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宗教こぼれ話

このコーナーは、宗教情報センターに長年住みついている知恵フクロウ一家の
長老・宗ちゃんと、おちゃめな情報収集家・情ちゃん、そして、
日々面白いネタを追い求めて夜の空を徘徊するセンちゃんが、
交代で、宗教に関わるさまざまなエピソードを紹介します。


第十一回「こころも遺伝する」

2011/07/25 第十一回「こころも遺伝する」 

情ちゃん 親のストレスが子孫に遺伝するそうです。ハエの卵を高熱にさらしたり、幼虫に塩分の強いエサを与えたりしてストレスを加えると、目の色が赤くなるそうですが、このハエの子孫でも目の色が赤くなるそうです。生物学的な問題のようですが、精神的な疾患でも関係がありそうです(※1)。
センちゃん この内容は面白いですね。どうやらストレスによってあるタンパク質の量が上昇する現象が、世代を超えて伝わるようです。本来記憶なども、その人個人だけで次世代に伝わらないように考えられますが、この研究を境に記憶のような高次の内容は別にしても化学反応に近い行動が次世代に伝わる研究が当り前になってくるかもしれませんので、大変楽しみです。
宗ちゃん なんだか、「歴史は繰り返す……」という感じで、おそろしいですね。
情ちゃん 記憶が臓器移植を介して伝わるという話は、テレビや書籍で見たことがあります。臓器移植をされたレシピエントが、移植後に急に趣味や趣向が変わり、確かめてみると、ドナーの趣味や趣向と一致していたという話。
臓器を移植されると記憶が伝搬するならば、自分の複製とも言うべき次世代に記憶が伝わるということもありうるような気がしました(※2)。
宗ちゃん 30年ぐらい前に教わった生物学では、獲得形質(記憶など、その世代に得られた性質)は遺伝しないというのが常識でしたが、10年前に生物学者の話を聞いたときには、記憶は遺伝するという理解が一般的になったとのことでした。その時詳しくは確認しなかったのですが、身体の随所に神経があるので、それらが記憶の担い手になるのかなと思いながら聞いていたと思います。たとえば、精神状態と胃腸の状態はリンクしてますが、胃腸の神経が精神状態を記憶する、とか。これは、神経性胃炎などでお悩みの方などは、実感するところがあるのでは?
センちゃん 心が脳にある、という発想に立てば、遺伝子を媒体にして、脳内ニューロンネットワークの構成の際に、情報が引き継がれるという話になるでしょう。一方、個々の細胞間の情報伝達によって、必ずしも脳を通らずに心状態が引き継がれるというのも、最近の研究の成果のようですね。このあたりは今後の研究の進展をおもうとわくわくします。
情ちゃんが見た資料では、どんな形で世代間の伝達が行われているという説明がされていましたか?
情ちゃん DNAに結合して遺伝子の働きを調節するたんぱく質「ATF-2」は、ショウジョウバエの目の色の決定に関わっており、ストレスを加えるとATF-2がDNAから外れて、目の色が赤くなるそうです。これが世代を超えて伝わるのですが、DNAを作る塩基の配列は同じで、ATF-2による遺伝子の働き方の変化が何らかの仕組みで子孫に伝わっていると考えられると記事には書かれていました。ということは、世代間の伝達の仕組みについては、詳しいことはわかっていないのではないでしょうか。 
フロイトの系譜である精神医学者のソンディは、祖先から遺伝する家族的な無意識があるとして、衝動傾向や欲求を8つに集約し、その衝動を社会に適合する形で発散させる(社会化)ことが望ましいと考えました。家族的な無意識は、深い集合的な無意識と浅い個人の無意識の中間に位置づけられるようですが、これを把握するために彼はソンディ・テストを発明しています。精神疾患者の顔写真を見ての印象で判定する心理テストです。遺伝する無意識を把握する方法が心理テストというのが、唯識などが瞑想によるのとは異なるアプローチでおもしろいなと思いました。
宗ちゃん 心理学者のユングは、元型、ってはなしをしますよね。世代を超えて伝わっている太古的な記憶を説明するための言葉ですね。仏教的には、意識の一貫性の根拠として阿頼耶識説などのようなものを引き合いに出すところかもしれません。センちゃんはこのあたり熱心にしらべていたのでは? 少しわかりやすく教えてもらえますか。
センちゃん 唯識研究というのを発展させたのは、仏教のなかでも瑜伽行派というグループです。人間の五官(視聴嗅味触の五つの感覚)をこえた意識の底に、ふだん認識することが難しい無意識層を考えるのは、現在では当たり前ですよね。唯識ではそれを、末那識と阿頼耶識というふうに分けています。
これを簡単に説明するのは難しいのですが……私たちが夜眠り、目が覚めると、前日のことが思い出され、その続きを行うことができます。眠っているときには夢を見たりみなかったり、その夢も支離滅裂だったりで、意識は持続していないわけですが、にもかかわらず、目が覚めると前日の状態が保存されている。その保存されている場所をもっとも深い無意識と考え阿頼耶識と呼び、この阿頼耶識のおかげで、まるで私たちが一貫した自己を変わらずに維持できているかのように思い込んでしまう執れの原因となる場所を末那識と呼ぶ、と、とりあえず説明しておきましょうか。
宗ちゃん なるほど、私たちを振り回す自意識の根源がこんな形で説明されているとは、唯識、すごいですね。
いずれにせよ、今回の話でしみじみ感じたのは、食品が私たちの身体を作るように、読んだり見たり考えたりしたことが私たちの心を作り、それはずっと保管され、ひょっとしたら世代を超えて伝えられる、というのは実に恐ろしい話です。とはいえ、私たちは読んだり見たり考えたりするものは完全には選べませんし、人生のなかでストレスをゼロにすることはあり得ませんが、それに対する反応は自分で選ぶことができます。このあたりに仏教のミソがありそうですね。
参考資料
※1 『日本経済新聞』2011年6月24日
※2 『記憶する心臓 ~ある心臓移植患者の手記~』 クレア・シルヴィア・ウィリアム・ノヴァック著 飛田野裕子訳(角川書店)1998年