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テレビ番組ガイド・レビュー

日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。

先日、日蓮宗のイベントで「法界定印(ほっかいじょういん)を結んでください」と言われて印を結んだとき、真言宗と手の上下が逆なので驚きました。
真言宗の法界定印は胎蔵曼荼羅の大日如来の手印で、左の掌の上に右手の甲を重ね、両手の親指の先を付くか付かないかに合わせます。でも、同じ法界定印といっても、日蓮宗や曹洞宗、臨済宗などでは、右手の上に左手を重ねるんですね。臨済宗の坐禅では、法界定印だけでなく、右手を左手で包むように握る結手などいくつかの形があるようですが。どうして、同じ法界定印でも手の組み方に違いがあるのでしょうか?

日蓮宗の法界定印
「~1日15分からはじめる~ はじめての唱題行」

https://www.nichiren.or.jp/information/shuumuin/20200522-4965/
(動画より)

__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__日蓮は、延暦寺を中心に高野山や仁和寺、三井寺(園城寺)など多くの寺で学び、天台大師智顗から伝教大師最澄に伝わった法華教学の正統な継承者として日蓮宗を開いており、『天台小止観』の影響がうかがえます。
一方、栄西と道元は延暦寺で学んだのち、宋に渡って禅を学びました。彼らには『禅苑清規』が強い影響を与えました。こうして、臨済宗や曹洞宗、日蓮宗でも右手の上に左手を置く形になったと考えられます。
ですが、道元の『普勧坐禅儀』を含めて、いずれの書物でも、手の組み方の説明に「法界定印」という言葉は用いていません。
ちなみに、天台宗から10世紀に分裂した三井寺の坐禅(止観)は、『天台小止観』に依拠しているとしつつ、少し異なります。同寺では、祖師・智証大師円珍と同じ姿勢で坐禅をします。お手本は、秘仏である智証大師坐像(国宝)です。
写真のように、左手の上に右手を重ねますが、左右の親指の先を合わせません。この手印は、少しでも心の乱れや眠気があると保つことができなくなるので、祖師が苦行する姿を伝えているのだそうです。坐り方は、右足だけを重ねる半跏趺坐です。この坐法も、智証大師像に倣ったものです。

▲天台寺門宗総本山園城寺 三井寺「三井寺体験コースのご案内 座禅(止観)体験」よりhttp://www.shiga-miidera.or.jp/taiken/zazen/
 

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田上先生によれば、中国の智顗が「右手の上に左手を置く」としたのは、『禅秘要法経』や『請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経』などに、「右手の上に左手を置く」と書かれていたことも一因です。智顗は、後者の注釈を書いた『請観世音経疏』のなかで、世俗の習慣や中国の陰陽思想などから、その理由を説明しているそうです。動相である陽なる右手を、静相である左手で制圧して、心を統一しなければならない、ということのようです。

「右手の上に左手を置く」ことについては、日蓮宗現代宗教研究所嘱託の影山教俊先生も、やはり東洋医学の観点から妥当性を説明しています。陰性の気は降下し、陽性の気は上昇する方向へ流れるので、陰性に配当される左側の手が上に位置し、陽性に配当される右側の手が下にある場合には、気の陰陽関係が成立し、気エネルギーが安定して手の末端で循環する、そうです。

__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__右手が優位だから、左手の上に置くんですね。右が優位といえば、インドでは仏塔をお参りする作法も右繞(うにょう=右回り)ですよね。
ところで、海外のサイトを見ていると、『ヨーガ事典』とは異なる説明が多いです。バイラヴィー(Bhairavi)・ムドラーは、掌を上に向けて右手の上に左手を重ねるムドラーで、左手の上に右手を重ねるバイラヴァ(Bhairava)・ムドラーの女性版だとか。右手は男性的エネルギー、左手は女性的エネルギーの象徴で、このムドラーは、両者のエネルギーや、右脳と左脳のバランスをとるそうです。『ムドラ全書』でも、バイラヴァ・ムドラは「左手の上に右手を置く」形で、主な効能は「自由と統合という真の自己の体験を支える」などと書かれています。
この2つのムドラーについては、男性はバイラヴァ・ムドラーを、女性はバイラヴィー・ムドラーをするという説もあれば、意識するエネルギーの違いで手の上下が異なるという説もあり、さまざまです。
ヨーガでは、プラーナ(気)というエネルギーがナーディー(気道)という体内の経路を流れると考えています。体の中央にスシュムナー、その右側にピンガラー(太陽の気道)、左側にイダー(月の気道)というナーディーが通っているとされ、右側が陽で男性性、左側が陰で女性性とされています。
インドで「左手の上に右手を重ねる」形だったのは、このような医学生理学的な理由があるのではないのでしょうか?
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残念ですね。研究が進むといろいろな発見がありそうなのに……。

