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世界の諸宗教に出会う

「ギリシア正教-地中海から世界へ」 久松英二先生 (キリスト教編)

世界のキリスト教のなかの「ギリシア正教」

 本日はギリシア正教という、同じキリスト教といっても日本ではあまりなじみのないキリスト教について、外から眺めた姿という視点からお話しさせていただきます。

クリスチャンの人口 

 2011年、ピュー・リサーチ・センターという、アメリカの世論調査の機関によって、世界のクリスチャンの人口が発表されました。それによると世界には、21億8千万人のキリスト教徒(クリスチャン)がいます。2010年の世界人口がだいたい69億人ですから、そのおよそ3分の1がクリスチャンということになります。世界全体で見ると、キリスト教は最も大きな宗教になるわけです。そのキリスト教の中で、カトリックが約50パーセント、プロテスタントは37パーセントいます。ギリシア正教は12パーセントで、数にしますと2億人以上ということになります。
 ちなみに日本のクリスチャンの数は100万よりちょっと上ぐらい。その中でカトリックは43万人ぐらい、プロテスタントは50数万人です。

西方キリスト教と東方キリスト教

 世界のキリスト教は、西方キリスト教(西方教会)、そして東方キリスト教(東方教会)の2つに分かれます。
 西とか東という表現というのは元来、ローマ帝国時代に遡るもので、地中海を東西分割する線、バルカン半島の西の付け根あたりを通る経線を基準に分け、東と西というふうに呼んでいます。
 西方キリスト教に該当する伝統的な宗派は、カトリック、プロテスタント、それから、聖公会という、英国国教会系に属する宗派です。これら3つの宗派に属さないすべての伝統的なキリスト教が、東方キリスト教になるわけです。

カルケドン派

 この東方キリスト教も、さらに2つに大別されます。451年に開かれたカルケドン全地公会議で定められた、「キリストとはどんな存在か」についての教えがあります。「キリストは神性と人性を兼ね備える」という、その教えに従うグループをカルケドン派といいます。このカルケドン派の東方キリスト教のことをギリシア正教会(東方正教会)と呼びます。西方キリスト教もすべてカルケドン派です。 

ギリシア正教

 東方正教会をなぜギリシア正教と呼ぶかというと、ギリシア式典礼を採用し、実践している諸教会だからです。
 このギリシア式典礼というのは、東ローマないしはビザンツ帝国という、1453年まで約千年間続いたこの帝国のキリスト教が採用していた典礼のことです。カトリックはローマ典礼を使っています。
 ですから世界のキリスト教は、西方教会、東方正教会、そして東方諸教会の3つに区分されることになります。
 

ギリシア正教の成立史

キリスト教、ローマ帝国に普及

 キリスト教は、イスラエルで生まれ、紀元1世紀半ば頃からローマ世界に普及しました。その普及に最も寄与したのが、パウロの世界伝道でございます。パウロは3回ほど伝道旅行をしており、パレスチナから出て、ギリシア世界、そして最終的にはローマまで行っております。 

地域住民および帝国からの迫害

 実はこのキリスト教、普及するにつれて地域住民との軋轢が生じてくるんですね。当時のローマは多神教の世界で、それぞれの地域に守護神がいますけれども、キリスト教はそれを拒否するわけです。ですので、あちこちに地域的なレベルでの迫害が起こります。
 そして、64年にローマ帝国として初めてキリスト教に迫害の手を加えたのが、ネロ皇帝でございます。この時に、キリストの一番弟子であるペトロと、キリスト教の世界的な普及に貢献したパウロ、両方がネロのもとに迫害されて殉教します。そのペトロの亡くなった場所、そこに現在のバチカンができております。ここにあります、サン・ピエトロ大聖堂ですね。

「ミラノ勅令」(313年)と遷都(330年)

   313年、コンスタンティヌスが皇帝の座につきました。彼はそれまでの歴代の皇帝の政策を中断させ、キリスト教を公認宗教と認める「ミラノ勅令」を313年に発します。これにより、それまで地下活動を続けていたキリスト教は爆発的に普及して、ローマ帝国の精神的な統一の原理は、事実上キリスト教ということになったわけです。
 そしてコンスタンティヌスは、330年、地政学的な一大改革をします。ローマ帝国の首都を、ローマから今のイスタンブールに定め、コンスタンティノポリスという名前をつけたのです。
コンスタンティヌス帝(*1)

