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「人類の古典として読む『旧約聖書』」 月本昭男先生(キリスト教編)

 今日は『旧約聖書』についてご紹介させていただければと思ってまいりました。
 ご存じのように『聖書』というのは、キリスト教が、生活のあるいは教えの基盤にしてきた書物です。その『聖書』には『旧約聖書』と『新約聖書』の2種類がございます。
 

◆『新約聖書』と『旧約聖書』

 『旧約聖書』は、実はキリスト教よりも古いものであります。キリスト教が成立する前に、ユダヤ教の世界で成立した書物で、もともとはヘブライ語という古代イスラエルの言葉で記されております。キリスト教徒はそれを、自分たちの『聖書』として受け入れたんですね。そして、キリスト教の中で成立した書物から、大事なものを27選んで『新約聖書』と呼び、自分たち以前にユダヤ教で成立していた書物を『旧約聖書』と呼び習わすようになりました。
 この「約」は約束の「約」、契約の「約」でありまして、「信仰というのは神様からいただいた約束である」というふうに理解されました。そのために“古い約束の書物”、“新しい約束の書物”ということで、『旧約聖書』、『新約聖書』と呼んだのであります。
 『新約聖書』には、クリスマスや、イエス・キリストの教えと生涯などのお話が出てまいります。
 

◆39の書物からなる『旧約聖書』~「TaNaKh」 

 『旧約聖書』は、1冊にまとめられておりますが、全体で39の書のうち、非常に長い書もあれば、わずか数章の短い書もございます。それらをまとめて、キリスト教徒は『旧約聖書』と呼びました。ユダヤ教徒にとっては、今日なお、それが『聖書』なのであります。
 では、『旧約聖書』は、どんな内容かといいますと、実に多様であります。伝統的にユダヤ教徒は、その39の書物を3つに分類してきました。1つはトーラー(律法)で、モーセの十戒を中心とした5つの書物です。そのいちばん最初に、天地創造、アダムとエバが楽園を追放されるお話や、ノアの洪水のお話などが出てきます。ユダヤ教徒はこのトーラー(律法)というものを最も大切にし、巻物にしてシナゴーグ(ユダヤ教の教会)に安置しております。
 その次には、ネビイーム(預言者)という書物があります。前半は歴史書、後半が紀元前8世紀から紀元前5世紀ぐらいまでに登場した、預言者の言葉を集めた預言書であります。
  それ以外の書物はケトゥビーム(諸書)と呼ばれ、その中の大きなものは“詩編”です。これは古代イスラエルの人たちがうたった歌であります。死別を嘆く歌、お祭りの時に読んだ詩、王の詩編、感謝の詩編など、多様性に富む150篇が集められております。ケトゥビームには雅歌(愛の歌)があります。「愛は死よりも強い」など、男女の愛を歌い、讃えたものであります。『聖書』といいますと堅苦しく考えがちですが、この雅歌には、神様という言葉が一言も出てこないのです。
 知恵文学というジャンルがありまして、その中に格言集があるんですね。「人生しっかり正直に生きなさい」というような格言もございますが、笑いを誘うような格言もございます。知恵文学にはこの他に「コヘレトの言葉」と「ヨブ記」などの書物があります。復た、歴史物語というジャンルもございます。
 ユダヤ教徒は、トーラー(律法)、ネビイーム(預言者)、そしてケトゥビーム(諸書)の頭文字であるT、N、Kを取り、発音しやすくaを加えて「TaNaKh」(タナク)と呼びました。この語は今日なお『旧約聖書』のことを指すのであります。
 

◆いつ誰がまとめたか?

