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テレビ番組ガイド・レビュー
日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。
『日本人こころの巡礼~仏像の祈り~』第6話 京都から琵琶湖畔へ仏像を訪ねて |
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2010/12/17(日)18:00~18:55 BSフジ
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中国、朝鮮半島から渡来した仏像は国家の安泰を願って祀られ、やがて幸せを願う民衆の間にも、その信仰が広がった。現代でも多くの日本人が仏像を前にすると自然に手を合わせ、また近年は仏像ブームと呼ばれる現象もみられる。全6回の番組は、日本各地の仏像を紹介し、造立の時代背景、姿形や持物が表す意味といったポイントを解説していくものになっている。今回はその6話として京都から琵琶湖畔にかけての仏像を取り上げる。 平安時代末期、人々は相次ぐ天災や、政変による戦乱に苦しんでいた。せめて来世は極楽に生まれたいと願う貴族の間では、阿弥陀如来を念じることで極楽往生が得られるという、阿弥陀信仰がはじまった。念仏を唱えることで誰でも極楽へ行けるという、わかりやすい教義はやがて民衆の間にも広まった。番組では京都・浄瑠璃寺(じょうるりじ)と、禅林寺(ぜんりんじ)・通称永観堂(えいかんどう)の、平安末期から鎌倉初期にかけて造立された阿弥陀如来像を紹介する。また、同じく極楽往生の願いが込められた蓮華王院(れんげおういん)・三十三間堂の千体・千手観音像を紹介する。 それぞれの像の細部を説明する部分では、仏像の形姿には、衆生済度の様々な意味が込められていることがわかる。永観堂、浄瑠璃寺、ともに本尊の阿弥陀仏像は、極楽浄土から衆生を迎えに来たことを示す来迎印(らいごういん)を結んでいる。さらに、永観堂の本尊は、首を90度左側にひねった姿から「みかえり阿弥陀」と呼ばれる特異なものである。平安後期に禅林寺を再興し、永観堂という名の由来ともなった僧、永観があるとき、阿弥陀仏の周りを歩きながら読経をしていると、いつの間にか阿弥陀仏が彼の前を歩いていたという。驚いて立ち止まった永観に、阿弥陀仏は振り向いて「永観遅し」と言い、一緒に行を続けたという。このような伝承に基づいた「みかえり阿弥陀」の姿は、救いを求めて仏道を歩む人々に対する阿弥陀仏の慈悲を表している。 また、数量の意味が重要視されていることも興味深い。この時代、貴族の間では信仰の篤さを表す為、多くの仏像を造ることが流行した。浄瑠璃寺や三十三間堂はその例である。浄瑠璃時の本堂には阿弥陀如来9体が並び、九体阿弥陀仏と呼ばれる。人は死後、生前の行いや、信仰に応じて上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)という3つの世界に行くという。さらに、その中にはそれぞれ上生(じょうしょう)、中生(ちゅうしょう)、下生(げしょう)という段階があり、これらを総称して九品(くほん)と呼ぶ。9体の像はそれぞれの段階に対応している。三十三間堂には、1001体の千住観音が並んでいるが、仏教では1000は無量、計り知れない数量を意味し、1001は無限を表わす。千手観音はそれぞれ、左右40本の手に人々を救う様々な持物を持ち、これをもって25の世界、あわせて1000の救済をするという。頭上には11面の仏が配され、あらゆる方向の人々の声を聴き、教えを説いている。 浄瑠璃寺の九体阿弥陀仏には多くの類例があったが、戦乱や落雷で焼失し、浄瑠璃寺は現存する唯一のものである。三十三間堂も戦乱による火災に逢っており、1000体中876体は鎌倉時代に再制作されたものである。しかし、残った仏像からは、このように時に特異・過剰ともいえる形態や数という、興味深い特徴がみられる。そこからは、当時の世の動乱や、人々の願いが如何に切実であったかを創造することができる。 平安時代後期は、人々の間では修行するものも、悟りを開く者もいない「末法思想」が信じられ、深刻な危機感をもたらしていた。しかし、そうした不安感・退廃感と、浄瑠璃寺や三十三間堂の優美で壮麗な仏像との対称は何を物語るのだろうか。またこうした貴族による壮麗な仏像と、「みかえり阿弥陀」のような仏像が同時期に造立されたことは、「末法」に対する、民衆と貴族それぞれの向い合い方を推察させる。 |