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「ユダヤ教の思想」 市川裕先生(ユダヤ教編)

ラビ・ユダヤ教という名称と時代区分

 ただ今、ご紹介にあずかりました市川です。よろしくお願いいたします。
 皆さんご存知の『旧約聖書』では、紀元前1200年か1300年ぐらいからモーセが現れ、奴隷の状態だった古代のイスラエル人をエジプトから導き出す話がありますね。その後にカナーンという今のパレスチナの辺りを神が約束して与えました。そしてダビデという王様が出てきて、王国ができました。
 『聖書』には、ユダヤが周りのメソポタミアやエジプトといった強国に滅ぼされたと書いてあります。しかし、ユダヤ教は古代イスラエルの歴史とは多少違っていて、もっと後にできた宗教です。今回は、今日のユダヤ教の元になっていると考えられている「ラビ・ユダヤ教」を、皆さんに知っていただきたいと思います。

 

◆祖国・神殿・王権・供犠の喪失

 ユダヤ人は昔からいましたし、もっと前にはイスラエル人、12部族がいたのです。そういう歴史の中で、ある時点からユダヤ教は神の教えに従っていく宗教に変化していったのです。
 ユダヤ教の歴史を見てみますと、古代イスラエルの歴史があって、紀元前332年頃、ヘレニズムになり、アレクサンドロス大王の時代が来ます。その後、ヘロデ大王が出てきたり、イエス・キリストが出てきたりしています。それはだいたい紀元30年~50年ですが、その頃にユダヤ教の社会には王権があって、サドカイ派・パリサイ派や死海教団があり、そして神殿があって大祭司がいました。
 ところが、紀元66年から73年と、132年から135年にローマとの二度の大戦があり、紀元70年、ソロモン王が築いてから約1000年間続いたエルサレム神殿が崩壊してしまいます。ということは、ローマと二度戦争する前に、すでにキリスト教は新しい道を進んでいたのです。キリスト教が新しい形で生まれた後に、この大戦争が起きました。
 

◆神殿崩壊へのラビの対応~ユダヤ教の成立

 すべてを失うという、非常に激しい災難に遭遇した人ユダヤたちは、どういう反応をしたのでしょうか。
 ここでひとりのラビが出てきて、次のように言いました。「将来、人がトーラーの言葉(神の教え)を探しても見つからず…(神が語った教えが見つからなくなってしまう、そういう事態が起こるでしょう)」。そこで『聖書』を見ると、「アモス書」という預言書のひとつに次のような言葉があるのです。「私は地に飢饉をもたらす。食物への飢えではなく、主の言葉を聞くことへの渇きである。東から西へ巡り、あるいは南から北へ巡っても、トーラーの言葉を探し求めても見出すことができないであろう」(アモス書8:11-12)。ですから、神殿が崩壊した時、ラビたちは敵に復讐するのではなく、神の言葉を集めたのです。
 西暦200年頃、そうした神の教えをまとめた『ミシュナ』というテキストが編纂されます。その頃からラビたちが中心になって活動したので、ラビ・ユダヤ教と呼ばれるようになります。その後、ひとつの新しい制度としてのユダヤ教が生まれました。
 
それから、イスラムが7世紀に出てきて、3つの宗教が揃います。
 

◆離散ユダヤ社会を支えたもの

 離散していったユダヤ人たちを支えたものは、何だったのでしょうか。肝心なことは「啓示法の支配」です。啓示とは神の教えで、“教え”ですから持ち運びができ、どこにいても神との契約を維持できます。つまり、エルサレムという場所がなくても、神殿などに頼らず、神との契約は法の形で与えられていると考えたのです。この神との契約で、啓示の法を守る「選ばれた民」であるという自覚を持ったんですね。

 

◆ラビ・ユダヤ教のトーラー観(二つのトーラー)

