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宗教こぼれ話
このコーナーは、宗教情報センターに長年住みついている知恵フクロウ一家の |
第九回「イスラームは猫好き、仏教は猫嫌い?」
2011/05/26 第九回「イスラームは猫好き、仏教は猫嫌い?」
イランでは、犬を飼ってはいけないという法律が国会で審議中だそうです(『サンデー毎日』2011年5月8日号)。イスラームの預言者ムハンマドが、狂犬病が流行していた当時の事情を憂慮して「健康のために犬を避けよ」と語ったことから、イランでは犬を「不浄のもの」として忌み嫌う風習が元からあったそうです。 ムハンマドの言行を記録した『サヒーフ・ムスリム』(※1)にも、犬が食器を舐めた場合は中身を捨てて食器を7度洗うことなどが書かれています。でも、猫については虐待した女性が地獄に落ちたと書かれているうえ、ムハンマドが猫好きだったという伝承もあるせいか、イスラームの国々には猫を大事にする人が多いようです。動物について、他の宗教はどう語っているのでしょうか? |
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仏教で動物の話というと、釈迦の前世についての数百の物語を収めた「ジャータカ」が面白いですよね。釈迦の前世は人間だけでなく、賢い牛だったり、キツツキだったりと、そうした経験を重ねて修行して悟りを得たというストーリーです。そこから、動物に対する敬意や生命尊重、同時に、食物として捕らえられる動物に対する共感も引き出されるのではないかと感じています。 | |
そういえば、仏教と動物はなかなか親和性が高い気がしますね。 例えば、智慧の象徴でもある文殊菩薩(もんじゅぼさつ)様は、獅子の上に乗っていますし、普賢菩薩(ふげんぼさつ)様は、六牙(ろくげ)の白象に乗っているお像をよく見ますね。どちらも、動物と菩薩の間に蓮華座があります。この蓮華=ハスに関するコスモロジーについては、今後、武澤秀一先生のエッセイでも掲載されるようですよ。 |
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獅子は「百獣の王」とも呼ばれる動物で、文殊菩薩の智恵の素晴らしさを表していますね。白象の六牙は、仏教の六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)を象徴するそうです(※2)。摩耶夫人(まやぶにん)がお釈迦様を懐妊したときに、六牙の白象が右脇から入り込む夢を見たという話もありますね。 | |
獅子と象は、お釈迦様が入滅するときにも集まりましたよね。 | |
40巻本『大般涅槃経』には、釈迦が入滅したときには竜、金翅鳥(きんじちょう/鳳凰)、象、獅子、孔雀、オウム、水牛、牛、羊、毒蛇、マムシ、サソリなどのほか、極楽に住む人面鳥身の迦陵頻伽(かりょうびんか)鳥などまで集まったと書かれています(※3)。これを典拠として涅槃図が描かれています。でも、実際には、経典通りに描かれていない涅槃図が多く、日本では猫が描かれた涅槃図もありますね。 | |
涅槃図に猫が描かれないのは、病床に就いた釈迦のために摩耶夫人が投じ、沙羅樹の枝に掛かった薬袋(本当は衣鉢袋)を取りに行ったネズミを猫が捕まえて食べたからという伝承が有力みたいですね(※4)。その他、猫が一生懸命に顔を洗っていて、お釈迦様の最後に間に合わなかったからだとか諸説があるようです(※5)。 でも、遣唐使船で中国から経典を運ぶときには、ネズミに経典がかじられないよう猫を船に積んだそうで、猫は仏教伝来に大切な役割を果たしているんですよ(※5)。 |
