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日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。

こころの時代~宗教・人生~「仏を彫るということ」

2012/11/25 (Sun) 05:00~06:00 NHK Eテレ
キーワード
仏像、仏師、仏教美術、截金、江里康慧、江里佐代子
参考
番組公式
 各界を代表する人物にインタビューし、その人の人生観に迫る番組。今回は、京都で半世紀に渡り約1000体もの仏像を彫り続けてきた仏師、江里康慧氏にインタビューする。江里氏が半生の中で強く影響を受けた仏像、人物などについて語っていく。
 学生時代、父・宗平氏が仏師でありながら、江里氏は仏師を志そうとはしなかった。気持ちに変化が起きたのは、高校時代のある日、上野の国立博物館を訪ねたときだ。ガラスケースの中に展示されていた阿弥陀如来像(快慶作・唐招提寺西方院蔵)を見て、「身震いをする感覚に襲われた」という。それ以後、快慶に魅せられ、快慶作の仏像が所蔵されている寺院をほぼ全て訪ね歩いた。
 その後、高校卒業を間近に控えた頃、江里氏は仏師・松久朋林氏のもとで、大阪四天王寺仁王像の制作を手伝うこととなる。江里氏は制作を手伝う傍ら、休日に寺院や博物館へ仏像を見に行く兄弟子達の後をついて行き、兄弟子達の仏像談義に耳を傾けた。そのような経験は仏像に対する思いを深めていくきっかけとなったという。9ヶ月後、仁王像が完成した頃には、「自分にはこの道しかない」と思い、京都に戻り改めて松久氏に弟子入りした。
 京都に戻ってからも、修行の合間に博物館や寺院に足を運ぶことは欠かさなかった。様々な仏像を見た中でも、東寺・講堂の梵天坐像を見たときの衝撃は今でも忘れられない。江里氏はインタビューの中で「その像の前に来たときには、電気ショックを浴びたような気持ちだった。日本には過去に大変な文化があったのだと気づいた。(素晴らしい仏像が作られていた)その時代に近づきたいと思った」と当時の心境を語っている。
 また、梵天坐像などが彫られた平安時代までの仏像と鎌倉時代以後の仏像では大きな違いがあるという。平安時代までは僧侶の修行のひとつとして仏像を彫っていた。しかし、鎌倉時代に新しい仏教が興ると、在家の各家々に置くために多くの仏像が必要となり、仏師という職業も生まれた。江里氏は、仏像が「修行のための仏像」から、「大量に作られる仏像」へと変化していく中で、「なにかそこに薄れていってしまったものがあるのではないか」と推測している。
 江里氏は、修行中に松久氏から聞いた「仏は彫る前からすでに木の中にいらっしゃる。仏師は周りの余分な部分を払いのけるだけだ」という言葉を紹介する。その言葉を聞いた当時は、仏師の心構え程度にしか思っていなかったそうだ。しかし、松久氏が人の心を原木に例えており、「誰しも心の奥底にキラリと光るものを持っているが、その周りに欲望や煩悩があるから、人生に苦しむのだ。だからその欲望などを取り払えば大自在の世界が開けるのだと」仰っていたのだろうと、江里氏は振り返っている。
 松久氏のもとで三年間の修行を終え、江里氏は父とともに仏像を作り始めたが、仏像を作ることが重荷に感じる時期があったという。自分に人から礼拝されるような仏像を作る資格があるのか、過去の仏師が修行で仏像を彫った一方で、仕事で仏像を彫っている自分への負い目があったのだという。しかし、「僧は御仏飯によって育てられている」という話を通じて、自分の心を深くほりさげると、念仏を心の底から唱えることができるようになり、同時に平安時代以前の仏像がなぜ崇高なものが多いのか分かったという。
 江里佐代子氏(江里康慧氏夫人)は截(きり)金(がね)(細く切った金箔を仏像に貼りつけ荘厳する伝統技法を継承した人物で、2007年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。佐代子氏が截金を施す姿を江里氏は「水を得た魚のようだった」と好感を持って見守りながらも、ときに伝統的な仏像の紋様とギャップのある創作もあり、葛藤したという。番組では、江里夫妻が仏像を制作する過去の映像が映され、協力して仏像を作り上げていた様子が窺える。江里氏は「人間として完全燃焼して、逝ったなという思い」と共同作業の相方でもある佐代子氏の人生について話した。