文字サイズ: 標準

宗教情報PickUp

テレビ番組ガイド・レビュー

日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。

歴史秘話ヒストリア「聖なるキツネと神秘の鳥居~伏見稲荷大社の不思議な世界~」

2015/10/14 (Wed) 22:00~22:45 NHK総合
キーワード
伏見稲荷大社、千本鳥居、お稲荷さん
参考
番組公式
 今回番組で取り上げられていたのは、「お稲荷さん」とも呼ばれ、朱色の鳥居が続く「千本鳥居」でも有名な、「伏見稲荷大社」である。初詣の際には270万人もの参拝客が訪れ、その数は全国ベスト5に入るという。しかし、なぜこんなにも多くの人が伏見稲荷大社を訪れるのだろうか。それは、お稲荷さんが商売繁盛から縁結びまで、あらゆる願い事を聞き届けてくれる「万能の神様」とされているからである。本レビューでは、お稲荷さんがいかにして「万能の神様」になったのか、その理由の一端を紹介していく。
 
 まずはお稲荷さんのはじまりについて見ていこう。お稲荷さんが最初に降り立ったのは、伏見稲荷大社のある稲荷山だと言われている。番組では次のような伝説が紹介されていた。
 
 奈良時代、この地を治めていた豪族が餅(もち)を的にして矢を射ると、餅は白い鳥に変わり、山へ飛んで行った。鳥が降り立ったところを探すと、そこには豊かに実った稲穂があった。豪族はこれを「豊作の神の力に違いない」と考え、神様を祭った。それがお稲荷さんのはじまりである。
 
 こうして、人々は稲荷山のあちこちに社を建立するようになり、それらの社を巡りながら山頂を目指す「稲荷詣で」が盛んになった。また当時、きつねは山から降りてきて、田んぼを荒らすネズミなどをとってくれるありがたい存在であったことから、「田んぼを守ってくれる存在」=「お稲荷さんの使い」とされ、それぞれの社にはきつねが置かれたのである。
 
 また、伏見稲荷大社といえば、千本鳥居をはじめ、参道に多くの鳥居が建っていることで有名である。しかし、江戸時代初期、鳥居は境内の入り口にしかなかったという。では、現在の姿に変わるきっかけをつくったものは何だったのか。
 その秘密は、東京日本橋の老舗百貨店・三越にあるという。千本鳥居と三越がどのように関係しているのか。話は江戸時代中期・元禄に遡る。当時、江戸に三井越後屋と呼ばれる呉服店があった。しかしこの頃、越後屋をねたむ同業者からの嫌がらせによって、創業以来順調だった商売に陰りがみえていたのである。
 店を任せられていた創業者の二男・三井高富は、店を守る良い方法はないのか思索を巡らせていた。そしてある日、高富は街を歩いているとき思いがけぬものを目にする。それは「三囲(みめぐり)稲荷」(東京墨田区)という神社であった。

 高富が注目したのはその名前である。このとき高富は、「三井の井の字を四角で囲えば三囲になる。まるで三井を囲い、守っているようなお稲荷さんだ」と感じたという。そして「このお稲荷さんを深く信心すれば、末永く三井家と越後屋を守ってくれるに違いない」と考えた。
 早速、高富は店の使用人たちを連れて、三囲稲荷を熱心に参拝した。すると、店を悩ませていた嫌がらせがすっかり消えてしまい、客足もどんどん増えていったのである。こうして、お稲荷さんのご加護もあってか、越後屋は江戸を代表する大商店となった。

 江戸の町人たちはお稲荷さんの商売繁盛のご利益に驚き、たちまちお稲荷さんブームが起きた。このブームは全国へと広がり、それが伏見稲荷大社の姿を大きく変えたのである。なぜなら、お稲荷さんへの信仰が広がっていくとともに、いつしかお礼に鳥居を奉納するという習慣が生まれたからである。
 特に、全国のお稲荷さんの総本宮である伏見稲荷大社には鳥居が殺到した。その習慣が現在にまで続き、伏見稲荷大社をいまの姿にしたのである。すなわち、千本鳥居はお稲荷さんのご利益に感謝した人々によって自然につくられた景観だったのである。

 伏見稲荷大社宮司の中村陽氏は、「人々が自分の好きな、自分のスタイルでもって神様を信仰されている。そういう色んなかたちで信仰してもそれを受け入れて下さる神様。お稲荷さんにはそういう大らかさがある」と語る。
 
 いつも身近にいて人々の切実な祈りに応えてきたお稲荷さん。お稲荷さんはこれからも人々の暮らしに寄り添い続けていくことだろう。