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『涅槃経』といえば、それまで認められていた肉食を全面的に禁止したのが『涅槃経』だそうです(※6)。仏教は動物にも優しいから肉食禁止なのかなぁと思っていたけど、初期の仏教では禁止されていなかったんですね。浄・不浄を強調するヒンドゥー文化が浸透するようになった4世紀から6世紀にかけて成立した大乗経典で肉食を禁止するようになったとか(※6)。とはいっても、現代の日本では僧侶も仏教徒も肉を食べる人が多いですよね。明治5年に「僧侶の蓄髪・妻帯・肉食及び法要外での平服着用」を許可する太政官布告が出されている(※7)けれども、肉食をするのは戒律のとらえ方の違いもあるのかもしれません。この辺はまた別の機会に・・・・・・。 ところで、同志社大学で神学を専攻した元外交官の佐藤優は、仏教とキリスト教における動物に対する考え方について、次のようなことを述べています(※8)。 仏教的な世界観では人間も動物も平等。痛みを感じることを他者にしてはいけないという考え方に基づいて、動物は食べてはいけないという発想がある。そこで、動物は痛みを感じるけど、植物は痛みを感じないから食べてもよいとされた。一方、キリスト教は、人間は神に息を吹き込まれて創られた唯一の動物であるという特権的な地位にあるため、他の動物を食べることができる。 |
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仏教って動物にすごく優しいですね。ところで、キリスト教の国々が捕鯨や鯨を食べることに反対するのは、キリスト教に由来するという説があるみたいですが、どうなのでしょうか? | |
米国人ジャーナリストのバーリット・セービンが捕鯨に関して『朝日新聞』に寄稿したエッセイ(※9)を読むと、日本では鯨が伝統的な食文化の一部であったのに対し、「西洋では鯨は神の創作物だった。旧約聖書の創世記には、『神は巨大な鯨を創造された』と書かれている。また神の手先であったことも、旧約聖書のヨナ書に記されている。神に逆らったヨナは海に投げ込まれ、大きな魚(鯨)にのみ込まれたのだ」と書いています。キリスト教圏では、鯨は神聖なものと受け止められているようですね。 ですが、日本でポピュラーな新共同訳の聖書(※10)では、創世記1章21節には「水に群がるもの、すなわち大きな怪物」、ヨナ書2章1節には「巨大な魚」と書かれていて、「鯨」とは書かれていません。とはいえ、聖書にもいろいろな原典がありますし、原語が意味するものについては多くの解釈があります。「大きな怪物」を「大きな鯨」や「大海蛇」(※11)とするものもあるようで、私が調べた範囲では真相はわかりませんでした。他にも、捕鯨反対の理由を聖書と結び付ける説がいろいろあるみたいですけど。 でも、キリスト教国といっても、昔はアメリカもイギリスも捕鯨をしていましたし、ノルウェーは現在も捕鯨をしているので、反対理由としては説得力に欠けるような気がします。 |
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私は、○○教が動物に優しいとか厳しいとかいうことはなかなか一般的には言いにくいと思います。イスラームでいうところのハラール肉は、動物を殺害するときに最も苦痛のない方法で、聖なる言葉を唱えながら屠殺を行ったものです。催事において動物を犠牲にして食することは残酷なのか、日常的に肉を食べていて手は汚さない社会の人間が残酷なのかは、ちょっと決めがたいですよね。他の動物の生命をいただいていることには自覚的でありたいと思いますが。 | |
ちょっと、アイヌ民族のイヨマンテ(クマの霊送り)を思い出しました。イヨマンテは、クマを「人間の世界に姿を変えてやってきた神」と位置づけているアイヌの人々が、大切に育てたクマの魂を天に返すことで感謝の気持ちを表し、再び人間の世界に恵みがもたらされることを願う儀式です。2年ほど大切に飼った子グマを生け捕りにして食べることから1955年に北海道が「野蛮な行為」だとして禁止通達を出しましたが、2007年に撤回されました(※12)。イヨマンテはアイヌ文化にとっては重要な祭礼で、クマをいじめるわけではなく、むしろ食べ物となった動物への感謝を捧げるものなんですよね。ですが、文化の違いで、野蛮と受け止められてしまいました。 | |
