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日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。

熊野古道~お伊勢さんからもうひとつの聖地へ~ 第十話 吉野・大峯の修験道

2015/03/11 (Wed) 22:00~22:55 BSフジ
キーワード
修験道、役行者、大峯奥駈道
参考
番組公式
 今回は奈良県吉野山から熊野三山をつなぐ大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)が紹介されていた。大峯奥駈道は、1300年前から続く山岳修行の聖地である。今もなお、多くの山伏がここで厳しい修行に励んでいる。しかし、なぜ人々は山岳修行に挑むのか。本レビューでは、番組内容を振り返りながらその謎に迫っていく。
 
○修験道とは
 修験道は1300年前に大和国葛城山の山林修行者である役行者(えんのぎょうじゃ)によってひらかれた日本独自の宗教である。役行者は熊野から大峰に入り、吉野までの山中に75の行場をおいて修行に励んだという。このときの行場が現在も大峯奥駈道に残る「大峯七十五靡(おおみねななじゅうごなびき)」である。修行に励む山伏は今も、靡のひとつひとつに祈りをささげながら山中を歩いていく。
 しかし、修験道のどのあたりが日本独自なのか。それは修験道が、「山や自然を畏れ敬うといった日本古来の山岳信仰に、仏教的行法を取り入れ、道教、陰陽道などが混ざり合ってできた」宗教だからである。そのため、修験道の本尊とされている蔵王権現(ざおうごんげん)も「神と仏が融合した日本独特の神」として祀られている。
 
○山岳修行に挑む目的~「山の行より里の行」~
 宗教人類学者の植島啓司は、「山を歩いて様々な苦行をするというのは、自分の精神のあり方を知りたいということに尽きるのではないか」と語る。過酷な修行を通して自らの精神と向き合い、チリや煩悩を打ち払うことによって、生まれ変わること、これが山岳修行の目的であると言えよう。
 ここで「生まれ変わり」という言葉に注目してもらいたい。山伏は精神と肉体の限界を超える修行の過程で、これまでの自分が一度死に、神仏の力によってふたたびよみがえる経験をするという。このとき、すべてのけがれは取り払われ、清浄な心と体をもつあらたな自分があらわれるのである。山岳修行が「擬死再生の修行」と呼ばれている所以もここにある。
 
 しかし、自らが生まれ変わることだけが、修行に取り組む山伏たちの目的なのだろうか。その答えは否である。大峯前鬼山小仲坊・住職の五鬼助義之は、山伏に大切なのは「山の行より里の行」であると語る。
 日本古来、山伏の使命は、里において人々に救いを広めていくことであった。そのためには、ただ法を説くのではなくて、自らが修行して山の力、神の力、仏の力を鍛える必要があった。そして、山中での修行によって培った力を人々に巡らせていくこと、これこそが山伏が命を賭して山林抖藪(さんりんとそう)(山林に入り、不自由を耐えて仏道の修行に励むこと)に打ち込む真の目的だったのである。

 役行者が1300年前に開いた修験道、その利他の精神は現代においてもなお多くの山伏たちの精神(こころ)に受け継がれているのではないだろうか。