テオドシウス帝、キリスト教を国教化(380年)

 テオドシウスは380年、キリスト教をローマ帝国の国教にします。そして392年には「キリスト教以外は駄目だ」という異教禁止令を発するわけなんです。キリスト教の迫害をストップしましょうといったミラノ勅令がちょうど80年前(313年)ですね。たった80年の間にこのような変化が起こったということは、非常に注目すべき事件でございます。

西ローマと東ローマに分割(395年)

 ところがこのテオドシウスが亡くなった直後に、ローマ帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国に分割します。西ローマ帝国の首都はラヴェンナになり、ローマは宗教の中心として存続するわけです。一方、コンスタンティノープルは宗教的にも政治的にも、東ローマの中心地として繁栄していきました。

西ローマの滅亡(476年)とローマ教皇の権威高揚

 ところが西ローマ帝国はその後、相次ぐゲルマン人の侵入により、476年に滅亡します。しかし、ローマの街そのものは、ローマ教皇の住んでいるところということで存続しまして、ローマ教皇は次第にこのゲルマン諸族をキリスト教化していき、西ヨーロッパの精神的統一のシンボルとしての権威を高めていきました。

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は1453年まで存続

 一方、東のほうはコンスタンティノポリス総主教、これを頭とするギリシア正教として、独自の歩みを始めたわけです。東ローマ帝国、後のビザンツ帝国の首都、コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)は、1453年に帝国が滅びるまで首都として存続しました。

大シスマ

 431年のエフェソス全地公会議で、イエスの母・マリアを「神の母」(テオトコス)と呼ぶことに反対する運動を展開したネストリウス派が、さらに451年のカルケドン全地公会議でイエスの中の神性は認めるけれど、人性(人間であるということ)は認めない単性論派が異端とされ追放されました。
 問題はその後なんです。カルケドン派の内部で分裂が起こったんです。 
 カトリックとギリシア正教会、両者ともカルケドン派なのですが、その東西の両教会が、教会の習慣や領土、あるいは教理問題でどんどん摩擦を起こすようになってきたんですね。1054年にある事件がきっかけとなり、互いに破門しあい、とうとう断絶したんです。これが東西両教会分裂、「大シスマ」と呼ばれます。当時は、この相互破門が20世紀まで続く断絶になるとは、誰も予想していなかったんですね。 

十字軍がコンスタンティノープルを襲う

 ギリシア正教は、この大シスマを経て独自路線を歩み始めましたが、待っていたのは、十字軍による帝国の蹂躙(じゅうりん)です。
 十字軍は、イスラム教徒によって支配されたエルサレムを奪回するために、教皇が組織した遠征軍ですよね。ところが1204年、第4回十字軍の時には、すでに分裂しているコンスタンティノープルを襲ったんですね。キリスト教がキリスト教を襲うという、非常に悲しい歴史がそこにあります。それによって一時期、カトリックの人たちがその東を治める時期があったんです。ラテン帝国時代と呼ばれていますけれども、1204年から1261年の約57年間、屈辱の時代を送ることになります。
 その後、メフメト2世に率いられるオスマン軍によって、コンスタンティノープルは陥落し、ビザンツ帝国は1453年に滅亡します。


信仰の内容

正教ドグマ(教義)

 正教にとって厳密な意味でのドグマ(教義)というのは2つしかありません。神は三位一体であるという三位一体論。そして、キリストには神性と人性がそなわっている、本物の神であり本物の人であるという両性論ですね。

三位一体論       

 三位一体論は、神は存在としてはたった1人、キリスト教は一神教であるということですね。
 ところが、実は聖書の中にはこの父と子と聖霊という3つの神的な存在が出てきます。その3つのことをペルソナ(位格)と呼んでいます。聖書には父も子も聖霊も、神でありそれぞれ固有の働きをなすものとして表明されていますから、これも神と言われている、しかし神は1人であると。三位一体は、こういう考え方を持っています。
 ところが、同じ三位一体、西方も東方もその説はとりますが、考え方がちょっと違うんですね。

西方教会の三位一体

 西方は三位一体を考える時、キリスト教の神が3つの位格をもっていながら、唯一の神であることをどのように説明するかという、純粋に神学的な発想で見るんですね。これはキリスト教の神が異教の神と混同されないために、必要な発想だったわけです。ですから、3つの存在の固有性ではなく、神の一体性に注目して、神をいわば神として論ずる、そういう三位一体論なんですね。