ところで、インドでは「左手の上に右手を置く」のが一般的だったのに、なぜ、中国で「右手の上に左手を置く」ように変わったのですか?

__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__この手印は瞑想(禅定)するときのものなので、禅定印とも呼ばれています。
駒澤大学の田上太秀・名誉教授は、『禅の思想』で坐禅の作法を遡っています。

中国(南北朝~隋)の天台宗の祖である天台大師智顗(ちぎ、538~597)は、坐禅の指導書『天台小止観』で、「半跏趺坐ならば左足を右足の上に置く、結跏趺坐ならば半跏趺坐の時に下になっている右足を持ち上げて左足の上に置く(=左足の上に右足を重ねて置く)。右手の上に左手を置き、手を重ねて相対する」と記しています。この『天台小止観』は、後世に大きな影響を与えました。
禅宗の清規(集団生活規則)としては現存最古とされる『禅苑清規(ぜんねんしんぎ/ぜんえんしんぎ)』は、中国(宋)の慈覚大師長蘆宗賾(ちょうろそうさく、生没年不詳)が編纂して1103年に完成しました。このなかの「坐禅儀」の作法は、『天台小止観』とは結跏趺坐の足の組み方が逆です。「結跏趺坐をする。まず右足を左腿の上におき、左足を右腿の上に置く(=右足の上に左足を重ねて置く)。半跏趺坐も可で、左足で右足をおさえる。次に右手を左足の上に置き、右手の上に左手を置く」。さらに「両手の親指の頭を互いに支えるように合わせる」と、現在の法界定印の形が示されています。
曹洞宗の宗祖・道元の『普勧坐禅儀』は、「坐禅儀」の作法を踏襲しています。手足とも「右の上に左を置く」形です。
 

▲曹洞宗の法界定印
曹洞宗北信越管区教化センター「坐禅の作法」より
https://soto-hse.jp/recommend/manner.html

__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__臨済宗を開いた栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮には、天台宗総本山比叡山延暦寺で学んだという共通点がありますね。
 __RCMS_CONTENT_BOUNDARY__天台宗第5世座主だった智証大師を祖とする天台寺門宗総本山三井寺では、「左手の上に右手」なんですね。混乱してきました。そういえば、智証大師は中国(唐)で密教を学び、台密(天台宗の密教)の基礎を築いています。「左手の上に右手」を置いている像は、密教の胎蔵大日如来の印を結んでいるのでしょうか。__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__

事実関係は定かではありませんが、親指を突き合わせない点も独特ですから、密教との関連は薄いかもしれません。大師自身が体得された形なのでしょうか。 
また、先ほど述べたように、道元は「右手の上に左手を置く」と指南しましたが、曹洞宗大本山永平寺の承陽殿や誕生寺(京都)に安置されている道元の像は「左手の上に右手を置く」手印を結んでいるそうです。田上先生によれば、この例をはじめとして、日本の寺院の仏像の坐相や手印は定まっていないそうです。
これに対して、仏教発祥の地インドやスリランカ、タイの仏像の多くは、禅定のときに左手の上に右手をのせています。しかも五本の指はまっすぐです。また、仏像をみると「左足の上に右足を重ねて置く」坐法が一般的だったようで、「坐禅儀」や道元の坐法とは異なります。

滋賀県のMIHO MUSEUMに所蔵されているガンダーラから出土した2~3世紀の禅定印仏坐像[1]も、指をそろえて左手の上に右手を重ねています。足は衣に隠れていてよくわかりませんが。

ガンダーラの仏像からもわかるように、法界定印と似た手印は古くからあります。
インドでは中国とは異なり、「左手の上に右手を置く」形が一般的です。
仏教が中国に伝わったあとに、「左手の上に右手を置く」から「右手の上に左手を置く」形に変わったと考えられます。真言宗も中国を経て日本に伝わりましたが、密教で大切な手印は変わりませんでした。

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どちらが組みやすいかは、人それぞれです。左右どちらの手を上にするのかなど、形にはとらわれないほうがよいのではないでしょうか。余計なとらわれを捨てて止観の実践をするのが悟りへの近道です。さぁ、いっしょに印を結んで坐りましょう。

あれっ? 情ちゃんは足を組めないのですか?

