという話に由来する、平安時代から続く行事です。カエルの着ぐるみを着た男性の演じる姿が、涙ぐましかったです。この行事は新聞各紙にも掲載されていました。日本には、宗教に関する変わった行事がたくさんありますね。※1

  
   ■撮影:宗
宗ちゃん 有名な「蛙跳び」ですね。実は10年ほど前に、見に行ったことがあります。カエルが人間の姿に戻るところでは、みんな拍手でした。
センちゃん 宗教の力として法力という形で、高僧の素晴らしさをおもしろく伝える行事ですね。空海や最澄が輸入した密教にはそのような、法力が伝説として残されていますね。例えば、空海の神泉苑での雨乞いの話は天竺の無熱池に棲む善女龍王(ぜんにょりゅうおう)を勧請したことからも、ワールドワイドなとても面白いお話ですよね。科学がまだ全盛でない時代には、このような法力が当たり前であったのでしょうね。
情ちゃん 私は、この「蛙跳び」は神話化の一例だと思いました。修験道の尊さ、法力の素晴らしさを説くために、創作された話である、と。少し前、「マッカーサーを叱った男」として、白州次郎がもてはやされました。彼は、ルックスは良いけど身長はそれほど高くなかった。でも、「かっこいい」という話が膨らむうちに、身長が実際よりもかなり高いことになっていて、親族が驚いたという話があります。聖書でも同様です。個人的には、イエス=キリストの処女懐胎なども、実際に処女から生まれたのではなく、イエス=キリストの素晴らしさを伝えるために神話化されたものだと思います。ただし、聖書の記述どおりに受け取る人々もいるようですが。
宗ちゃん 聖書文献学では、処女懐胎の「処女」は、実際には若い女性という意味のヘブライ語(イザヤ書7章14節)が、「処女」という意味ももつギリシャ語に訳されたために、「処女懐胎」という理解が生じたといわれていますよ。神話化の力学はあったでしょうが、同時に翻訳による意味の変化ともいえますね。法力のすごさという話でちょっと比較したいのは、禅語の『無門関』にある「百丈野狐」の話です。大昔に間違ったことを述べたために狐の身で500回の輪廻転生を繰り返したが、百丈懐海和尚のことばに導かれて悟りをえるという話があります。これは公案なので、和尚のことばも、その後の説明も、一ひねりふたひねり聞いていて、うーんと考えさせられますよ。『無門関』は他にも、「犬に仏性がありますか」「無!」とか、猫をめぐる問答とか、ちょっとフクロウのこぼれ話では説明できないような濃ゆい話が満載です。
情ちゃん 先日、紹介した『宗教を生み出す本能』(ニコラス・ウェイド著)では、処女懐胎については、当時人気があった密儀宗教の「アッティス」という神は処女から生まれた(母親は熟したザクロを胸に入れて彼を身ごもった)とされていたこと、また、エジプトの神イシスは処女のままホルスを身ごもったとされていたこと、などが「処女懐胎」の下敷きになったのではと書かれています。イエスとマリアの聖母子像は、エジプト神話のイシスとホルスのイメージがもとになっていると、よく言われていますよね。
処女懐胎に関しては、ブッダも摩耶夫人の脇の下から生まれています。これらのことからは、何か共通の「神話化」を感じますが・・・・・・。ただ、宗ちゃんが指摘した、聖書の翻訳の問題による意味の転化については、他にもいろいろ指摘されていますね。
そういえば、北朝鮮の故・金日成主席は藁葺きの家で生まれたことになっているとか。この藁葺きの家というのは、イエス・キリストが馬小屋で生まれたことを連想させるんですね。金主席の両親はプロテスタント信者だったので、彼の思想にはキリスト教の要素が入り込んでいるらしい。
なお、法力(というのかわかりませんが)については、イエス・キリストの病人の癒しのエピソードは新約聖書に満載ですよね。らい病の人を即座に治したり、5つのパンと2匹の魚を裂いて人々に配って食べ終えたら、残ったパンのくずが12の籠にいっぱいになったり、ガリラヤ湖の水の上を歩いたり・・・・・。湖上を歩く話は、ペトロが同じように湖上を歩いたけど沈みかけて、信仰の薄さを指摘されていましたよね。ただ、「すごい力」というだけでなく、そこに信仰を考えさせるところが聖書なのだと思いました。
センちゃん キリスト教の法力の話も奇跡的ですけど、仏教の神通のお話も凄いですよね。盂蘭盆経で、目蓮尊者が地獄にいる母に食物を届ける話も、ちょっと神話的で本当なのと思ってしまいそうですけど。仏教では、このお話から廻向という供養の儀式まで誕生していますからね。イスラームでもこのような神話はあるんですか?
宗ちゃん いちおう「神話化」ではなく真摯に信じられている話として、私が好きなのは、預言者ムハンマドの「夜の旅」というお話です。イスラーム開教間もない頃、預言者ムハンマドは、それまで応援してくれていた有力な人を複数失い、おそらくたいへんつらい思いをしていた頃に、天国に行って神様に会うのです。モーセの助言で、礼拝の回数を神様と交渉して、人間に可能な5回にまとめることをお許し頂きます。私はこの交渉の話が、預言者ムハンマド、預言者モーセ、そして神アッラーの親しい距離感を物語るようで、印象深く聞きました。刺客に追われて洞窟に身を隠した預言者ムハンマドを守るために、クモが素早く巣を作り、追っ手がクモの巣を見てここにはいないと判断して難を逃れた話、など、いろいろありますよ。
情ちゃん 「夜の旅」でムハンマドを背中に乗せて天国に行ったブラークという獣の絵はイスラーム圏でよく見かけますね。人間の顔をしているけれども体は馬のようで翼があって。ギリシャ神話のペガサスみたいですが、人間の顔をしているところがユーモラス。「神話」のような話でありながら、身近に感じさせるものがありました。
参考資料
※1 産経新聞2011年7月7日 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110707/trd11070721270024-n1.htm


※1周年を迎え、次回から、「宗教こぼれ話」はリニューアルします。宗教関連サイトなどの情報をご紹介する予定です。お楽しみに。