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日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。

NHKスペシャル「二つの遷宮 伊勢と出雲のミステリー」

2014/01/04 (Sat) 22:00~22:50 NHK総合
キーワード
遷宮、伊勢神宮、出雲大社、天照大神、大国主神
参考
番組公式
 NHK Eテレで放送された本番組では、伊勢神宮と出雲大社の関係を歴史的観点から考察するという試みがなされていた。
 昨年、伊勢と出雲で遷宮が行われた。天皇家の祖先とされる「天照大神」を祀る伊勢神宮。そして、米作りをひろめ、豊かな国を作り上げた「大国主神」を祀る出雲大社。本レビューでは、(1)伊勢神宮における遷宮の歴史とその意義、(2)古代史からひも解く伊勢と出雲の関係、という2つの観点から番組内容を振り返ってゆく。

(1)伊勢神宮における遷宮の歴史とその意義

 20年に一度行われる伊勢の遷宮。天照大神が祀られている正宮を丸ごと建て替えるこの遷宮は1300年にわたって繰り返されてきた。
 伊勢の遷宮の最古の記録は7世紀末、持統天皇がヤマト王権を率いていた時代にまで遡る。当時、国外では唐と新羅が強大な勢力を誇り、防衛強化が迫られていた。さらに、国内では壬申の乱など皇位継承をめぐる争いが続いていた。
 新谷尚紀(國學院大學教授)は、持統天皇が遷宮をおこなった背景には「皇位継承をめぐる混乱をしずめ、国をひとつにまとめるねらいがあった」と説明する。
 日本は「壬申の乱のあと、ひとつの統一国家を求められる国際情勢」にあった。しかし、「皇位継承がはっきりしないようでは国のもとが定まらない」。そのため、「しっかりとした国家の根幹」を築き、国の権威を人々に示すために行われたのが遷宮だったのである。
 そして、それ以降、戦争等による中断はあったものの、遷宮は20年に一度行われてきた。その理由について林一馬(長崎総合科学大学教授)は、「国の権威の象徴である天照の社を、常に若々しく保つためだった」と述べる。伊勢神宮は「天皇を中心とする国家の一つのモニュメント」として造形された。したがって、遷宮には、それを建て替え、常に新しく保つことによって、国がもつ「権威」やその「永遠性」を人々に誇示する狙いがあったのである。

(2)古代史からひも解く伊勢と出雲の関係

 番組の後半では、伊勢神宮と出雲大社には思わぬ接点があることが明らかにされた。その発見の舞台となったのは、ヤマト王権の初期の拠点であったと考えられている奈良盆地の纒向遺跡(まきむくいせき)である。ここでかつての王宮の跡とみられる巨大な遺構が出土したのである。建物の復元に取り組んだ黒田龍二(神戸大学准教授)は、大きな建物がいくつかの異なる様式で建てられていることがわかってきたと述べる。
 黒田の検証によると、現場には、少なくとも3棟の建物が50mにわたって立ち並んでいて、真ん中の建物の造りは伊勢神宮正殿に、そして、そこから6m離れたところにある最も大きな建物の造りは出雲大社本殿に類似しているという。
 纒向遺跡はヤマト王権の遺跡であるため、伊勢神宮に似た建物があってもおかしくはない。しかし、なぜ出雲大社に類似した建物があるのか。そこで黒田は「纒向遺跡のこの建物が、出雲大社の建築様式のもとになったのではないか」という新しい見方を提示する。では、なぜヤマト王権で生まれた建築様式が、出雲大社で生かされることになったのか。
 その謎を説くひとつの手がかりが、伊勢の神・天照と出雲の神・大国主がそろって登場する「国譲り」の神話である。「国譲り」は、天照が孫であるニニギを地上に降臨させる前、使者を出雲の国へと送り、大国主が支配する地上の国を譲るように迫るという物語である。
 この国譲りに際して、天照の使者が大国主にある交換条件を提示したことが「日本書紀」によって伝えられている。それは、「地上の国を天照の子孫が治めるかわりに大国主には神事(人のちからの及ばない世界)をうけもってほしい」という提案である。そして、「そうすれば天に届くほど高い神殿を大国主につくりましょう」と申し出たのである。この提案に大国主は納得し、両者は折り合った。
 時は流れて平成12年、日本書紀のこの記述を裏付けるかのような発見があった。天に届くほど高い神殿の痕跡が出雲大社境内で発掘されたのである。かつての本殿の跡とみられる巨大な三本柱。出土した柱などをもとに本殿を復元すると、その高さは48mにも達したと推定される。
 日本書紀に登場する大国主のための神殿。そして、建築様式が出雲大社本殿と類似し、初期のヤマト王権の拠点――纒向遺跡に存在したとされる巨大な建物。以上でみてきたことより、「ヤマト王権が出雲に巨大な社を建設するためにその技術を提供した」という見方が成立するのである。
 
*    *    *    *    *

 天照の子孫は地上の国を、大国主は人の力が及ばない神事の世界を支配した。伊勢と出雲の神々は役割を分担し、共存する道を選んだのである。伊勢神宮と出雲大社、二つの遷宮。そこには古代日本の「対立」から「共存」への物語が秘められていたのである。