現代では、椅子の生活に慣れた人が多くなっていますから、臨済宗や曹洞宗でも「椅子坐禅」を紹介していますし、日蓮宗でも初心者向けに椅子に座っての行を動画で紹介しています。椅子を持ってきますから、待っててくださいね。

(文責・藤山みどり)

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「左遷」が閑職への異動を意味するのに、中国の影響を受けた日本で「左大臣」のほうが「右大臣」より上位であったなど、中国では時代によって左右のどちらが上位かも変わっているから、単純に考えないほうがよいのでしょうか。

不変的なことと言えば、大多数の人は右利きですよね。そのため右腕のほうが長く、力も強い。右腕が長いとすれば、『天台小止観』や「坐禅儀」のように、右手を下にするほうが安定するのではないでしょうか。

また、ある実験では、3分の2の被験者が、足を組むときに右足を左足の上にのせたそうです。そうであるならば、右足を左足の上に重ねるインド伝来の結跏趺坐のほうが安定しそうです。

__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__インドから直に伝わったチベット仏教や、スリランカやタイで盛んな南伝の上座部仏教の僧侶は、真言宗の僧侶と同じように左手の上に右手を重ねますよね。__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__真言宗もチベット仏教も密教です。密教で正式に印を説いたのは、6世紀に漢訳された「牟梨曼陀羅呪経(むりまんだらじゅきょう)」です。密教では、法界定印は胎蔵の大日如来の手印です。右手の五指は仏世界の五大(地・水・火・風・空)、左手の五指は衆生世界の五大を表し、2つを重ねて仏と衆生が不二一体であることを示します。
それまで五指をそろえて両手を重ねていたのが、密教で胎児が母胎内にあるような半円形になり、現在に伝わる法界定印の原点となりました。一般的な法界定印は、左手の上に右手を置いて、両手の親指を向かい合わせて先端を付ける形です。田上先生は、「いまに伝わる法界定印の手印は、密教に始まると考えてよいだろう」と述べています。
__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__右が仏というのは、天台宗で合掌するときの心の持ち方と共通ですね。「右の手で仏様、左の手を自分とみて、仏と自分が一体になった」と観念します。
ところで、インドでの伝統的な足の組み方は、どうだったのでしょうか?

 __RCMS_CONTENT_BOUNDARY__中国の慧琳(えりん、737~820)が著した『一切経音義』(「一切経(大蔵経)」の語の発音や意味を記した書)には、坐り方に降魔坐と吉祥坐の2つがあると書かれているそうです。吉祥坐は、左足の上に右足を重ねて置き、左手の上に右手を置きます。降魔坐は、これと左右が逆です。「吉祥坐は悟った後で降魔坐は悟る前の姿」という人もいますが、そのような記述は見当たらないそうです。
吉祥坐はインド伝来の伝統的な坐り方で、「坐禅儀」の坐法は降魔坐と同じです。
__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__この吉祥坐は、ヨーガの吉祥坐とは違いますね。いくつかの型があるようですが、『ヨーガ事典』[2]によれば、吉祥坐は仏教の結跏趺坐に似た形で両足を重ねて組み、両足のつま先を反対側の腿とふくらはぎの間に入れます。この足の形が「卍」に似ているため、スヴァスティカ(「吉祥の印・卍」)・アーサナという名称になったそうです。手は、チン・ムドラーかジニャーナ・ムドラーをします。
ムドラー(ムドラ)とは手印のことで、『ムドラ全書』[3]によると、古代インドの聖者の瞑想状態の現れとして生まれ、5~15世紀の間に現在の形に発展したそうです。

