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テレビ番組ガイド・レビュー

日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。

宮崎哲弥のトーキング・ヘッズ 

2010/10/22(金)21:00~21:55 スカイパーフェクTV
キーワード
仏教・修行
参考
番組公式
 当番組は評論家宮崎哲弥がさまざまな分野の専門家と対談する番組で今回はフォトジャーナリストの藤田庄市氏を招き、宗教の修行について話し合われた。藤田氏は写真家で、主に現代宗教、カルト、山岳信仰、民俗宗教などの宗教取材を行っている。主な著書に、行(ぎょう)によって修行者がどこにどのように導かれるのかを紹介した『行とは何か』(新潮選書)や、宗教事件の事件現場や法廷のルポである『宗教事件の内側――精神を呪縛される人々』(岩波書店)などがある。
 修行とは抽象的に言えば、「体を通して精神の高みへ行くこと」であると、また、修行における「精神の高み」とは宗教によっても異なるが、個々人の違いが大きく反映されると藤田氏は言う。宗教者の個性は、その宗教の修行の解釈の違いや、社会や人々に対する姿勢に現れるのだという。不眠不臥で水も食も断って心身を長期間極限状態に追い込むことの意味を、彼は「仏にまみえるためであり、仏にまみえることで仏と合一化し、人々を救済することである」と考えている。また、行の具体的な意味は、それだけのことをしないと身体が清浄にならないからだという。そして、行の間に実践者たちは自我が万物に対する感謝の念で包まれるのを感じるのだという。
 そのような厳しい修行をしている間に世間と乖離してしまうのではないかという懸念に対して、彼は、一度は完全に乖離してしまうが、その後に世間に戻る事が大切だという。修行によって「精神の高み」を獲得して世間に戻るので、世界がそれまでとは異なって見えるし、自分自身も他人から異なったように見られるのだそうだ。精神と身体とは不可分のものであるから、行とは「精神の高み」に近づく自己の精神を身体から生じる欲が邪魔しないようにするためのものとも考えられるという。
 また「山の行より里の行」という言葉があるように、山の中に籠もって修行するだけでなく、世間での生活も大切にしなければならないと藤田氏は考える。「宗教の世界が真実で世間は偽りだ」という考えに執われ、修行第一主義のようになっていくのは非常に危険だと警告する。修行の導師が教義を正しく理解していないと、反社会的な方向に進みかねないからだ。
 近年、会社員など一般の人々の間で、山伏修行や滝行が静かなブームとなっている。彼らはつかの間ではあるが俗世から離れ、そしてすっきりとして日常生活に戻っていく。聖と俗の間を軽やかに行き来することで、良い効用を得られているようだ。しかし、自己を精神の高みに至らせる修行は、けっして軽々しいものではなく、一歩間違えると危険であることを肝に銘じておく必要があるだろう。