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世界の諸宗教に出会う

「あの世と仏教 霊魂・葬儀・先祖供養」 正木晃先生(仏教編)

◆仏教では霊魂の存在を認めるか

 今、日本の仏教系の大学では、原則として「お釈迦様は“霊魂”を認めませんでした」と教えるんですよね。ところが、日本では、明治維新まで「霊魂はある」ということを前提にして、葬儀も何もかも営んでまいりました。例えば、空海の『性霊集』(手紙の集成)や、源信の『起請文』(看取りの会の設立趣意書のようなもの)には「霊魂があの世に行く」とはっきり書かれています。源信の『起請文』には「人が亡くなったあと、すぐパッと極楽には行けない。鎮魂供養が必要だ」と書いてあるんです。鎮魂をして初めて、魂が浄化され、極楽に往生できるからです。
 日本の仏教のそうした実践にもかかわらず、明治以降になると、欧米から、学問としての「仏教学」が入ってきて、その影響を強く受けるようになりました。
 

◆近代仏教学の功罪

 この「仏教学」には大きな功罪がございます。例えば、日本の仏教は中国を経由した仏教ですが、近代仏教学はサンスクリットやその前のパーリ語で研究することで、飛躍的に学問の領域が広がって深まりました。しかし、どこかで宗教あるいは信仰ではなくなってしまい、思想や哲学になってしまったんですね。
 仏教が思想で哲学だと言っている方におおむね共通することは、修行をなさったことがないということです。頭の中だけで考えて仏教に向かうと、どうも思想や哲学になってしまいます。でも、それはいちばんおかしなことで、そもそもお釈迦様は「自分が言ったこと、あるいは宗教全体に関して、哲学的な論議はするな」とおっしゃったんですよね。宗教あるいは信仰だということを見失いますと、近代仏教学の悪い部分だけが出てきてしまうような気がいたします。
 いわゆる近代仏教学の学者さんたちは、あの世について、ほとんど論じないと思います。霊魂についても、論じる際は「ない」という立場からばかりで、「ある」という立場からは論じません。近代仏教学の伝統は、たかだか100年ちょっとですよね。日本の仏教の歴史は1500~1600年あります。
 特に日本人は、日本人なりの仏教というものを築いてまいりました。「山川草木悉皆成仏」と申しまして、自然も全て成仏をするという考え方でございます。ダライ・ラマ猊下も3年ほど前から(日本的な仏教観から学んで)「自然も成仏する」とはっきりおっしゃっておられます。
 

◆『いま知っておきたい霊魂のこと』

 NHK出版から出ております私のこの本では、“霊魂”について、誰もが知りたいと思うような17のテーマを設け、できるだけわかりやすく書かせていただきました。その中から、いくつかのテーマを選択して、お話しいたします。
 

◆テーマ①「お化けと幽霊の違いは」

 お化けは、もともと森羅万象に宿る神様です。誰もお祀りしなくなりますと、不良化してぐれるんですね。これがお化けで、妖怪という呼び方もあります。幽霊は、ちゃんと成仏できなかった人の霊魂です。
 幽霊をご覧になった方、いらっしゃいますか? 何人かいらっしゃいますね。お坊さんに聞いても、見たあるいは感じたという方は非常に多いと思います。ただ、そのことを言いたがらないかもしれません。また、新聞報道もされましたが、東日本大震災の被災地では、ずいぶん幽霊が出ておりますよね。
 

◆テーマ②「死んだ人はどうなるのですか」

 この問題は、特に3月11日以降、非常に大きくなったと思います。それまで、特に近代の仏教学では、死の問題はあまり論じられてきませんでした。ですから、本来の目的を見失って、葬式しかしない“葬式仏教”と言われてしまうわけです。
「死んだらそれでおしまいだ」と考える宗教はごくまれだと思います。死後の存在を認めるところから、宗教は出発している可能性が高いのではないでしょうか。
 お釈迦様自体は、輪廻転生にひと言も触れておりませんが、仏教の場合は原則として、「輪廻転生」をすると考えてきました。ですから、インド、チベット、スリランカではお墓を作らないのです。日本でも輪廻転生すると考える地方がいまだにございます。
 

◆テーマ⑥「霊(霊魂)は祟るのですか」

 昔の日本人は、恨みつらみが残っていると祟ると思っていました。源氏物語の六条御息所の生き霊、菅原道真、崇徳上皇など、怨霊といわれる存在が非常に大きかったのです。
 仏教史を調べていらっしゃる方が最近よくおっしゃるのは、「日本の仏教にとって、いちばん大きな課題のひとつは、怨霊をどう鎮魂して成仏させるか」であったということです。仏教学の人はこういう話を一切いたしません。でも、これが現実だったことも事実なんですね。
 

◆テーマ⑦「除霊することは可能ですか」

 最近、私が危惧しておりますのは、霊を除いてしまうという「除霊」です。弘法大師も皆そうなんですが、日本人はやはり除霊のような乱暴なことではなくて、お祀り、つまり鎮魂をして、浄化していただいて、きちんとあの世に行っていただく、ということを考えてきたのだと思います。
 しかし、「除霊」は排除してしまうことで、キリスト教のエクソシストなんですね。どんなに荒れている御霊であっても、きちんと鎮魂をして、成仏をしていただかないと、かえって悪いことが起こるだろうという気がします。
 

◆テーマ⑧「どうすれば鎮魂ができますか」

 鎮魂は難しいことです。源信はまず鎮魂をして、御霊を浄めて、そして極楽に行っていただくのだそうです。非業の死を遂げた霊魂や、自分が死んだことをわかっていない霊魂には、ちゃんと「あなたは死んだんだよ、行くべきところに行きなさい」と教えてあげなくてはいけないのだそうです。
 

