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宗教こぼれ話

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2014/02/27 第二十五回 「トイレに見る宗教」 

宗ちゃん
インドでの会議から帰ってきました。デリーの空港では、おもしろい表示を見つけました。男子トイレ(左)、女子トイレ(右)の表示が、こんな風になっているんですよ。イケメンと美女。女子トイレのほうに思わず、吸い寄せられてしまいました。



 
 
■撮影:宗
情ちゃん (-_-メ)。
男性はターバンに髭! ターバンは、髪の毛、髭を切ったり、剃ったりしてはいけないシーク教男性信者に着用が義務づけられている衣装。 シーク教徒はインドの人口の約2%しかいないのに、どうしてなのかと不思議に思いましたが、表示されている男女の写真はトイレごとに違っているのですね。
 
 トイレの標識にみられる宗教的な服装といえば、イランの世界遺産ペルセポリスでは、ヘジャブ(スカーフ)をかぶった女性がピクトグラムになっていました。シーア派を奉じるイランでは、シャリーア(イスラム法)に基づき、女性は外国人であっても、公の場では髪の毛と首、腕と脚を隠さなくてはならないので、このマークにも納得です。




 
 
■撮影:情
 オマーンの観光名所であるニズワ・フォート(砦)のトイレでは、ヘジャブをかぶり、アバヤを着た女性が表示されていました。イスラームでも穏健派のイバード派が主流のオマーンでは、外国人女性には髪を隠す義務はありませんが、現地の女性は髪をヘジャブで覆っています。

 
 
■撮影:情
 イスラームではトイレの使い方にも決まりごとがあって、コーランには、「けがれの状態にあるときは、それを特に浄めなくてはならぬ。(中略)汝らのうち誰でも隠れ場(注:トイレのこと)から出て来たとか(中略)した場合、もし水が見付からなかったら、きれいな砂を取って、それで顔と手を擦ればよろしい」[1] とあります。イスラームの国では、水洗トイレの脇に蛇口とホースが付いていて、床が水浸しになっていることが多いのは、このため。
 スンニ派が正統と認めているハディース(ムハンマドの言行録の伝承集)の1つ「サヒーフ・アル・ブハーリー」[2]には、トイレに入るときには、「おお神よ、わたしは男の悪魔と女の悪魔から、あなたに助けを求めます」と唱え、排泄するときにはキブラ(メッカの方向)に向かっても背を向けてもいけない、用を足したあとには水で洗うか奇数個の小石で拭い、小用を足すときや洗うときに右手を使ってはいけない、など細かな決まりが記されています 。右手を使わないのは、イスラームでは右側が尊いとされるからです。このため、トイレ(不浄)に入るときには左足から入り、出るときは右足からとも決められています。
 また、同じく「サヒーフ・ムスリム」[3]には、「人々が通る路上や休息のための日蔭」で用便してはいけない、流れのない水場で小用をしてはいけない、排泄後の拭き取りに3個以下の小石や動物の糞、骨を使ってはいけない、小石で拭き取る時には1つずつ取って使うことなども書かれています 。
宗ちゃん 日本仏教では、曹洞宗の開祖・道元の手による『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』に、トイレの作法が詳述されているそうですよ。
情ちゃん え~っと、原文は難しいので現代語訳で読みますね。「第五十四 洗浄」 。「東司(とうす=トイレ)に赴くそのことが、仏法そのものであり、仏道を行ずることであって、その他に仏法はないのである」[4]。つまり、トイレでさえも修行であると。曹洞宗で、トイレ(東司)は僧堂、浴室と並んで「三黙(さんもく)道場」と呼ばれる場所の1つで、修行僧たちが黙々と修行に励む場所とされるので、当然かもしれません。「大小便を行ずるときは、まさに願うべきである。衆生の汚れを除き去って、貪(むさぼり)、瞋(いかり)、痴(おろか)なる三毒をして滅尽せしめんことを」と、その際に考えることからして、頭が下がります。
 「大小便を行じた後を洗うことを怠ってはならない」というのは、イスラームと共通しているかも。トイレに入る前の上着や衣の脱ぎ方、竿への掛け方までこと細かに指示されていますが、主なところをかいつまんで、まとめてみました。
 “衣を置いたあと、水桶に9分目まで水を汲んで、右手にさげて持っていき、トイレの入り口では草履を履き替える。左手で入り口の扉を閉め、水桶の水を少し便器に注ぎ、水桶を置いたあと、便器に向かって三度、弾指(だんし=親指を人さし指で鳴らす)し、袴の口と衣の先を握って、入口に向かって両足で便器の上端の両辺を踏んで、うずくまって用を足す・・・・・・この間、黙然とし、壁を隔てて談笑したり、歌を唄ったり、壁面に落書きをしたりしてはならない”など、本当に細かく説かれています。
 “用が終わったあと、篦(へら)あるいは紙を使う。そして、右手に水桶をもって、左手に水を受けて、前を三度洗い、次に後ろを洗う。洗浄し終わったら、篦を拭い渇かし、あるいは紙を使って拭き取る。右手で下袴の口と衣の先を整えて、右手で水桶をさげて入り口を出るときに、自分の草履に履き替える。そして、水桶を洗い場のもとの場所に戻す”
そのあと、手の洗い方について指示されていますが、灰で3度、土で3度、さいかち(洗い粉)で1度の計7度、洗うのがよいとあります。
 洗ったあとの話も細かく、ここまで詳細な規定が記されていることに、びっくりします。ただし、これはイスラームのように一般信徒も守らなくてはならないものではなく、僧侶のためものなので、これだけ細かいのでしょう。
宗ちゃん 他の宗教にもトイレの規定はありそうですが、今回はこの辺りで止めておきましょう。
情ちゃん そうですね。最後に。曹洞宗など禅宗のお寺ではよく、トイレに「烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)」が祀られています。炎を背にして憤怒している強面の姿で表されることが多く、人間の勝手な思い込みや分けへだてをする心を戒めるとも言われています」[5] 。古代インド神話では、一切の悪や不浄を焼き尽くす働きをする「アグニ」と呼ばれた火の神で、日本には弘法大師によってもたらされたそうです。2010年にヒットした「トイレの神様」という歌では、「トイレには、それはそれはキレイな女神様がいるんやで」[6]と唄われていましたが、仏教界では、トイレにいるのは、こわ~い明王様。どうせならば、イケメンがよかったなぁ。
宗ちゃん (-“-)
(文責・藤山みどり)
参考資料:
[1] 井筒俊彦訳『コーラン』岩波文庫(1957年11月)
[2] 牧野伸也訳『ハディースI』中公文庫(2001年1月)
[3] 宗教法人日本ムスリム協会「サヒーフ・ムスリム」ウェブサイト版
[4] 中村宗一『全訳 正法眼蔵 巻三』誠信書房(1972年5月)
[5]『曹洞宗 檀信徒必携』改訂委員会編『曹洞宗 檀信徒必携』曹洞宗宗務庁(2012年4月)
[6] 神道界でトイレにいる女神様とは、尿(ゆまり)から産まれたとされる水の神様「弥都波能売神(みずはのめのかみ)」と、屎(大便)から産まれた「埴安姫神(はにやすひめのかみ)」だという。山村明義『神道と日本人』新潮社(2011年9月)。