チン・ムドラーは、左右それぞれの手で親指と人差し指で輪を作り、他の指は軽く離して伸ばし、掌を上に向けて膝の上に置きます。この形で掌を下に向けるのがジニャーナ・ムドラーです。
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仏教は、古代インドの坐法を取り入れていますから、その伝統も見てみましょう。古代インド人が瞑想(坐禅)をした記録は紀元前3千年に遡ります。紀元前250年ごろに書かれた『シュヴェーター・シュヴァタラ・ウパニシャッド』では姿勢や呼吸法に触れているだけです。ヨーガ学派の根本聖典『ヨーガ・スートラ』(紀元5世紀ごろ)にも「坐り方は、安定した、快適なものでなければならない」[4]としか書かれていません。この『ヨーガ・スートラ』の現存最古の註釈書が『ヨーガ・バーシャ』(6~7世紀)です。蓮華坐、吉祥坐など11の坐法の名称が見られますが、やはり詳細は記されていません。
現代まで伝わるヨーガには多くの流派がありますが、『ヨーガ事典』を見ると、ヨーガの蓮華坐(パドマ・アーサナ)は仏教の結跏趺坐と同じ坐法で、上にする足は左右いずれの場合もあります。ただし、インドの仏像は左足の上に右足を重ねるのに対して、ヨーガでは右足の上に左足を重ねて坐る場合が多いそうです。そして、「手は膝の上に置くか、チン・ムドラーかジニャーナ・ムドラーをする。あるいは、両方の手のひらを上に向け、右手を上にして重ねて、身体の前面に置きバイラヴィー・ムドラーをする」と説明されています。
『ヨーガ事典』によると、バイラヴィー・ムドラーは「手のひらを上に向けて重ねる」形ですから、インドやスリランカ、タイの像と同じですね。さらに、「このとき、通常インドでは左手(不浄の手)の上に右手を置く」と書かれています。
田上先生が、インドの仏像が「左手の上に右手を置く」理由について、「インド人は左手を不浄の手と考えていることから、清浄な右手で不浄な手を圧すると考えられる」と述べているのと通じます。

インドでは、左手は用の後始末に用いられることなどもあって不浄とされます。ですが、インドの「浄・不浄」の観念は、衛生面の汚れではなく、いのちや共同体、身分秩序を乱すようなことを問題視しているのです。だから、異なるカーストの人がともに食事をすることなども、不浄とされます。

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左右のどちらが陰か陽かというのも、諸説あるようですね。それに、陰陽も、そう単純に二元論で説明できる一定のものではないようです。中国最古の医学書とされる『黄帝内経(こうていだいけい)』には、「陰陽とは仮の名称であって形に示すことはできないものである。分析すれば千変万化となる。陰の中にも陽があり、陽の中にも陰がある。さらに陰が極まって陽に転じ、陽が極まり陰に代わることもある」[6]と説かれているそうです。

 
__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__あれ? 東洋医学(中医学)では、右が陰(女性)、左が陽(男性)と聞いたことがあります。(社)日本東洋医学会のサイト[5]にも、陰は「女、右」で、陽は「男、左」と書いてありますよ。__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__

う~ん。難しくなってきましたね。
『ムドラ全書』には、「左手の上に右手を重ねる」法界定印と同じ「ダルマダートゥ・ムドラ」が「瞑想において、思考と感情を受け入れ、観察するのを助ける」「身体と呼吸と五感と精神を統合する」などの効能とともに紹介されています。
また、インドで3千年以上続くアイアンカー家の末裔で、アイアンカー家秘伝の瞑想法の伝道師であり、真言宗の僧侶として伝法灌頂を受けた阿闍梨でもあるワスデーヴァ・ナイア・アイアンカー立命館アジア太平洋大学大学院客員教授は、左手の上に右手を重ね、両手の親指先端を微かに合わせる法界定印は、「坐禅は意識が覚錯していなければならないため、この法界定印は真に理に適っている」と述べています。一方、アイアンカー家の瞑想法では、法界定印のように左手の上に右手を重ねますが、両手の親指の先端は絶対に合わせないそうです。それは、「指先から気が回り、意識の集中の妨げになるから」だそうです。それぞれの手の形は、坐禅や瞑想法それぞれの目的に合致していると言えます。

ただし、ヨーガの手足の位置や角度、ムドラーが特定の精神生理学的作用を生じさせるという通説はあるものの、現在の段階では、この説を裏付ける医学研究は行われていないそうです。

">第二十八回 「法界定印」は右手が上? 左手が上?