◆テーマ⑩「お墓や仏壇に霊魂はいるのですか」

 日本ではお墓があって、仏壇の中に位牌があり、浄土あるいは霊界を想定しております。お盆やお彼岸にはご先祖様の御霊をお迎えしますね。「じゃあ、いったいどこに霊魂がいるんですか?」という質問ですが、お墓と位牌とあの世と、同時に三カ所にいても全然、構わないんです。チベットの密教の奥義書『智慧金剛集』にも、「もう物理法則などから自由なんだから、同時多発的にいていい」と書いてあります。
 

◆テーマ⑪「霊魂は骨に宿るのでしょうか」

 日本人にとって「仏」は三つあるんですね。ひとつは、阿弥陀様とかお釈迦様といった悟りを開いた存在です。それからご先祖様も、遺体も仏。そして遺骨も仏です。みんなまとめて仏としてあがめ奉るというのが、日本の仏教の実態だったと思います。
お釈迦様は遺言として、「自分が死んだ後は、自分の遺体を荼毘に付し、十字路に仏塔を建てて、そこに遺骨を祀れ」とおっしゃっています。
 

◆テーマ⑭「お葬式にはどんな意味がある」

 死んだ方の霊魂を、行っていただくべきところにきちんとお送りするのがお葬式です。ですから、省略したり、お葬式をしなかったりするのは、困ります。これは冗談ですが、もし霊魂の存在を認めずにお葬式を行うとすれば、宅配便が何も届けずに料金だけ請求するに等しいのです。
 やはり死後の問題というものをきちんと捉えないと、倫理観や道徳観というものが崩れてしまいます。生きているだけが全てという考え方は、あまり良い方向に向かわないと思います。
 お釈迦様自身がなさったかどうかわかりませんが、“葬儀”も“先祖供養”も、かなり早い段階から仏教教団の中で行なわれていたのは、確かなようであります。
 以上、ここまで、私の本『いま知っておきたい霊魂のこと』(NHK出版)の中の17のテーマから、一部を選んでお話ししました。

 

◆死後の存在を認めたほうがより良く生きられる

 現代の複雑な社会の中で、「死んでしまえば何も残らない」と考えるよりは、死後の存在を認めたほうが、より良く生きることができると私は考えています。亡くなった方が今もどこかにいるという感覚を持っていたほうが、我々が生きていく上でも、自分の死後を考えた時も、より豊かなものがあるだろうと思うんです。そして、死後の存在というものは、霊魂という形で考えざるを得ないのだろうと思います。
 

◆ブッダは霊魂を否定しなかった

 最後にお話しいたしますが、これはなかなか難しい問題をはらんでおります。
 お釈迦様は「何も変わらずに永遠に存在しつづけるもの」に対して、否定したことは事実です。逆に言えば「変わり続けるもの」は存在していいんですよね。霊魂に関しても“常に変容して止まないけれど、続いていく何か”と考えれば、存在していいのです。
 「霊魂」について、原始仏典の一つ『相応部(サンユッタ・ニカーヤ)』の中に書かれていて、岩波文庫から中村元先生の訳で『悪魔との対話』というタイトルで出版されております。この中に“ヴィンニャーナ”という言葉が出てまいりまして“識別力”と訳されております。昨年、春秋社から出た新しい訳では、その“ヴィンニャーナ”を“識”と訳しています。注釈には「認識体」「意識体」、いちばん最後にひらがなで「たましいのこと」と書いてあります。「ブッダは霊魂の存在を認めない」という誤った金科玉条を守ってきたので、現在も本文では“たましい”と訳せないのですね。
 この『相応部』に登場するお釈迦様の弟子、ゴーティカとヴァッカリは、悟りの境地に達した後で亡くなり、霊魂がなくなっています。悟ってしまえば何も残らないかもしれませんが、悟らない限りにおいては、やはり霊魂は残るのです。
 同じように、日本の臨済禅の世界でいちばん偉いと言われている大燈国師や、明治以降、最高の禅僧といわれた釈宗演も「霊魂が残る」と考えていました。そういう偉い方が言ったことを、戦後の日本の大学教育の中で無視して、「人が死んだら何も残りません」と教えてしまうのですが、決してそうではないと思います。
 『いま知っておきたい霊魂のこと』でも紹介させていただいたお話ですが、ある方が海外で亡くなって、遺体が日本に届けられた時、母親はその魂に「戻ってこい」と呼びかけました。母親いわく「魂がまだ海外にあって、日本に戻ってきていないから呼んだ」そうです。
 日本人には、こういう感覚がずっとあって、それはとても良いものだと私は考えています。それが「仏教の本義にそぐわないからだめだよ」と言ってしまった時、いちばん重要なものが失われてしまうのではないかと思っております。
葬儀や鎮魂の大切さ、ブッダは霊魂を否定しなかったことなどをお話ししました。ご清聴、どうもありがとうございました。


(平成25年3月2日、東京・立川にて)

 
【正木晃先生】
 筑波大学大学院博士課程を修了、国際日本文化研究センター客員助教授、中京女子大学助教授、純真短期大学教授を経て、現在は在野の研究者として早稲田大学、慶応大学文学部・立正大学仏教学部などで教鞭を執る。宗教学、とくに日本密教・チベット密教が専門だが、教学のみならず、信仰・実践も含めた仏教の姿をわかりやすく伝えることも重視してきた。
 近年、日本仏教の現状と将来についての問題意識から、僧侶の読者やより広い一般読者を想定した『お坊さんのための「仏教入門」』(春秋社刊)、『今、知っておきたい霊魂のこと』(NHK出版)『法華経ってそういうことだったのか。』(三一書房)、『お坊さんなら知っておきたい「説法入門」』(春秋社、近刊)などを著す。