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イスラームはどう世界に伝えられたか 小杉泰先生 (イスラーム編)

■サラーム(平安)の広まりがイスラーム世界

 私は、イスラーム学・中東地域研究を40年ぐらいやっております。アラビア語がもともと専門ですが、アラビア語は、みなさんあまりなじみがないですね? アラビア文字は右から左に書きます。これは「アッサラーム・アライクム」と読みます。イスラーム圏共通の挨拶ということになります。

 「アッサラーム」は「平和」、アライクムの「アライ」は「~の上に」、「クム」が「あなたたち」という意味なので、「アッサラーム・アライクム」で「平和(平安)があなたたちの上にありますように」となります。出会ったらこういう挨拶をするわけです。返事は「あなたたちの上にも平和がありますように」と答えます。  
ムクイラア             ムーラサッア
 (*←右から左に読む)
 この「アッサラーム」という言葉がどの辺に広がっているのか。発祥の地はアラビア半島ですが、日本からいちばん近いのは、東南アジアのブルネイやマレーシア、インドネシアです。フィリピンも南部にはイスラーム教徒がたくさん住んでおります。そこから西に進んでいくと、南アジア、中央アジア、西アジア、北アフリカとイスラーム圏が広がっています。さらに大西洋を越えて、南アメリカでも、イスラーム協力機構という国際機構に、ガイアナとスリナムが加盟しています。南アメリカへは移民で広がりました。ヨーロッパや北米のアメリカ合衆国、カナダにもそうとうイスラーム圏からの移民が入っています。宗教としてのイスラームは、人といっしょに、人が移動すればどんどん広がっていくわけです。  
イスラーム世界の広がり
 そうしますと、「アッサラーム・アライクム」が通じる所がイスラーム圏であると言うこともできます。元は7世紀のアラビア半島から始まったわけですので、1400年の間に世界の東西に広がったのです。イスラーム教徒を「ムスリム」と言いますが、今は世界人口のだいたい23パーセント、16億を超えたぐらいと言われています。 

 日本のイスラーム理解は、20世紀の後半から現代にかけてすごく進んできました。たとえば固有名詞の読み方にしても、日本では過去40年の間に「本人が発音している名前に近いものに変えましょう」と移り変わってきています。かつての日本では、イスラームは「回教」とか「回回教」あるいは「マホメット教」とよばれていました。ムハンマドもかつては「マホメット」とか「モハメッド」、アッラーも「アラーの神」と言っていました。

 
イスラーム (かつて:回教、回回教、マホメット教)
ムハンマド (かつて:マホメット、モハメッド)
アッラー (かつて:アラーの神)
クルアーン (かつて:コーラン)
マッカ、マディーナ (かつて+まだ:メッカ、メディナ)
 「イスラーム」は宗教の名前、「ムハンマド」は開祖の名前、「アッラー」は信仰する神の名前、「クルアーン」は聖典の名前、「マッカ」(メッカ)と「マディーナ」(メディナ)は聖地の名前です。人間関係でも、当人たちの名前は正しく呼ぶのが礼儀かと思います。
  聖典の「クルアーン」は、まだ「コーラン」も残っていますが、もう少しで変わるのではないでしょうか。

■イスラームの始まり:契約と共同体原理

 イスラームの開祖・ムハンマドという人は商業都市マッカで生まれました。アラビア半島は基本的に沙漠ですが、マッカとマディーナはオアシス都市です。ムハンマドは、このマッカの住民であるクライシュ族に生まれました。
 40歳頃に預言者と名乗りますが、マッカでの迫害が非常に激しくなり、ムハンマドは信徒を連れてマディーナに移住します。そこにイスラーム共同体を作りました。マディーナは、マッカと違って農業都市です。
 ムハンマドがマッカにいたのがだいたい13年、マディーナにいたのが10年。合わせて23年ぐらいが、ムハンマドが「預言者」と宣言してから世を去るまでの間です。その間にイスラームが確立されたわけです。
 
中東=一神教の故地

 イスラームの根本教義は、“二つの信仰告白”です。イスラームでは“内面の信仰”も大事ではありますが、公に何をするかという“行い”をとても重視しています。他人の前で以下の二つを口に出して言うこと(=告白ないしは証言)が大事とされます。
 「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーのほかに神なし)」、それと「ムハンマド・ラスールッラー(ムハンマドはアッラーの使徒なり)」。二人の証人(信者)がいる所でこれを公言すれば、社会全体が認めたのと同じことになり、誰でもイスラーム教徒になれるのです。

