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宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2011/09/22

宗教者の震災支援を阻む政教分離の壁

宗教情報

藤山みどり(宗教情報センター研究員)

 震災が起きると、宗教界の支援が報道されにくいこともあってか、「宗教界は何もしない」などの批判が必ず沸き起こる。その陰には、宗教者が支援をしたくとも、それを阻む政教分離の壁もある。一方では、被災した寺社の震災復興を困難にする政教分離の壁もある(レポート参照)。ここでは支援を阻む政教分離の壁について述べる。


●政教分離を理由に読経ボランティアを拒んだ自治体●

 2万人超もの死者・行方不明者を出した東日本大震災では、全日本仏教会が3月23日に被災地域と近隣地域の僧侶に対して、読経ボランティアの組織結成を依頼した(※1)。この読経ボランティアは、『毎日新聞』(※2)や『日本経済新聞』(※3)、『朝日新聞』(※4)などで好意的に取り上げられた。
 しかし、少なくとも4月上旬には、「身元不明で宗派が分からない遺体については読経してはいけない」という行政指導があった(※5)。東日本大震災では身元不明の遺骨や遺体が8月中旬でも約1250体と多く、この政教分離の問題に直面する場面も多かった。この件について宗教専門紙の『中外日報』は、早くも4月19日に「読経はばむ行政指導も 身元不明は回向できず」との見出しで報じた。一部の地方紙(※6)も共同通信社の配信記事(※5)を5月15日に掲載した。だが、全国紙では報じられなかったため、知らない人が多いかもしれない。
 共同通信社の記事の一部を引用して、仙台市の対応を紹介しよう。


――4月上旬、仙台市青葉区の市営葛岡霊園。身元不明の24人の遺骨が、プレハブの建物の中にひっそりと置かれた。見届けたのは市職員ら12人だけ。お経も、祈りの言葉もない。仏教会から読経の申し入れがあったが、市側は政教分離を理由に「市職員と宗教者が同席することはできない」と断った。せめてもと簡素な祭壇を設けて線香を上げたが、納骨堂は職員と遺族以外には開放していない。「仏教の概念だから」と四十九日の合同供養も見送った。いずれ、市として独自の催しを行う予定だ――


 政教分離について、紙面では、京都大学の大石真教授の「(政教分離で禁じられている国や自治体の)『宗教的活動』に当たるのは、宗教的意義を持ち、特定の宗教に対する援助や助長になる行為。職員による焼香も自治体主催の合同供養も、憲法が禁じる『宗教的活動』には当たらず、焼香まで自粛するのは一種の過剰反応ともいえる」との見解が紹介されている。だが、自治体の対応もまちまちだ。宮城県多賀城市は仙台市と同じく、「宗教色の強い行事はしない」との立場だ(※5)。

 東北各県の自治体から火葬協力の要請を受けた東京都も、微妙な策をとった。東京都瑞江葬儀所で犠牲者を火葬する際、宗教者は建物内に入ることはできなかった。正門を入って左手の芝生脇に設置された祭壇から、遠くの火葬施設に向かって、江戸川区仏教会や東京都仏教連合会の僧侶、立正佼成会やキリスト教の宗教者らが祈りを捧げた(※7)。これに対して港町の宮城県塩釜市は、お盆には海から引き揚げた無縁仏の合同供養を行ってきた歴史があり、今回も身元不明者の供養を行っている(※5)。
 だが、総じてみると政教分離への過剰な反応は浸透しつつあり、自治体主催の追悼式なども無宗教化している。福井空襲(1945年)と福井震災(1948年)の犠牲者追悼式典は、2002年までは神事による慰霊祭として営まれていたが、2003年からは「政教分離を明確にするため」と福井市主催の無宗教形式となった(※8)。また、阪神・淡路大震災から10年経った2005年に兵庫県などが主催した追悼式典も、職員によると「宗教色をいっさい排除し、仏教儀式などは採用しなかった」。とは言いながら、「献唱曲」として教会音楽「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(モーツァルト作曲)が捧げられたことに『神社新報』が疑問符を付けた(※9)。

 一方で、関東大震災(1923年)と東京大空襲(1945年)の犠牲者追悼は、毎年春と秋に仏教形式で慰霊大法要が行われる。主催は自治体ではなく公益財団法人東京都慰霊協会であるが、法要には東京都知事も出席する。