 ユダヤ教の啓示法には特徴がありまして、文字に書かれた「成文トーラー」と、文字に書かれなかった「口伝トーラー」があります。キリスト教も『聖書』として成文トーラーは持っているわけです。この成文トーラーは『モーセ五書』のことですが、「預言書」とそれ以外の書物を含め、『聖書』全部をトーラーと言ってもいいと思います。
 文字に書かれているということは、翻訳すれば世界中の人が読めてしまうわけですね。そこでユダヤ教徒は「自分たちだけの特別の教えがある。それは文字に残されてないものだから、師から弟子へ伝えられていく」と考えたのです。
 師匠が語ったことや、あるいは行ったことは、文字に残らなくても人の心に残るわけですよね。それを自分の友達や仲間に伝えていく。そういうものがどんどん増えていくわけです。ユダヤ教はそういうものを集めて「口伝の教え」という形で伝えようとしたのです。ですから、ラビたちは人々が全てを失ってどうしていいかわからない時に、先達の教えを集めて次の世代に伝えました。その結果できたのが、紀元200年頃に成立した『ミシュナ』という全6巻のテキストです。
 

◆『ミシュナ』からの抜粋

 『ミシュナ』の中にはラビたちが語った言葉が伝えられています。
 例えば、「日は短くて仕事は多い」というのは、人間の一生のことですね。「死の1日前に悔い改めなさい」は、人はいつ死ぬかわからないから、今、悔い改めなさいということを言っているのだと思います。他にも「名をあげることは、名を失うことである」、「苦痛に応じて報いがある」、「誰もいないところで、人間らしく振る舞うよう努めなさい」といった道徳的な教えが伝えられています。
 

◆教育の重要性

 ユダヤは離散社会のため、中世の頃にできたこんな例え話があります。「世の中でいちばん価値のある商品は何だろう? それは商人たちが持っている高価な商品ではなく、ラビが身に付けている神の教えだ」。要するに物ではなく、自分の中に知恵として蓄えているものに、いちばん価値があるのです。そうすると、それは子供の頃からの教育システムとつながってくるわけです。 「ユダヤ教の研究をしている」と言うと、「ユダヤ人はなぜ優秀なんですか?」とよく聞かれます。人口の割にノーベル賞をもらう人の数が多いわけですよね。だから「それは遺伝子なのか? それとも環境なのか?」という話になります。私は環境のせいだろうと思います。つまり、ユダヤ教は教育を大事にする文化を育てたからです。何も持っていないから、子供に残しておけるのは、知恵を蓄えさせる教育しかないのです。
 ラビたちの時代から「5歳で『聖書』を学び、10歳で『ミシュナ』を学び、13歳で掟に従って、15歳で『タルムード』を学んで、18歳で結婚、20歳で義を求め…」という教育方針をすでに立てていたようです。
 

◆「宗教的行いの理由がわかる」とは?

 何度も苦しみを受けたユダヤ人は「その理由は何か?」と考えるようになります。彼らはその苦しみを人のせいにせず、自分たちが神に背いたのでこういう苦しみに遭っているのだと、歴史の中で学びました。悔い改めて神との契約に戻らなくてはいけない。そういう形でユダヤ教徒は神の教えに常に戻るというわけです。
 神が語る教えを学ぶことによって、自分たちの生きている理由がわかっていく。意味がわかると主体的に神の教えを守ることになるのです。そういう形で学び教えるシステムができています。
 

◆代表的な教育の場

 ユダヤ教徒が2000年の間、実行してきたことで、驚くべきことのひとつが「安息日」という制度です。7日間のうち1日は聖なる日で、一切の仕事をしてはいけないという教えがあります。
 2番目は「シナゴーグでの集会」です。安息日にはシナゴーグへ行って礼拝をし、神の言葉を朗読して、説教を聞き、神が何を我々に命じているのかをみんなが知るようなシステムを作りました。
 3番目に「トーラーの朗読」があります。あの“巻物”(聖典『モーセ五書』)を毎週読み進んで行って、1年で全部読み終わるようになっています。創世記からモーセが死ぬところまで毎年くりかえして読み、どの箇所にどういう教訓があるのか、常に説教を聞いて学びます。大事な点は「世界中のユダヤ人が、その日に、同じ個所を朗読して学習している」ということです。日本にいようが、イスラエルにいようが、ユダヤ教では「この安息日にはここを読みます」と決まっているんです。このように、同じ解釈を共有すると、「誰も知らない解釈を捻り出すこと」が彼らの喜びになるのです。
 

◆なぜ心理学者にユダヤ人が多いのか?