 では、このような『旧約聖書』を一体誰が書いたのか。預言者の名前はわかります。しかし、『旧約聖書』の各書を誰が書いたのかはほとんどわからず、「コヘレトの言葉」や「ヨブ記」を書いた個人もわかっておりません。
 しかし、古代イスラエルの民の間で培われました「目に見えない唯一の神への信仰」からの視点で世界を観察し、歴史を振り返り、そして人間を深く洞察した、そうした信仰者たちの思想、それが『旧約聖書』には、時にさりげなく、時には明示的にたたみ込まれているのであります。
 39の書物からなるこの『旧約聖書』は、だいたい紀元前の2世紀、今から約2100年前にまとめられたと考えられております。最も古い時期に書かれたと思われますのは、紀元前の7、8世紀。今から2700年から2800年ぐらい前であります。最も新しいものは、紀元前の160年くらいに書かれたという部分であります。ですから全体として『旧約聖書』を見ると、非常に古い書物だということがおわかりいただけると思います。
 

◆弱小の民族が残した『旧約聖書』

 この『旧約聖書』を残した古代イスラエルの民族は、どういう民族だったでしょうか。メソポタミアのアッシリアとかバビロニア、後にはペルシャといった大国があり、もう一方にエジプトという強大国があり、その両方の力関係の中で、大きな波に揺られる小舟のように歴史の中で翻弄され続けた“弱小の民族”でした。『旧約聖書』をみますと、彼ら自身も「先祖はエジプトで奴隷であった。そこから解放された民族だ」という物語を伝えています。紀元前の722年には、アッシリア帝国によって北イスラエルが滅ぼされます。紀元前587年には、今度はバビロニアによって、エルサレムを中心とした南のユダ王国が滅亡することになります。
 紀元後70年、ローマ帝国の属州であったイスラエル国は「自分たちは歴史の長い国だ」「自分たちの背後には唯一絶対の神様がいらっしゃる」と、無謀なことにローマに対して独立戦争をするんですね。しかし勝てるはずもなく、エルサレムはローマによって滅ぼされ、ユダヤ人は世界に散らばるのであります。
 それから1948年の5月に現代のイスラエル国家ができるまで、ユダヤ人は、ほぼ1900年にわたっていわば流浪の民として、ナチス時代のドイツの迫害をはじめ、さまざまな苦難の歴史を経てまいりました。その彼らを支えたのが『旧約聖書』、彼らの言葉で言えば「TaNaKh」(タナク)でありました。
 

◆『旧約聖書』の影響力

 『聖書』はユダヤ教を生み出し、『旧約聖書』からキリスト教が生まれます。それだけではありません。その600年後、アラビア半島に起こったイスラム教にも大きな影響を与えます。イスラム教の教えでは、人類の父祖はアダムとエバなのですね。これは『旧約聖書』の物語をそのまま受け継いでいることを意味します。そういう弱小の民が残した書物が、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などを通して、かけがえのない大きな影響を及ぼしたのであります。
 

◆『旧約聖書』の持つ古典性

①  批判精神

 『旧約聖書』の持つその秘密を私は“古典性”と呼んでおります。その中から3点をご紹介させていただきます。“古典”とはもちろん、単に古い書物というだけではありません。「書物の形を取った人類の精神的な遺産だ」と言ってよろしいでしょうか。
 その古典性の3つの第1番目は、預言者の“精神”、特に批判精神であります。その批判を区別すると、社会批判と政治批判、そして意外なことに宗教批判を見てとることができます。具体的に、批判精神が表れる預言書の言葉を引用してみましょう。イザヤという預言者の、社会批判の言葉です。「お前(イスラエル)の高官たちは頑迷で、盗人らの仲間、こぞって賄賂を好み、贈物を追い求める。彼らは孤児のために裁きを行わない。寡婦の訴えは彼らのもとに届かない」(イザヤ書1章23節)。社会に正義と真実が行われないということを、預言者は見逃すことができなかったのであります。そして社会に正義が行われるということは、最も貧しい人たちがしっかりと支えられることだと、彼らは信じたのであります。
 政治批判にまいりましょう。「エフライム(イスラエル)は鳩のようで、愚かしく悟りがない。エジプトに呼び求め、アッシリアに赴いた」(ホセア書7章11章)。エジプトは南の大国、アッシリアは北の大国です。その狭間にあって、どちらかの傘の下に入ろうという政治を行なっている。それは愚かしいことだというのが、預言者の視点でありました。
 宗教批判にまいりますと、「わたし(神)はお前たちの祭を憎み、斥ける。祭りの献物の香りも喜ばない。お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。竪琴の音もわたしは聞かない。公正を洪水のように、正義を大河のように、尽きることなく流れさせよ」(アモス書5章21—24節)という言葉が残っています。宗教的なお祭りよりも、公正・正義・真実を社会で実現することのほうが重要であって、それこそ本当に神を信じるということの内実だ、というのが預言者たちの眼差しであります。
 預言者たちは、人類の精神史の中で最も早い時期に、社会を、政治を、そして宗教そのものを非常に冷静な眼差しで見つめたのだなと、そう感じざるをえないのであります。
 

