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テレビ番組ガイド・レビュー

日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。

ビートたけしのTVタックル 「怒りの鉄拳 タックル事業仕分けSP!!」

2010/06/14(月)21:00~21:54 テレビ朝日
参考
番組公式
 政治・経済・社会問題などをテーマにゲストらが論争を繰り広げる番組。「怒りの鉄拳 タックル事業仕分けSP!!」と題して、(参議院の在り方、公的資金によるJAL救済などと並んで)宗教法人への優遇税制が取り上げられた。
 まずはVTRで宗教法人の優遇税制についての説明がなされた。信教の自由を保障するために成立した宗教法人法。これによって規定される宗教法人には、さまざまな優遇措置がある。宗教行為は非課税で、収益事業にも税制優遇がある。例えば、1億円の利益を得た場合、一般企業では税率30%が適用され、納税額は3000万円となる。だが、宗教法人では利益の20%は寄付金とみなされるため課税対象は8000万円で、しかも税率が22%と低いため、納税額は1760万円で済む、といったものだ。
 この優遇税制を悪用した例として、ラブホテルの経営によって得られた利用料の4割を非課税の布施として計上し、14億円の所得隠しをしていた「宗教法人」の事件がある。このホテル経営者は、休眠状態の宗教法人格を買い取ったとみられている。「宗旨」を考えれば信じがたい宗教法人格の売買は脱法行為だが、法律では禁止されていない。宗教法人には税制優遇を受けるメリットがあるため、売買市場が成立するのだ。これは宗教法人の優遇税制を悪用する側の問題だが、番組は優遇税制そのものを批判する方向で進められる。
 宗教問題や消費者問題に詳しい弁護士の紀藤正樹氏は、宗教法人を優遇する宗教法人法が成立した背景には、「宗教団体とは社会を良くしていくものだという発想で動いている団体だから悪いことはしない」という「宗教法人性善説」という前提があったと述べる。
 政府税制調査会でも宗教法人の優遇税制の見直しを求める意見が出始めている。これに対して、僧侶向け実用情報誌『寺門興隆』の編集長であり安楽寺の住職を務める矢澤澄道氏は「零細規模の宗教法人が圧倒的に多い中、課税面において宗教法人を取り締まるならば、前提として、一般の人が親しくしているような寺院、神社、教会を苦しめる施行は、避けてほしい」と宗教法人側の意見を代弁する。宗教法人には大きな団体ばかりでなく地域寺社や教会という小規模施設も含まれており、固定資産税が課されるだけで墓地の維持さえも困難になる寺院もある。宗教法人を規模で分けて対応する必要を説く矢澤氏は、「一般的な寺院や教会と大教団とは状況が異なるのだから、対応を分ければよい」と提案した。紀藤氏はこれを受け、「大教団の利益は資本主義の秩序を維持する許容範囲を大きく超えている」と踏み込んだ。
VTRが終わると、スタジオのコメンテーターは次々に批判的意見を述べた。元内閣総理大臣秘書官の飯島勲氏は「そもそも宗教法人の設立の条件が甘い」と指摘した。宗教法人設立の要件は「教義」「施設」「信者」のみで、占い師でさえも宗教法人を設立できてしまうと言う。元参議院議員の平野貞夫氏は「巨大教団の問題はあっても、地元民と一緒になって苦労しているところや、受刑者の更生をしている教会もある」と擁護したが、エッセイストの安藤和津氏に発言を阻まれた。安藤氏は「巨額を投じて仏像を買うような大教団と零細なところを分けるべき」と述べた。タレントの大竹まこと氏は「金ピカの教団ほど儲けていて、ボロい寺院のほうが安心できる」という主旨の発言をした。
 この後、他の法人格に比べて宗教法人では申告漏れが70%(2008年)と多いことや、浴場業や理容業など宗教法人に認められた収益事業の多さがフリップでとりあげられ、各コメンテーターからの宗教法人に対する非難の声がますます高まった。
 今回の放送ではVTRの内容もコメンテーターの意見も批判的なものに偏る傾向が見られた。「怒りの鉄拳」というタイトルからもわかるように、当初から批判をする方向性でVTRが制作されている。現行の宗教法人法が設立した背景には、戦時中の信教の自由の大幅な制限の反動があるという経緯にも言及されていない。宗教法人を騙る団体の詐欺的行為も宗教法人の問題と同列に論じられている。宗教法人側の意見としては矢澤氏の発言が取り上げられただけで、宗教法人が果たしてきた役割や信教の自由を守る重要性などについて評価をする場はなかった。税制優遇に対する不満や疑念が主で、一般企業と同等の税を課すべきだという話に導かれている。10分程度のVTR説明を背景知識が十分とは言えないコメンテーターに見せて、彼らの発言が全国に放送されるという状況は、公的な電波の管理者としてのテレビ局の意識を疑問視させる。
 一方で宗教法人側にも、それぞれ襟を正し、日ごろの活動を一般の人々に理解してもらう情報発信の必要性等を考える必要があるだろう。なかなか聞いてもらえないという状況があるにしても、説明をする責任を果たす、どう伝えるか?という課題は大きいと思われる。