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テレビ番組ガイド・レビュー

日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。

こころの時代 シリーズ 私の戦後70年「仏性を見いだし 人を育てる」

2015/12/13 (Sun) 5:00~6:00 NHKEテレ
キーワード
仏性、教育、子ども
参考
番組公式
 今回番組では、教育者であり、僧侶でもある無着成恭氏へのインタビューが行われていた。無着氏は昭和2年、山形県山元村の隣村にある曹洞宗の寺で生まれた。長男として小学校に入る前から寺の跡継ぎとなるべく厳しく育てられ、10歳のときに得度を受ける。そして自身も、父のあとを継ぎ、寺の住職となる決意をしていたという。
 昭和20年7月、無着氏は地元の師範学校へと進む。当時の心境を「徴兵を免れるためで教師になるつもりはなかった」と振り返る。しかし敗戦後、その気持ちを一変させる出来事があった。それは教科書への「墨塗り」である。無着氏はそのとき、「子どもには本当のことを教えなくてはならない。ウソを教えてはいけないという気持ちを強く持った」という。自分の教えたことに墨を塗らせるような教育をしてはいけない。本当のことを教えたい。こうして無着氏は昭和23年21歳のとき、教師となったのである。
 
 無着氏は教師となった後、戦後民主主義教育を代表するひとつの実践を行った。それが、「山びこ学校」である。「山びこ学校」とは、生徒自身が自らの暮らしを見つめ、素朴な思いを綴った文集であり、昭和26年に出版されると同時に全国で大きな反響を生んだ。戦後、模索の中を歩んでいた日本における民主主義教育にとって、無着氏の実践はひとつの典型とされたのである。
 無着氏は、「子どもまでもが労働に駆り出され、授業を受けることさえままならない。中学生でも分数が分からず、『空腹』を『そらぱら』と読むような状況で、授業にならなかった」と当時を振り返る。そこで、「作文」を教育の基礎に持ってきたのである。自分で自分の生活を書く。そこには、子どもたちに文字を覚えさせることが重要だという考えと共に、「問題意識を持つことの大切さ」を伝えたいという無着氏の想いがあった。当時の心境を次のように語る。
 
物事を素通りしないで、問題意識を持ち続けること。(問題意識は)書くことによってそこに定着する。そうすると忘れない。よそのヒトが考えたことに左右されず、自分自身の脳みそで考えたこと、自分自身の脳みそを信じないといけない。なぜなら、それは自分が生きていたというひとつの証になるからだ。そして、そのことが自分自身にも自信をつける。他人に左右されたわけではなく、自分自身がこう考えたということが、自分自身の生き方と関わってくる。
 
 「よそのヒトが考えたことに左右されず、自分自身で考えたこと、自分自身の脳みそを信じないといけない」という無着氏の言葉からは、戦時下における日本教育への反省が見て取れる。また、無着氏は「どういう先生が正しい師なのか」という質問に対して、「わからない」と答えた。なぜなら、「何が正しいかは自分の生き方の問題と関わってくる」からである。したがって、「何が正しいかは自分で決定しなくてはならない。誰を信じるのかと言ったら、先生ではなくて、自分の脳みそを信じるしかない」とコメントした。
 そして、「山びこ学校」の作文ひとつひとつには、「人間の暮らし方、人間というもの」が表現されていると無着氏は語る。無着氏はインタビューの中で、「一切衆生悉有仏性」という言葉を紹介しながら、「すべての現象のなかに仏の本質がある」ことを指摘した。したがって、「一人ひとりの生徒のなかにも仏性がある。その仏性をいかに掘り出すか。それが自分の任務だという気持ちが教師になったときからあった」と語る。無着氏は、「山びこ学校」という実践によって、生徒自身に自らの暮らしを見つめさせ、それを言葉にさせていくという作業を通して、一人ひとりの中にある「仏性」を掘り出すことを目指していたのかもしれない。
 
 しかしその後、学校教育の現場は時代のうねりに翻弄されていく。昭和36年には、全国一斉学力調査が実施され、受験競争や知識の詰め込み、点数至上主義が世の中の風潮となった。そして、昭和40~50年代には、学校や家庭での暴力、いじめ、登校拒否など今日にまで至る新たな問題に直面していった。
 こうした中で無着氏は、点数が絶対視される世の中に限界を感じ、昭和58年に学校教育の現場から身を引いた。そして小さな寺の住職となり、子どもたちだけではなく、大人や社会にも向けて、人間の生き方とはどのようなものなのか問うてきた。
 子どもたちを取り巻く社会が変化していく中でいま、教師たちにも生徒たちとどう向き合っていくべきなのかが問い直されている。生徒一人ひとりに、自分を見つめ、自分で考え、そして自分で決断していくことの大切さを伝え、そしてまた生徒の心の中にある仏性を掘り出していくために、その生徒の中にある本質的なものを育てることこそが、教師の使命であると考えてきた無着氏。その信念から、今日の教育現場が学ぶべきところは多いであろう。