2__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__1__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__1__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__2__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__2__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__1__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__2__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__2__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__1__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__1__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__2__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__2__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__1__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__2__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__1__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__2__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__1__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__1__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__2__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__1
キーワード
[1]  「MIHO MUSEUM」「禅定印仏坐像」
http://www.miho.or.jp/booth/html/artcon/00000391.htm
[2] 成瀬貴良編著『ヨーガ事典』BABジャパン(2010)
[3] ジョゼフ・ルペイジ、リリアン・ルペイジ著、小浜杳訳『ムドラ全書』ガイアブックス(2019)
[4] 佐保田鶴治『ヨーガ根本経典』平河出版社(1973)

[5] (社)日本東洋医学会サイト「漢方の概念 1-2 基本概念 陰陽」

http://www.jsom.or.jp/universally/examination/inyou.html

[6] 小曽戸洋・天野陽介『鍼灸の歴史――悠久の東洋医術』大修館書店(2015)



●参考資料:
  • 田上太秀『禅の思想』東京書籍(1980)
  • 関口真大訳注『天台小止観』岩波書店(1974)
  • 梶谷宗忍、柳田聖山、辻村公一『禅の語録16 信心銘 証道歌 十牛図 坐禅儀』筑摩書房(1974)*「坐禅儀」は、東洋文庫所蔵の宋版『禅念清規』による。
  • 中村宗一、中村宗淳、棚橋一晃『全訳 正法眼蔵 巻一』誠信書房(1971)
  • 番場裕之『実践『ヨーガ・スートラ』入門』春秋社(2008)
  • 佐保田鶴治『ヨーガ根本経典』平河出版社(1973)
  • ジョゼフ・ルペイジ、リリアン・ルペイジ著、小浜杳訳『ムドラ全書』ガイアブックス(2019)
  • MIHO MUSEUMサイト「禅定印仏坐像」
   http://www.miho.or.jp/booth/html/artcon/00000391.htm
  • 布教委員会編『檀信徒必携 信仰の手引』天台宗宗務庁教学部(2006)
  • 成瀬貴良『ヨーガ事典』BABジャパン (2010)
  • 本山博『本山博著作集 第三巻 現代における密教的修行―クンダリーニとチャクラ』宗教心理出版(2008)
  • サット・ビール・シン・カールサ、ロレンソ・コーエン、マッコール,ティモシー、シャーリー・テレス編、吉水淳子訳、新倉直樹日本語版監修『医療におけるヨーガ 原理と実践』ガイアブックス(2020)
  • YOGAPEDIA Bhairava Mudra(July 26, 2017)https://www.yogapedia.com/definition/6854/bhairava-mudra

  • Ease Ayurveda Bhairava mudra―Meaning,Method Of Doing,Benefits https://www.easyayurveda.com/2019/12/13/bhairava-mudra/

  • Ulrica Norberg, “Hatha Yoga: The Body's Path to Balance, Focus, and Strength” Skyhorse Publishing (2008)

  • Bhairavi (Feminine) and Bhairava (Masculine)(5月11日)https://www.facebook.com/1122wellness/

  • YOGA POINT india  bhairavi-mudrahttps://www.yogapoint.com/mudras/bhairavi-mudra.aspx

  • Arham. Detox for Body-mind-soul.BHAIRAVA MUDRA (2020年7月18日)(for balancing Ida and Pingala Nadis) https://www.facebook.com/Arham. Detox for Body-mind-soul.

  • 「ヨガで気になること 右が先?左が先?」https://apricottreeyoga.com/2020/07/13/right-left/
  • ワスデーヴァ・ナイア・アイアンカー『瞑想ヨガ 魂のやすらぎ』東洋出版(2010)
  • 橋本泰元・宮本久義・山下博司『ヒンドゥー教の事典』(2005)
  • 影山教俊「天台止観の身体観について-とくに自按摩を中心として―」『現代宗教研究(40)』日蓮宗現代宗教研究所編(2006)
  • (社)日本東洋医学会サイト「漢方の概念 1-2 基本概念 陰陽」http://www.jsom.or.jp/universally/examination/inyou.html
  • 小曽戸洋・天野陽介『鍼灸の歴史――悠久の東洋医術』大修館書店(2015)
  • HenriBrunner著、柳井浩訳『右?左?のふしぎ』丸善出版(2013)