東方教会の三位一体――至聖三者

 ところが東方教会では、神における3つの位格から考察します。その位格を強調するために、日本の正教会の用語では三位一体と言わず、「至聖三者」と言います。「一」という語がないでしょう? その代わり「三者」に力点を置いているところに注目してほしいですね。父なる神の役割は、世界の創造者としての役割です。子なるキリストは救済者としての役割。そして聖霊というのは世の始まりから終わりまで教会を導く、あるいは人間と関わり続ける、そういう聖霊の役割が強調されるということです。簡単に言うと、神は世界に向かってどんな働きをなすかという視点から見た三位一体論ですね。

原罪の影響

 三位一体論のほかにもう1つ、キリスト論があります。「キリストは真の神であり真の人間である」という教理です。
 聖書にはアダムとエヴァが出てきます。最初の人間ですね。二人はエデンの園で、食べてはならないと言われる禁断の木の実を食べてしまった。つまり神の言いつけを破った最初の罪であるということで、これを原罪と呼んでいます。
 原罪が、後の人間にどのような影響を及ぼしたかということについて、西方キリスト教とギリシア正教では、解釈が本当に違います。
 西方教会では、アダムとエヴァの犯した原罪によって、その罪の責任は、以後のすべての人間が遺伝的に負うものとして考えるんです。人間の本性(ほんせい)は、どうしようもなく傷つけられ堕落してしまった、罪の奴隷となって自ら罪を脱却できる力も自由意志も無くなってしまったと考えます。
 こういう悲観的な人間観とは対照的に、正教では、堕落したのではなく、いわば汚れただけだと考えるんです。本性を罪人とは考えず、実際に罪を犯すか否かは、あくまでも個人の責任というふうに見るのが、正教の考え方ですね。

救いとは?

 では、「救い」とは何でしょう? 救いというのは、「堕罪によって失われた神との永遠の交わりに人間が再び入る」こと。これが東西両教会に共通の救いなんですね。
 ところが、そこに至るための考え方がやはり違うんですね。
 西方は、本性が堕落しているから、徹底的な治療ですね。いわば、外科治療でもって回復させてあげなければならないと。そのために、キリストは十字架の死による自己犠牲という大変な苦労をしてくれた。人間は自分の救いのために何にもできない。だから、完全に神のみに由来する絶対的な恵み、傷つけられた本性の治癒、これが西方キリスト教の救いにあたります。
 ところが東方はちょっと違って、弱められた本性を再びパワーアップさせるというニュアンスです。例えるならば、本来持っている自然回復力というものを目覚めさせて、増幅させる。そういう漢方治療のようなものが、東方の考え方です。そうやって人間の本性を、神の本性にまで高めようとするのが東方の救済観で、これを東方は「神化」と呼んでいます。
 ここで神になるとは言っても、本当の意味で神になるんじゃないですね。神との交わりにふさわしい存在へと高められること、神の存在領域に受け入れられることを言います。
 そこで、キリスト論の「キリストは真の神であり真の人間である」という教理が非常に重要となります。この教理は人間の神化のためには欠かせない考えなんですね。というのも、もしキリストが真の神でなければ、人間を神の領域に引き上げることはできないと考えます。同時に、キリストが真の人間でなければ、その人間本性全体をまるごと神化させることはできないと考えたんですね。
 このキリスト論と三位一体論が全世界のキリスト教の、カルケドン派の教会の考え方であり、しかしその特徴というのは、東方の場合、今私が申し述べたようなことだということでございます。

*1:写真の出典 Statue de Constantin Ier, Musee du Capitole, Rome, by Jean-Christophe BENOIST.
 

(平成24年10月28日、東京・立川にて)

 

【久松英二先生】
 南山大学でカトリック神学を学び、大学院で神学修士を取得後、オーストリアのウィーン大学に留学。ビザンツ帝国末期のギリシア正教、神秘主義の研究で神学博士の学位を取得。南山大学助教授、神戸海星女子学院大学教授を経て、現在、龍谷大学国際文化学部教授として比較宗教思想を担当。
 著書に『ギリシア正教 東方の智』(講談社選書メチエ)、『祈りの心身技法 十四世紀ビザンツのアトス静寂主義』(京都大学学術出版会)。訳書にルドルフ・オットー『聖なるもの』(岩波文庫)。