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仏教研究

宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2022/09/19

第11回 菩薩の誓願とは

仏教研究

佐藤直実(宗教情報センター研究員)

第10回に引き続き、第11回も菩薩の誓願について紹介いたします。

「誓願」とは、サンスクリットで pranidhāṇapraniddhi と記され、もともと、心を「(あることに)向ける、置く」を意味します。そこから派生して、「決意」や「願望」という意味で使われるようになりました[i]。この用語は、初期仏教経典に現れますが、重視されるようになったのは大乗仏教においてです。

 

◎自利と利他の誓願

第10回では、大乗仏教の仏・阿閦あしゅく仏の誓願について説明しました。誓願には、阿閦仏や阿弥陀仏のような各仏(菩薩)ごとになされる「別願べつがん」と、全ての仏に共通する「総願そうがん」とがあります。代表的な総願は「四弘誓願しぐせいがん[ii]」で、日本仏教の各宗派で広く取り入れられています。
 
四弘誓願
 衆生無辺誓願度しゅじょうむへんせいがんど  全ての生き物を救済するという誓願
 煩悩無量誓願断ぼんのうむりょうせいがんだん  全ての煩悩を断つという誓願
 法門無尽誓願学ほうもんむじんせいがんがく  全ての法門を学ぶという誓願
 仏道無上誓願成ぶつどうむじょうせいがんじょう  最高の仏道を成就するという誓願











衆生無辺誓願度」は、「世界中に遍在する衆生たちを救済します」という誓いで、利他的なものです。「煩悩無量誓願断」は、「自分の中に次々に湧き起こる無量の煩悩を断じていきます」という自戒的な誓いです。「法門無尽誓願学」は、「尽きることのない教え、教理教学を私は学びます」、「仏道無上誓願成」は、「この上もなくすばらしい仏の道を私は成就します」という誓いで、これらも自戒的なものです。

つまり、最初の「衆生無辺誓願度」だけが他のための誓いで、残りの三つは自分への戒めであり、自利的な誓いといえます。

自利的な誓いは自らの行動に関する「決意」であり、成道前に達成されなければなりません。たとえば、阿閦仏の誓願であれば、どんな状況にあっても「怒ったり動揺しない」、「一箇所に留まり祈り続ける」などです。一方、利他的な誓願は、成道後に実現させたい「目標、夢」です。後者の誓願は自分の努力のみでは実現が難しいため、「奇跡」的な内容が多くなります。たとえば、自分が成道した暁には、誰もが修行しやすい環境の仏国土を整え、そこに生まれた者は必ず成道できるようにするといった内容で、阿弥陀仏の誓願はこちらが中心です。

阿閦仏にも利他的な誓願はありますが、ほとんどが自利的なものです。それに対し、阿弥陀仏の誓願は、利他的なものばかりで、自利的なものはありません。

誓願には、このように自利と利他の二つの側面があり、これらを上求菩提
じょうぐぼだい下化衆生げけしゅじょうと表現する場合があります。上求菩提とは、修行者(菩薩)が、さとりを求めて行う自立的な行動・努力であり、下化衆生は、衆生をさとりに導くための利他的な行動です。ちょうど釈尊の成道前と成道後の行動にも対応しています。
 

◎燃燈仏授記と釈尊の成道


冒頭でも書いたとおり、誓願は初期仏教時代からありますが、阿閦仏や阿弥陀仏のように何箇条も列挙する形ではなされませんでした。

釈尊の誓願としてもっとも古い形は、燃燈仏授記
ねんとうぶつじゅきの記述と言われています。燃燈仏授記とは、釈尊の前世物語の一つで、様々な仏典に記されます。前世において、釈尊がまだ修行者だった頃、燃燈(ディーパンカラ)仏と出会い、感銘を受け、自分も同じようにブッダとなりたいと誓いました。すると燃燈仏は釈尊に「お前は将来、釈迦牟尼仏となるであろう」と授記成仏を確約)し、輪廻を繰り返した釈尊は、やがて釈迦族の王子として誕生し、授記のとおりにブッダとなりました。

