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「聖なる自然:アンデスの宗教と文化」 実松克義先生(南米宗教編)

◆日本と南米との関わり

皆さんこんにちは。実松克義と申します。これまでずっと中南米を歩き回って、そこに伝わる民族文化、特に宗教を調べてまいりました。本日は、南米・アンデスの宗教と文化についてお話をしたいと思います。

写真1

南米は遠い地域ですが、じつは日本人と密接な関係があります。有名なマチュピチュの遺跡は、一昨年、日本人が最も出かける観光地ナンバーワンでした。ナンバーツーは、ボリビアのウユニ湖、そしてナンバースリーが、ペルーのナスカの地上絵です。意外な気がしますね。

それから南米といえば、たくさんの日系人がいます。写真1はボリビアのサンタ・クルスの近くに日本人が建設したサンファンという移住地です。現在もあって、800人ぐらいの日本人が生活をしています。それから、我々にとって一番記憶に新しいのは、アルベルト・フジモリ、前ペルー大統領ですね。このように、南米は遠そうに見えるけども、意外に日本との関わりがあるのです。

◆アンデスの地形と気候

さて本題に入る前に、まず、アンデスの地理的な環境についてお話しましょう。南米大陸は非常にわかりやすい地形をしています。(地図1参照)

西には南北にアンデス山脈が走っています。そして東には、世界最大の大河であるアマゾン川が流れています。

地図1

図1

アンデス山脈は、全長8千キロあります。図1はチチカカ湖辺りを東西に切った断面図です。左のほうが太平洋、右がアマゾンの低地です。上のほうが平べったいですよね。4千メートルぐらいの高度に平地があるという、特殊な環境です。これがボリビアでアルティプラーノ(いわゆる高原地帯)と呼ばれる地域です。

写真2はチチカカ湖です。太陽の島が遠くに見えます。大きさは、琵琶湖の12倍です。対岸は場所によっては見えません。一番長いところで170キロぐらいあります。すごく澄みきっていて、深いです。チチカカ湖は「ピューマの湖」とも言われます。宇宙から見ると、ピューマが走っているように見えるためです。

写真2

◆二系統の先住民族 — ケチュア族とアイマラ族

地図2

アンデス地域にはたくさんの先住民族が住んでいます。最も代表的なグループとして、ケチュア族、アイマラ族が存在します。ケチュア族のほうが、より広範に分布しており、その人口は約1千万人、あるいはそれ以上のようです。アイマラ族は、ボリビア、ペルー、あるいはチリに分布しています。人口は、約300万人です。

地図2の、ブルーのところはケチュア族、オレンジ色のところがアイマラ族です。ケチュア語はインカ帝国の公用語でした。インカ帝国は非常に広大な地域に渡っていて、彼らはそのインカの末裔です。こうした理由で、このような分布になっているわけです。一方アイマラ族は、インカに先行するティワナク文明の末裔です。アンデスの中央地域には、この二系統の先住民族が住んでいると覚えておきましょう。

◆ティワナクのシャーマンたち

それではこれからアンデス各地の宗教伝統について、いくつかの地域を選んで話したいと思います。地図3、4をご覧ください。

地図3

地図4

はじめにティワナクです。チチカカ湖の周辺はかつて高度な文明が栄えました。ティワナク文明(あるいはティワナコ文明)といいます。この地域は高度が4,000メートルもあり、非常に空気が薄く、1年の大半は荒涼としています。写真3はティワナク文明の遺跡で、カラササヤといいます。天文観測所であった可能性が高いと思います。このカラササヤの端っこにぽつんと建つのが、いわゆる太陽の門といわれるものです。(写真4参照)

写真3

写真4

門の上のほうに鳥人が彫ってありますが、これはカレンダーです。真ん中の上のほうで2本の棒を持っている人物が、ティワナクの最高神のビラコチャ神です。

さて、このティワナクには、たくさんのシャーマンがいます。ボリビアのシャーマンは一般にヤティリといわれます。ヤティリのなかでも非常に優れた重責を担うシャーマンのことを、アマウタといいます。写真5はポリカルピオ・アサーパ・フローレスというティワナクのシャーマンです。ポリカルピオはアマウタでした。彼に最後に会ったのは、1998年です。

写真5

写真6

彼は有名なシャーマンで、多くの研究がなされていて、『生き返った男』(写真6参照)という本もあります。この本のタイトルには、由来があります。この人は31歳ぐらいで結婚し、比較的平穏な生活を送っていました。けれども、あるときに村で土地争いが起きて、グループに別れて争いが始まりました。それに巻き込まれ、そのときに頭に大きな石が当たって意識不明になって、事実上、3日間死んでいました。しかし奇跡的に3日後に息を吹き返します。