②選民思想

 第2番目は、“選民思想”ということであります。古代イスラエルの人たちは自分たちを「神から選ばれた選民だ」と信じておりました。なぜ自分たちが神から愛されたかというと、自分たちは世界で最も貧しくて弱い民族であったから、神様は私たちを選び、あのエジプトの奴隷から解放してくださったのだと信じたのですね。ユダヤ教徒が今日、最も重要な祭りとして伝えている「過越祭」(すぎこしのまつり)でも、エジプトから脱出したことを祝い、その物語がユダヤ人の歴史の原点として、今日まで毎年、繰り返し伝えられているのであります。
 この物語はさらに、ユダヤの民を超えて大きな役割を果たしてきました。アメリカでは、奴隷にされたアフリカ系の人たちが黒人霊歌の歌詞として「ゆけ、モーセ、パロ(エジプトの王、ファラオ)に告げばや、わが民、去らせよと」と歌い、解放への希望を託して出エジプトの物語を伝えたのです。あるいは、戦前、日本に植民地支配されていた朝鮮半島の教会で、好んで読まれたのであります。

 
③  ダイナミズム

 そして最後に触れさせていただきたいのは、『旧約聖書』の“ダイナミズム”です。多様性、多面性が特色である『旧約聖書』は、悪く言えば矛盾だらけです。
 たとえば、「神様は唯一であって、天にいて、すべてを創造した」と言う一方で、その絶対的な神様が後悔することもある。あるいは、この『旧約聖書』のいちばん最初の「創世記」では、「この世界は極めて調和ある世界として造られた」と語られますが、「コヘレトの言葉」という書物では、「空(くう)の空(くう)、空の空、一切は空である」と始まるんです。仏教的ですね。このように、まったく矛盾した見方が『旧約聖書』の中に共存しているのであります。
 要するに『旧約聖書』というのは、あるひとつの教えの矛盾を隠そうとせず、露わにしているのであります。論理的な整合性よりも、現実的なリアリティというものに目を向けた、そういう書物なのかなとも思います。
 『旧約聖書』では、モーセもダビデも理想化されません。あからさまな生き様を、そのまま描いています。そのような多角的、多面的な視点というのが、『旧約聖書』の第3番目の特色であり、古典性かなと思うのです。この複眼的な視点を引き継いでいるのは、今日のユダヤ人だと思います。
 

◆「満場一致の議決は無効である」

 最後にユダヤの格言をひとつみなさんにご紹介して、話のしめくくりとさせていただきます。「満場一致の議決は無効である」。何かを決める時に、満場一致で決まったものはあてにならない。人はそれぞれ違うのだから、さまざまな発想をしてもいい。これがユダヤ人の考え方です。そういう原点がこの『旧約聖書』という書物にあるのだなと、思わされるのであります。
 今日は、『旧約聖書』は、古代イスラエルの弱小の民族が残したユダヤ教の『聖書』であること、その批判精神・選民思想・ダイナミズムといった特徴が人類の古典として受け継がれていることなどをご紹介させていただきました。ありがとうございました。

 

(平成25年1月13日、東京・立川にて)

 

【月本昭男先生】
 東京大学大学院で宗教学を研鑚後、ドイツのチュービンゲン大学で、くさび形文字を研究し、哲学博士の学位を取得。現在、立教大学文学部キリスト教学科教授。専門は聖書学、宗教学。聖書考古学者として、オリエントの発掘にも携わる。日本オリエント学会賞、流沙海西(るさかいせい)学術賞、日本宗教学会賞などを受賞。著書・訳書に『古典としての旧約聖書』(聖公会出版)、くさび形文字から解読した訳書『ギルガメシュ叙事詩』(岩波書店)、『古代メソポタミアの神話と儀礼』(岩波書店)、『目で見る聖書の時代』(日本キリスト教団出版局)など多数。画家・平山郁夫所有のくさび形文字文書の解読なども行った。