この話をしていたら、東大の死生学COEから出た『人と動物の死生学――犬や猫との共生、そして動物倫理』(※13)という本が目に止まりました。ペットブームが続く一方で動物虐待がなくならないという問題を指摘し、感情論ではなく、豊富なデータに基づいて、動物の屠殺と菜食主義、動物実験についての倫理学的考察、盲導犬などの人間の身体機能の一部をサポートしてくれる不可欠な存在とレストランや公共機関の対応、高齢者やトラウマを負った人の心の癒しを担うアニマルコンパニオンとの共存など、かなり網羅的にこのテーマを扱っています。 ペットの葬儀の在り方については、宗教情報センターのサイトにも過去に記事(「現代のとむらい――ペット葬儀考」)がありましたね。 ペットという形で関われる動物はほんの一部で、「害虫」のように隔離されたり殺虫されたりする動物、人間に食される家畜などとの関係を問う議論が、倫理学者ピーター・シンガーなどによって「動物の権利」論として検討されました。「アニマルライツ」と呼ばれるときはもう少し過激な運動で、サーカスや動物病院などを攻撃の対象としたりしていますね。 |
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動物を大切にすることには賛成だけど、そこまでいくと、ちょっと困るわね・・・。 |
参考資料
※ 1 『日訳サヒーフ ムスリム』磯崎定基、飯盛嘉助、小笠原良治訳(日本ムスリム協会)1987年
※ 2 『仏像なぜなぜ事典』赤根祥道ほか著(大法輪閣)1987年
※ 3 『日本の美術9』中野玄三(至文堂)1988年
※ 4 『涅槃図物語』竹林史博(大法輪閣)2011年
※ 5 『北海道新聞』2009年2月8日 「仏教伝来と猫」山本徹淨
※ 6 「不殺生の教えと現代の環境問題」岡田真美子
『人と動物の日本史』中村生雄・三浦佑之編(吉川弘文館)2009年
※ 7 『日本宗教史年表』日本宗教史年表編纂委員会編(河出書房新書)2004年
※ 8 『はじめての宗教論 右巻』佐藤優 (NHK出版生活人新書)2009年
※ 9 『朝日新聞』2008年6月27日
※10 『聖書』新共同訳(日本聖書協会)1993年
※11 「すべてはどのように始まったか:創世記1-11章」ボブ・アトリー(バイブルレッスンインターナショナル)
※12 『毎日新聞』2007年5月2日
※13 『ヒトと動物の死生学』東京大学大学院人文社会系研究科グローバルCOEプログラム
「死生学の展開と組織化」(東京大学大学院人文社会系研究科)2011年
※ 1 『日訳サヒーフ ムスリム』磯崎定基、飯盛嘉助、小笠原良治訳(日本ムスリム協会)1987年
※ 2 『仏像なぜなぜ事典』赤根祥道ほか著(大法輪閣)1987年
※ 3 『日本の美術9』中野玄三(至文堂)1988年
※ 4 『涅槃図物語』竹林史博(大法輪閣)2011年
※ 5 『北海道新聞』2009年2月8日 「仏教伝来と猫」山本徹淨
※ 6 「不殺生の教えと現代の環境問題」岡田真美子
『人と動物の日本史』中村生雄・三浦佑之編(吉川弘文館)2009年
※ 7 『日本宗教史年表』日本宗教史年表編纂委員会編(河出書房新書)2004年
※ 8 『はじめての宗教論 右巻』佐藤優 (NHK出版生活人新書)2009年
※ 9 『朝日新聞』2008年6月27日
※10 『聖書』新共同訳(日本聖書協会)1993年
※11 「すべてはどのように始まったか:創世記1-11章」ボブ・アトリー(バイブルレッスンインターナショナル)
※12 『毎日新聞』2007年5月2日
※13 『ヒトと動物の死生学』東京大学大学院人文社会系研究科グローバルCOEプログラム
「死生学の展開と組織化」(東京大学大学院人文社会系研究科)2011年