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極める!千住明の聖地学 第一回「聖地とは何か」

2011/01/31(月)22:25~22:50 NHK教育
参考
番組公式
 当番組は語り手が持つこだわりや趣味について「○○学」と題し、その分野の達人と共に、様々な角度から4回シリーズで魅力を掘り下げていく。今回は作曲家である千住明氏が京都大学こころの未来研究センター教授の鎌田東二氏の案内のもとに山形県の出羽三山に訪れた。千住氏は作曲家で数多くのCMやドラマの音楽を手がけており、日本アカデミー賞の優秀音楽賞などの受賞歴もある。鎌田氏は宗教哲学・民俗学・日本思想史・比較文明学・芸術論などを幅広く研究している。著書に『宗教と霊性』(角川選書)、『神と仏の出逢う国』(同)などがある。
 千住氏は最近、「聖地」というものに惹かれているという。「聖地」に行くと、気分がリフレッシュされたり、やる気が出たり、癒されたりするという点において、音楽と似ているという。
 今回は「聖地とは何なのか」――を知るために山形県の出羽三山を訪れた。出羽三山は月山、羽黒山、湯殿山の三つの山の総称である。冬は月山と湯殿山が雪で閉ざされるため、羽黒山の山頂の神社に参詣することで出羽三山すべてを詣でたのと同じ霊験が得られるという。今回、千住氏はその雪の羽黒山を登った。羽黒山参詣道の入り口には随神門という門があり、その先は神域となっている。鎌田氏曰く、この出羽三山には「聖地」の条件が全部包含されていて、土地の持つエネルギーを感じさせてくれるところである。
 【聖地の条件①豊かで清らかな川】
 門をくぐると急な下り坂がありそのさきには祓(はらい)川という川がある。この川はこの世とあの世との境の川といわれており、昔の参詣者はここで禊をしてから登ったという。「聖地」の条件の1つ目として豊かで清らかな水があることが挙げられた。鎌田氏が言うには、水はあらゆる命をはぐくんでいく母胎のようなものであり、また、清める力も持っているから「聖地」の条件になる。
 【聖地の条件②巨木】
 さらに進む2人の前に「爺杉」という樹齢千年以上はある巨大な杉の木が現れた。「聖地」の条件の2つ目は巨木があることだという。古くから巨木は天と地をつなぐ柱、神仏がその土地に降りる目印などと言われてきた。そのため、巨木がある土地は「聖地」とみなされるようになってきたという。
 【聖地の条件③天に近い山】
 3番目に「聖地」の条件として挙げられたのは天に近い山であることである。古代から山は天に最も近いところだった。山を恐れる心は人が死ぬとその魂が山に集まるという祖霊信仰を生み出した。
 【聖地の条件④異次元への回路】
 千住氏はこの深雪の羽黒山を登って「雪の中に自ら道を切り開きなさい」というメッセージを羽黒山から感じ取ったという。鎌田氏は最後に「聖地」として最も大切な条件として、そこが異次元の回路であることを挙げた。人は深い自然の中に立ったとき普段の日常生活の中で鈍り、すり減っていた感覚を目覚めさせる。そして周囲の世界と新たな関係を築く、鎌田氏によるとこうした感覚を蘇らせる力を「異次元への回路」と呼ぶという。
 豊かな自然の中で新たな感覚を呼び覚ましてくれる「聖地」だが、「聖地」は人がより深くかかわることによって別の姿を現すこともある。その例が修験道だ。修験道は日本古来の山岳信仰に仏教や道教などが結びついた日本独自の宗教で、修験者は山で修行することによって験力(げんりき)という人間の力を超えた力を身に付けた。出羽三山にも羽黒修験という修行が行われている。二人は羽黒山荒澤(こうたく)寺正善(しょうぜん)院の住職の島津弘海氏のもとを訪れた。島津氏は羽黒修験の修行者を指導する最高位の役職である「大先達」を務めている。
 島津氏は「修験者は山の力や自然の力などの偉大なエネルギーを自分の中に入れて自分を復活させようとしている」という。島津氏は慣れない人は修行を始めたとき最初は恐ろしいと思うが、自然の中にどっぷりと浸かって慣れるうちに逆にまるで母親の膝元にいるような安堵感を抱くという。鎌田氏曰く、修行というものは神様や仏様など外側にあるものから自分自身を逆に照射し、見直していくもの。そうすることによって自分が中心になって生きているのではなくて大きいものに包まれて生かされ、支えられていると気づくことが修行の持つ大きな意味合いなのだそうだ。
 「聖地とは自ら体験することで新たな世界を開いてくれる場所」だということを今回千住氏は学んだという。
 この番組では「聖地」の条件というものを分かりやすく紹介し、そこでの修行の意味についても紹介していた。流行っているからと安易な気持ちで“パワースポット”と呼ばれる場所に行くのではなく、「聖地」の意義を理解して訪れることも大切なのではないだろうか。