 イスラームでは、神が人の上にあって、神と人間の間を結ぶ縦の線、これは神と人間の契約を意味します。二人の証人がいて、二つの信仰箇条を告白すると契約完了なんですね。でも、証人が二人だけでどうして信用できるのでしょうか? それは信仰証言が神との契約だからで、証人はあくまでその公言を目撃する役割です。イスラームの世界は、“契約した人びとの共同体”で、その人たちの間は平等です。ムハンマドも人間にすぎません。人間の神格化は一切しないし、してはいけないとされます。  
神との契約(垂直軸)と共同体原理(水平軸)

 ムハンマドは商業に従事していましたが、40歳の時に「預言者」と宣言して「宗教指導者」になりました。共同体と共にイスラーム国家を作り「統治」をして、「政治の指導」をして、「立法官」として法律を定め、「仲裁者」として信徒の間を取り持ちました。「司法官」として裁判をしましたし、国家を作ったのですから「外交」もやりました。最後は戦いが起きると「戦略」も立て、自ら剣を持って「戦う」こともしました。ムハンマドは最後の預言者としてすべてのことについて人の手本になるわけですから、やっていないことがあっては逆に困るともいえましょう。 

■「メッセージ」としての聖典クルアーン

 預言者というのは文字通り「言葉を預かる人」で、未来を予知する人(予言者)ではありません。神が存在して、「神の言葉」がある。それを誰かが預かる。預かった言葉(預言)を広める人を「使徒」と言いますが、ムハンマドはその使徒の代表格だという考え方です。彼の受け取ったメッセージの中身も大事ですが、「メッセージを広めなさい」ということが重視されています。ムハンマドが23年間、「預言者としてこれを預かりました」とみんなに教えたことが、後でまとまって聖典・クルアーン(コーラン)になるわけです。
 この「クルアーン」はアラビア語で誦むことが重視されていて、基本的に翻訳しないのが原則です。アラビア語を知らない人も、礼拝の時に聖典の言葉をアラビア語で言わないといけません。アラビア語のクルアーンが、こうやって世界に広まっていくなかには、意味がわからないまま聖典のことばを受け取っている人たちもいるでしょう。それだけ、言葉通りにメッセージを伝えることが重視されているとみることができます。
 
 ムハンマドは大巡礼を一度しかしませんでした。その後まもなく世を去りましたので、この巡礼は「別離の巡礼」と呼ばれます。そのおり、マッカの郊外で説教をするのですが、12万人ぐらいの信者が集まっていたと言われています。
 山上から説教をしている彼が、「われは汝らに伝えたか?」と問いかけます。つまり「私はメッセージをみなさんに伝える役としてこの世に現れた。メッセージは伝わりましたか?」ということです。すると、一同が「しかり!(はい、あなたは伝えました。聞きましたよ)」と応えた。これが、イスラームが広がる原点ですね。
 それで彼はもう一つ言いました、「たとえ聖典の一節でも、われから伝えよ(その中からたとえ一節でもいいから、他の人びとに伝えてください)」と。彼が弟子たちに命じたことで一番大事なことは、このことでした。
 そして、イスラーム圏では商業・貿易が発達しましたので、商人が南アジア、東アフリカ、東南アジアなど、いろんな所へ行って商売をするようになりました。そのおりにイスラームの話をすることもあったでしょう。「ちょうど商売の契約をするのに、二人の証人を呼んでおいたから、ついでに(イスラームの信仰告白も)どうぞ」のようなこともあって、イスラームが広がったのではないかと想像されます。
 日本にイスラームが来るようになったのも、やはり商用などで日本に来た方が、生活に必要だからモスクをつくる、そこでイスラームの話をする、というようなことだろうと思います。そのようにふつうの人から広がっていくのですね。
 
 今日は、「イスラームはどう世界に伝えられたか」についてお話しいたしました。要約すると、イスラームの教えは、神が世界を作り、メッセージを使徒に預ける。そしてそれを受け取った一人一人が、さらにメッセージをみんなに種蒔いていくという、こういう発想になっているわけです。おつきあいいただきまして、どうもありがとうございます。

 
(平成24年6月28日、東京・立川にて)

 

【小杉泰(こすぎやすし)先生】
 北海道出身。エジプト国立アズハル大学を卒業。現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究科教授。
 『現代中東とイスラーム政治』で1994年にサントリー学芸賞、2005年に大同生命地域研究奨励賞。また、2012年の春に紫綬褒章を受章。
 日本人ならではのイスラーム理解を提案し版を重ねる『イスラームとは何か―その宗教・社会・文化』(講談社現代新書)、『ムハンマド―イスラームの源流をたずねて』(山川出版社)、『現代イスラーム世界論』(名古屋大学出版会)、『イスラーム 文明と国家の形成』(京都大学学術出版会)ほか著書多数。