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テレビ番組ガイド・レビュー

日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。

NHKアーカイブス「世界文化遺産・平泉 中尊寺金色堂の輝き」

2011/07/10(日)13:50~15:00 NHK総合
キーワード
世界遺産・仏教美術・文化財保護・浄土信仰・平安時代・中尊寺・金色堂・藤原清衡
参考
番組公式
 今年6月、「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」が世界文化遺産に登録された。
 平安末期、東北を治めた藤原清衡が本拠地とした平泉には、当時10万人が暮らしたといい、寺院や庭園が配された街全体が極楽思想を表現している。今回、このことが評価され、世界遺産登録が決定した。
 番組では2000年(平成13)制作の「国宝探訪 黄金の極楽浄土 中尊寺・金色堂」を放送する。また1962年(昭和37)に行われた修復工事を取材した1968(昭和43)年の番組「よみがえる金色堂」も併せて放映する。番組ゲストは、岩手県出身で、奥州藤原氏を描いたNHK大河ドラマ「炎立つ」の原作者である作家の高橋克彦氏と、同じく岩手出身で、同作品で藤原清衡を演じた俳優の村上弘明氏。

 「国宝探訪」は、金色堂に込められた清衡の宗教的な願いを解き明かす内容となっている。番組中、弘前大学の須藤弘敏教授(仏教美術)は、金色堂の建立は、清衡がその権力にもの言わせ、自らの欲求を満たすためのものは無く、「清衡がここに眠ることによって、東北全体に宗教的な意味で力を及ぼすことを期待しての営為だったと考えられる」と話す。
 須藤教授は、清衡は戦乱をくぐり抜け覇権を握った一方で、「自分自身に大変な罪や穢れ、罪業というものを背負ってきたということを強く意識していた。こうした罪障を背負ったままで極楽に往生することは絶対不可能だった。極楽に往生できなければ、地獄に落ちるしかないことを、現実よりも強い事実として当時の人は信じていたので、なんとしてもその罪業からは救われたかった。しかし彼が背負っていた罪や穢れは彼1人のものではなかった。戦乱の中で消えていった自分の一族、あるいは自分が滅ぼしていった他の一族、そういったものを合わせて彼が背負っていたと考えられる。彼が晩年になって、自分の死というものを深刻に考えたとき、自分1人の死のみならず、自分が背負っていかなければならない様々な罪や穢れと言うものを強く意識したのだと思う」という。
 中尊寺完成時、清衡が読み上げた中尊寺建立供養願文には「蛮夷は善に帰し あに諸仏頂きの場ならざらんや(今や奥州の人々は悉く仏法に帰依した。この地を仏法に守られたみ仏の地と言わずしてなんと言おうか)」と記されている。清衡はまた、奥州を南北に繋ぐ幹線、奥大道上の中尊寺を中心とした各所に「傘卒塔婆」と呼ばれる仏塔を設置した。こうした営為からも清衡は戦の穢を払い、奥州を仏国土とすることを目指していたことがわかる。
 東北大学の入間田宣夫教授(日本中世史)は、「これまでは天皇や、京都の中枢にいる人のために、執政をするという発想だったが、清衡は、京都に擦り寄るのではなく、当時日本で一番の辺境と言われた奥州に、これまでにない新しい質の政権をつくり、京都とは違った哲学に経つ国土計画、都市計画を実行した。地方でも、自分の思いが実現できるんだと気がつき、日本で最初の大々的な実験をした。そして鎌倉の源頼朝も、それを模倣した」と話す。
 清衡の思いを実現する支えとなったのが、東北地方の金鉱山から採掘される黄金だった。東北地方には金鉱と伝わる鉱山跡が30ヵ所以上残る。清衡はこの黄金と引き替えに、宋版一切経など、数千巻に及ぶ経典を手に入れたという。また、平泉からは当時日本では造られていなかった青白磁器も多く出土している。入間田教授は「奥州の金が無ければ、日本は外国から何も輸入することが出来ず、唯一の支払い手段だった。日本の金が中国を始め東アジア世界に流通したことで、日本と言えば金、金と言えば奥州という世界的な常識が成立した。奥州の金と清衡の名前が接点になり、金色堂の噂が当時全世界に広まったことで、マルコポーロによる黄金の島ジパング、の伝説も生まれた。清衡の世界的な戦略が無ければ、ジパング伝説も蒙古襲来もなかったと思う」という。金色堂に納められていた清衡の棺からは螺鈿や琥珀を用いた工芸品と共に、未加工の金塊が発見されたといい、黄金に寄せた強い思いをうかがわせる。

 「よみがえる金色堂」では、昭和37年(1962年)から行われた金色堂の解体修理に当たった職人たちの手仕事の様子が映しだされている。金色堂に用いられている材料のなかには、現代の技術では再現不可能なものもあったという。修理のために元の金箔を削り落し、痛みの激しい部分は丸ごと作り替えなければならないこともあった。番組中のナレーションは「これは修理だろうか破壊だろうか」と、文化財に刻まれた時の流れを喪失することと隣り合わせである「修理」の意味、是非を問うている。しかし番組では、表面は黒ずみ、内部が腐った柱、虫に喰われた壁といった、現在の姿からは想像できないような金色堂の姿が映し出され、修復が急務であったことを感じさせる。そして番組は、危険を冒しても傷んだ部分を修繕する一方、最大限昔の部分を残そうとした職人たちの努力を「昭和の良心であった」と結んでいる。

 平泉は、3年前にも世界遺産に推薦されているが、登録が見送られていた。今回、東北地方を襲った未曾有の大災害から3ヶ月後の登録決定となった。7月3日に中尊寺で営まれた「世界文化遺産登録・東北復興金色堂参拝法要」に、いわき市から訪れたという男性は「(世界遺産登録を)1つの区切りとして、これを糧に頑張っていきたい」と語っていた。
 中尊寺は、震災直後から物資の援助、被災地での法要などの活動を行ってきたという。番組最後に、番組ゲストの高橋氏は今回の登録について、清衡が造ろうとした、人々が共に助け合う国、という想いや、東北の人々の魂が、850年の時を経て花開いたのではないか、と話し、村上氏は、清衡が唱えた、人と人が支え合うという浄土思想が、今被災地で実践されていることを、世界登録をきっかけに世界に発信して欲しい、と話していた。