ここでは、数はある仏典の中から『マハーヴァストゥ』の内容に沿って誓願を確認したいと思います。

平岡聡先生の『菩薩とはなにか』(春秋社、 2020)にわかりやすく解説されていますので、それにそって記します。( )内の赤字は筆者の注記です。

 
〈燃燈仏授記〉
[青年僧メーガ(
釈尊の前世)]は水器を一隅に置くと、[自分の]毛皮の衣を広げて、世尊ディーパンカラ(燃燈仏)の足元に平伏し、[自分の]髪で[世尊の]足の裏を綺麗に拭くと、このような心を起こした。

ああ、私もまた未来世に、今の世尊ディーパンカラのように、如来・阿羅漢・正等覚者・妙行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師になろう。(中略)今の世尊ディーパンカラのように、[自ら]渡って[他を]渡らしめ、[自ら]解脱して[他を]解脱せしめ、[自ら]安穏になって[他を]安穏ならしめよう。多くの人の利益のために、多くの人の安楽のために、世間を憐憫するために、大勢いの人の利益のために、そして人天の利益と安楽のために、私は[仏に]なろう

さて、マウッドガリヤーヤナ(目連)よ、世尊ディーパンカラは無上の仏智によって青年僧メーガが偉大な[仏果を]獲得することを知り、[彼の]善根の集積を知り、[彼の]心の向き
(=誓願)を知って、完全無欠にして汚れがなくて完璧な彼に無上正等菩提を授記したのである。

「青年僧よ、お前は、未来世に、無量無数劫の後、シャーキャ族の都城カピラヴァストゥで、シャーキャムニと呼ばれる如来・阿羅漢・正等覚者・妙行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師になるだろう。(中略)今の私のように何時は[自ら]渡って[他を]渡らしめ、[自ら]解脱して[他を]解脱せしめ、[自ら]安穏になって[他を]安穏ならしめ、[自ら]般涅槃して[他を]般涅槃せしめるだろう。(後略)」
(平岡2020:40-41)



下線部分が、釈尊の誓願にあたります。要約すれば、次のようになるでしょう。
 
私も将来、燃燈仏のように、人々と神々のために必ずやブッダ(正覚者しょうがくしゃ)になります。

ここでの釈尊の誓願は、「人々と神々のために」なされています。つまり、利他を目的として誓ったのです。

成道前の釈尊は、自身がさとることを目的(自利)としており、自戒的な実践をおこなっていました。そして成道という目的を達成すると、釈尊は体も放棄し、完全な涅槃に入ろうとします。しかし、梵天の勧めにより、うしばらくこの世に留まり、他に教えを伝えていく覚悟を定め、説法の道に踏み出します。つまり、釈尊の利他行は、成道後に始まるのです。成道前は自利・自戒的で、成道後は利他的という対応は、ちょうど阿閦仏と阿弥陀仏の誓願の傾向と一致するため、筆者は、両仏が釈尊の成道前と成道後を具現化させた尊格ではないかと考えています。

 


出家修行→誓願→授記→成仏、という釈尊の成道までの四段階を、大乗修行者たちは踏襲し、成道までのプロセスとして、発菩提心(出家の決意)→行(実践)→誓願→授記の四段階を設けるようになりました。


〈参考文献〉
藤田宏達1970『原始浄土思想の研究』岩波書店
佐藤直実2008『蔵漢訳『阿閦仏国経』研究』山喜房佛書林
平岡聡2015『大乗経典の誕生―仏伝の再解釈でよみがえるブッダ』筑摩書房
平岡聡2020『菩薩とはなにか』春秋社

[i] 藤田1970、pp.405-408、 平岡聡1988「浄土経典に見られる二種の誓願説」(佛教大学大学院研究紀要16)、p. 38.
[ii] 四弘誓願の原形は『大乗本生心地観経』功徳荘厳品第九(大正3、p. 322)に見られるが、定型的な表現は『摩訶止観』に始まり、曹洞宗や真言宗など、宗派によって多少の相違がある。