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宗教情報PickUp
テレビ番組ガイド・レビュー
日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。
「ハートをつなごう」自死遺児<1> |
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2010/11/24(水)20:00~20:30 NHK
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現在、1年間に、3万人以上が自殺に追い込まれている。家族から自殺者が出た家の子どもたちは、心に大きな傷を抱える。親を亡くした体験と子どもたちはどう向き合っているのか。本番組では、父親を自死で亡くした、ある家族のヒストリーを追っていく。家族が、最愛の人を自死で亡くすということが、どういうことであるのか、この家族のヒストリーを追っていくことで、徐々に明らかになっていく。 10年前、あしなが育英会によって1冊の文集が発行された。『自殺って言えない 自死で遺された子ども・妻の文集』。高校生や大学生12人が、誰にも語れなかった思いを綴った。それから10年。彼らはどんな思いで生きてきたのか。ハートをつなごう「親を自殺で亡くした子どもたち」いわゆる『自死遺児』のこころに寄り添っていく。 「私の父は私が8歳のときに亡くなった。だが、つい数年前まで自分の父親が何で死ん だのか分からなかった。父の死後、10年以上も、私と私の家族は父の死のことに触れる ことはなかった」。 10年前、文集にこう綴ったのは、当時21歳だった青年。10月20日、32歳になった青年・根岸親さん(32)は、東京都が開いた自殺対策の研修会に招かれていた。今年4月から、自殺問題に取り組むNPOの職員として活動している。 父・稔雄さんは、ホテルの従業員だった。職場の人間関係に悩み、鬱病を発症。ときに家族に苛立ちをぶつけることもあった。「お父さんは怖い」幼かった根岸さんは、そう感じることもあった。 小学2年の時、学校から帰ると父親は既に亡くなっていた。享年39。「お父さんは病気で死んだ」とだけ告げられ、本当の理由を知ることはなかった。母・優子さんは、親戚と相談し、子どもたちには詳しいことは伝えないことを決めていた。子供が小中学生のときには、どう受け止めるか不安だった。そういう時期には、あまり知らせたくなかった。思春期のときに、そのことから気持ちが屈折してもかわいそうと思った。 根岸さん一家が暮らしていたのは、横浜市内のある団地。近所の人の中には、どうして稔雄さんが亡くなったのか、知っている人もいた。子どもたちの耳に、そのことを入れたくない。優子さんは、福島県にある実家へ引っ越すことに決めた。根岸さん自身も、父の死に触れたがらない母親の様子に気づいていた。お父さんのことは、あまり話さない方が良い。根岸さんはそう思うようになった。 母親の実家に引っ越して間もなく、根岸さんは自分から進んで、地元のリトルリーグに入った。何かに熱中して、父親のことを忘れよう。子供心にそう考えたという。 根岸さんが、再び父親のことと真正面から向き合うのには、10年以上の歳月が必要だった。大学生になった根岸さんは、奨学金を借りるため、親を亡くした子供を支援する、あしなが育英会と出会った。この会が毎年夏に開いている合宿。参加者が亡くなった親について語り合う集いが開かれる。どうして父親が死んだのか、根岸さんは全く知らないまま参加した。長年封印してきた思い出を語ろうとしたときのことだった。「私の父は8歳のときに亡くなり・・・」この後は、言葉にならなかった。父の死から11年経っていて、もう過ぎたことと思っていたが、いざ話し始めてみると、心の中ではそれがそのまま残っていた。 この合宿の後、根岸さんは母・優子さんに一通の手紙を出した。「お父さんのことをもっと知りたい」、と。 そして、優子さんは、その時期が来たのだということと、根岸さんが本当に知らなかったということがわかった。「もう受け止められる時期でもある」と考えた優子さんは、息子に真実を告げる決心を固めた。 高校を卒業して実家を離れて14年。根岸さんは、1年半ぶりに福島の実家に帰った。ずっと母親や弟とは離れて暮らしてきた。大学生の時以来、母親との手紙のやりとり以外では、家族で父親のことを話す機会がほとんどなかった。 事実を知った方が良かったのか、あるいは知らない方が良かったのであろうか。根岸さんはその質問に対して「知ることができて良かった」と話している。これまであえて触れることがなかった過去に対して向き合うこと、事実を知るという勇気の先には、一方で、厳しい現実を受け入れ、乗り越え生きていく強さを身につけるということがあるのでは、ないだろうか。 *翌日の11月25日に放送された第二回目の内容については、第二回目のレビューを参照ください。 |