 今、アメリカ合衆国には、世界のユダヤ人の約半数がいます。そして、アメリカの心理学者の約8割はユダヤ系です。それはなぜかと考えると、ユダヤ人の生活の中に、心理学とうまく響き合うような三つの特徴が見られるのです。
 ひとつは「専門性への尊敬」。ユダヤ教のラビや医師など、専門職の知識に対する尊敬があります。
 2番目は「悩みを言葉にして伝える」。ユダヤ人は自分の苦しみや悩みを言葉に表して相手に伝えます。言ったら恥ずかしいようなことでも、言葉にして表すということが、彼らの文化としては大事なんです。
 3番目は「人間は変わることができる」という考え方です。神の教えを守っていると、神は良い方向に世界を変えていくという発想を持っています。
 ですから、専門のラビのところに行って悩みを語ると、ラビはそれに対して適切に変革する方向を示してくれます。そうした特徴がラビだけではなく、心理学者などにも応用されていくわけですね。
 

◆最後に

 最後に、今まで私がユダヤ教を学んできて、思うところをまとめてみます。
 まず「ユダヤ教は幼子にとっての母の手」ということが思い浮かびます。つまりユダヤ教という「母の手」をずっと握っていれば、その人はこの世でどんなに辛いことがあっても、幼子のように自由に振る舞っていけるということだと思います。
 それから「良い質問をほめる親」。ユダヤ教では教育において、子供が100点を取っても親は単純にほめません。そういう親ももちろんおられると思いますが、ここではそれとは違う見方があることをご紹介します。実は、良い質問をするとほめるのです。良い質問とは、教師が答えられない質問、あるいは答えが見つかっていない質問です。例えば物理学者の間で、誰も答えられない質問に答えることができれば、最も権威がある人になるわけですよね。
 そして「論争を良しとする文化」があります。ユダヤ人たちはしゃべることが非常に好きで、論争は悪いことではないと考えています。違う意見を抑え付けるのではなく、みんなで言い合うのです。
 それから先ほどもお話しした「運命を使命へ転換する」や「悔い改めの文化としてのユダヤ」。そういう意味で彼らは、心理学や精神分析もそうですけれど、「魂の開発。人間は変革できる」ということが好きなのでしょうね。
 そして最後に「トーラー~それ自身のための学問」です。神の教えは、自分の地位や名誉を得るためのものではなく、その教えを学んで実行していくのだという姿勢を、ユダヤ人は一貫して持っています。世界中に散って行ったユダヤ人にとって、神とのつながりがいちばん大事なのです。そういうことを繰り返してきたからこそ、今日まで弱いと言われていながら、いちばん強く生きてきた人たちという印象を持っています。
 我々もぜひ、こうしたユダヤ文化を参考にしていきたいと思っております。長い間、ご静聴ありがとうございました。


(平成25年7月28日、東京・立川にて)


 

【市川裕先生】
 宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科教授。専門はユダヤ教の研究。東京大学法学部を卒業後、大学院人文科学研究科修士課程の宗教学・宗教史学専攻課程を修了。イスラエルのヘブライ大学に留学。筑波大学で教鞭を取った後、東京大学教授に。著書に、写真や図版を多く収録した『ユダヤ教の歴史』(山川出版社)、『ユダヤ教の精神構造』(東京大学出版会)、監修書に「Pen BOOKS 19 ユダヤとは何か。聖地エルサレムへ」 (阪急コミュニケーションズ)など多数