なお、連載の開始にあたり、「世界宗教World Religions」ということばをめぐる学術的な議論について、補足しておかなければなりません。
「世界宗教」というとき、私たちはまず、世界中にメンバーがいる大宗教をイメージするでしょう。従来、人文系の諸学問では、「世界宗教」とは、(民族宗教などと対比して)“民族や文化の境界を越えて普遍的に広がっている”ような宗教を指していました。定義上は、大小は関係ないことになります。「世界宗教」の方が立派という意味もほんとうはないはずです。けれども、やはり「世界宗教」というといかにも立派に聞こえます。「世界」という言葉は、世界レベルに至っている、というイメージを醸し出します。
現実の宗教は、諸民族によって諸文化と混じり合いながらさまざまなバリエーションを展開します。けれどもそのことを見ずに、民族や文化の差を越えて普遍的な教えを展開する宗教を思い描いてしまったところに、近年の人文諸学、特に宗教学は、視点の偏りを見出します。植民地の(民族)宗教を何となく上からの視線で見てしまう(そして自分たちのキリスト教は世界宗教だと考える)宗主国の人々の世界観をひろいだし、それは適切な宗教理解ではなかった、と批判するのです。
いささか小難しい話になりましたが、「世界宗教」という言葉を避け、わざわざ「世界の諸宗教」という言葉を使っているのは、こんな議論もあるのだとお耳にとめておいていただければ幸いです。
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