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落語でブッダ~釈徹宗×笑福亭たまの爆笑仏教講座~(前編)

2012/08/29 (Wed) 23:00~23:25 NHK Eテレ
キーワード
仏教、釈徹宗、三毒、因果、維摩経、落語
参考
番組公式
 落語を通して笑いを交えながら、仏教の教えを紹介する。噺家の笑福亭たま氏が演じる落語と宗教学者である釈徹宗氏の解説で進行していく。
 前編である今回は、はじめに仏教と落語の関係について触れられる。そもそも仏僧は昔、人々にわかりやすく仏教を教えるため、自ら高座に上がり説法をしていたという。僧は説教を聞く人々が話に飽きている様子であれば、「忠臣蔵」など聴衆が興味を示すような内容も話したと言われ、番組はこれが現在の落語のルーツであるとしている。
 今回は「寝床」*1)という演目を取りあげる。釈氏はこの演目について「(登場人物は)みんな自分の都合なんですよね。大家は浄瑠璃を聴かせたがり、住民たちは聴きたがらないけど長屋には住みたいという」と解説した上で、古典落語によく似たお経として維摩経*2)を紹介する。
 番組内では、「維摩経」の一節にある仏陀の弟子たちが維摩居士(在家でありながら悟りの境地に達した人物)に以前説き伏せられた経験から、病を患った維摩居士への見舞いに行きたがらない様子に注目する。過去に説き伏せられたから見舞いには行きたくないという「自分の都合」を優先させる弟子たちの姿が寝床の長屋の住民たちの姿と同じだと釈氏は指摘する。そして「維摩経」や「寝床」の登場人物に見られた「自分の都合」が原因となり生まれる悩みや苦しみが現代の社会で生活する人々にも起きているという。
 番組後半では苦しみについて注目していく。苦しみは「自分の都合」が原因となり、生まれる結果であるという。さらに番組では、苦しみの原因である「自分の都合」を三毒(貪欲、瞋恚、愚痴)に置き換え、三毒について釈氏は以下のように解説している。

貪欲……「お腹いっぱいなのに食べてしまう、好物は別腹といったような、何かに突き動かされるようにものを求め、次第に自分ではコントロールできなくなって、坂道を転がり落ちて行ってしまうような欲望のことを貪欲といいます」
瞋恚……「仏教は怒りを警戒する宗教です。私たちが判断を間違えたり、失敗するときはだいたいイライラしていたり、腹が立っているときだからです」
愚癡…「欲しい物が手に入らなくて苦しいというときに、物がないから苦しいのではなく、どうしても欲しいという心が自分を苦しめている。そのことを自覚しなければ、根本的な苦しみがなくならない。それを分かっていないことを愚癡といいます 」
 
 番組最後には「近年、自分というものをしっかり持てと言われているが、一方で自分を強くする分、苦しみも強くなっていくということを知っていくことが大切なのではないか」という釈氏の言葉でまとめられている。
 
*1)寝床……古典落語の演目の一つ。浄瑠璃の下手な長屋の大家が、長屋の住民を招き浄瑠璃を行おうとする。しかし、下手な浄瑠璃を聴きたくない住民たちは「明日までかかる仕事がある」「子供が産まれそう」などの理由をつけて来たがらない。誰一人として浄瑠璃を聴きに来ないことに「明日までに全員まとめて長屋から出て行ってもらう」と大家は激怒する。長屋を追い出されては困ると住民は大家のもとへ渋々集まり、大家の下手な浄瑠璃を聴くことになる。
 
*2)維摩経……在家の長者である維摩居士が種々の方便を用いて仏弟子の偏見を破斥し、戯曲的な演出で菩薩行に向かわせる、という設定の大乗経典。維摩居士が病床に臥した折、仏陀は弟子たちに見舞いに行かせようとする。しかし仏弟子たちは以前、維摩居士にやりこめられた苦い経験から見舞うのを拒む。最終的に文殊菩薩が見舞うこととなり、維摩居士のもとを訪ねると、維摩居士が文殊に説法する。ブッダの弟子でももっとも賢いとされる文殊菩薩が、在家の維摩居士に仏教の教えを受けるところが、いったいどんな教えが語られているのだろうかと興味を引くであろう。