●読経ボランティアが拒まれた別の理由●

 今回のような自治体の過剰な反応には、宗教界が連携して改善を求めてもよさそうだ。

 ただし、読経ボランティアが断わられた背景には、こんな事情があるという報道もある。被災地の避難所ではカルト組織のボランティアへの警戒心が強く、「『そのため、“読経をしたい”“被災者の悩みを聞きたい”などといった宗教団体によるボランティアの申し出については、その多くが、真っ当な方々によるものなのですが、“被災者からのリクエストがない”という理由で、すべてお断わりするしかない状況なのです』(被災地の行政関係者)」(※10)。この点については、宗教界内での自浄努力が望まれそうだ。
 
●葬儀の意味は?●

 さらに宗教界による長期的な対策として、葬儀の意味を広く説いていく必要もあるだろう。これは、「葬式無用論」への対応と重なる。葬式無用論は、虚礼廃止の風潮や節約志向からだけではない。読経や祭詞など、慰霊における宗教儀式の意義を否定する側面も見受けられる。
 今回の震災では、「遺族の心の区切りになる」とグリーフワークの観点から葬儀の意義が見直された。だが、葬儀の意義はそれだけではなく、それが宗教に則った葬儀ならば尚更深い意義があるという点を宗教界は訴えていく必要がありそうだ。
 「死後の世界」や「霊魂」などは近代科学では一般に否定されている。宗教界においても考え方は異なり、悪用されるケースもあるため言及するには慎重にならざるを得ないが、不思議な現象や宗教儀式の効験(?)を耳にすることがある。臨済宗妙心寺派の僧侶で芥川賞作家であり、震災復興構想会議の委員としても活躍している玄侑宗久氏も、不思議な体験を『文藝春秋』(※11)で紹介している。まとめると次のようになる。

  ある女性が玄侑氏のもとに相談にきた。定刻になると亡くなった義母が取り憑き、「傾いている墓を直してほしい」と訴えるという。そこで、「墓を直してみたら」と答えた。その後、義母は出なくなった。ところが1カ月後、今度は5歳の男児が取り憑いて「どうして僕には位牌がないの?」と訴えるという。そこで位牌を持たせたが状況が変わらないので、寺で「魂入れ」という儀式をしたら、まもなく出なくなった。だが、また誰かが取り憑いたという。そこで、玄侑氏が彼女の自宅を訪ねたところ、そばに墓地があったので、墓地から何かが来て遊んでいるのかと思って「施餓鬼」供養をした。すると、その晩から女性は取り憑かれることがなくなった。

 2011年8月2日に全日本仏教会が開催したシンポジウム「葬儀は誰の為に行うのか?」では、葬祭業者や僧侶などパネリストたちが、新しい葬儀の在り方などを報告した。だが、サービス業としての葬儀観が強く、「弔い」の意味を深めるには不十分だった。このシンポジウムを報じる2つの記事には、霊魂観が全く議論されなかったことを憂う記者のコメントが見られた(※12)。
 葬儀の宗教的意義が広く理解され、宗教に則った葬儀が再び一般的になれば、政教分離の壁も低くなるだろう。三重県津市の主催で営まれた地鎮祭が政教分離の原則に反するかどうかが問われた津地鎮祭訴訟の最高裁判決(1977年)では、「慣習化した社会的儀礼」「世俗的な行事」として合憲と判断された。地鎮祭を「宗教的意義がほとんど認められない儀礼」とする判決文には神道界からの異議もあろう。だが、宗教に則った葬儀が復活して通例となれば、読経ボランティアも「慣習化した社会的儀礼」の範疇として、政教分離に反しないと認められるようになるのではないだろうか。

 


 

※レポートの企画設定は執筆者個人によるものであり、内容も執筆者個人の見解です。


※参考文献

※1 全日本仏教会サイト  2011年3月31日ニュースリリース
※2 『毎日新聞』2011年3月29日、同4月1日夕
※3 『日本経済新聞』2011年4月6日
※4 『朝日新聞』2011年4月16日
※5 共同通信社サイト2011年5月14日、『中外日報』2011年4月19日
※6 『東奥日報』『大分合同新聞』『信濃毎日新聞』『佐賀新聞』など
※7 『仏教タイムス』2011年4月7日、『AERA』2011年5月23日
※8 『毎日新聞』2003年6月29日
※9 『神社新報』2005年2月14日
※10 『週刊ポスト』2011年5月20日
※11 玄侑宗久「霊の個性はあるのか? 江原啓之ブームに喝!」
    『文藝春秋』2007年5月号
※12『仏教タイムス』2011年8月11日、『読売新聞』2011年8月22日

 


 

(宗教情報センター研究員 藤山みどり)