あとで本人に聞いてみると、要するに冥界のなかにいたというのですね。三途の川を渡ったわけです。そこには、既にもうこの世にいない懐かしい自分の父や母、あるいは、おじさん、おばさんとかがいたようです。居心地のいいところだったらしいですが、後ろ髪をひかれるようにして、なぜか追い出されてしまいます。そして気がついたら、生き返っていたのです。そのときの体験を他のヤティリ、アマウタに話したところ、いろいろ神託があり、「お前はヤティリにならなきゃしょうがない。今の状態だと悲しみに打ちひしがれている。だから修行をして、ヤティリになりなさい、シャーマンになりなさい」と言われたということです。そこで思い立ってヤティリを志し、長いトレーニング期間を経て、ヤティリになったという経緯の人です。

◆カトリックと習合するアンデスのシャーマニズム

写真7はチチカカ湖の湖畔にあるコパカバーナという観光地です。右奥に町並みが見えますが、その向こうに、小高いゴツゴツした岩山があります。これはエル・カルバリオというカトリックの聖地ですが、ここで現地のシャーマンが活動をしています。写真8はその様子ですけれども、日本に似たところがあります。清めるためにこうやって香を焚くのです。また、カトリックなのですけれども、カランカランカランカラーンと、小さな鐘を鳴らします。いろいろ見聞きしてみると、カトリックとの習合といいますか、日本でも神仏習合がありますよね、そういうものを強く感じました。

写真7

写真8

この地の有名なシャーマン、アブドン・ティトー・ロハスという人に会いました。(写真9参照) 首からかけているのは、「虹色の十字架」というアンデスの十字架です。彼はこの虹色の十字架を使い、いろいろな占いや儀礼をやります。

このコパカバーナでは、カトリックとの習合が進んでいます。基本的な伝統はアンデスですけども、ヨーロッパからの影響もかなり顕著に見られます。驚いたのは、アブドンが使っている祈りの言葉の本の一つが、この『聖シプリアーノの魔法の書』だったことです。(写真10参照) この人は中世ヨーロッパの錬金術師です。

写真9

写真10

◆メサの儀式

写真11

次にチャラサニ(写真11参照)のお話です。1998年にここを訪れましたが、ラパスから10時間ぐらいかかる、遠い場所でした。辛い思いをして行きましたが、桃源郷のように素晴しいところでした。高度は、3,000メートルぐらいしかありません。ご覧のように緑の木々があって川が流れて、深い谷ですけれども、下に温泉が湧いているのですね。シャワーがないので、毎日その温泉までおりていって、一風呂浴びてまたのぼってくるという日課でした。

ここに行こうと思った理由は、ラパスで、ドイツの民族学者、イーナ・レシングという女性が書いたチャラサニのシャーマンとの対話集を読んだからです。(写真12参照)

この地域に住んでいるシャーマンのことをカジャワヤと言います。これはヤティリとも違います。聞くと、インカの直系のシャーマンだとのことです。カトリックの影響が多少ありますが、遠く離れた場所にあるので、純粋な形でアンデスの古代の伝統がのこされているという感じを受けました。

写真12

写真13

写真13はマヌエラ・ママーニという、世界的に有名な女性シャーマンです。僕が会ったとき、すでに85歳でした。彼女は、若くして結婚し6人の子供をもうけました。しかし亭主が大酒呑みで、仕事もせずにとにかく遊びまわり、結局は離婚します。亭主はその呑み過ぎが元で、アルコール依存症になって死んでしまいます。彼女は6人の子供をたった一人で育てるのですけれど、大変なことだったろうと思います。若いときに苦労をして、どういう具体的な経緯があったのかわかりませんけれども、シャーマンになるのですね。シャーマンになったあとも、それほど幸せな人生を送った人とは思えません。というのは、その6人の子供たちは、17年前に彼女に会ったときには、すべて亡くなっていたからです。彼女一人だけが、生き延びてきました。

この時、地元の研究者の仲介で彼女にわざわざ町まで来てもらい、儀式をやってもらいました。写真13の下のほうに、風呂敷包みみたいなのが二つありますね。右のほうが白メサと呼ばれるものです。左のほうは供物、コカの葉です。この白メサのほうは、パチャママとか、あるいは山の神、この辺ではルガールニオといいますが、山の神に捧げる供物です。左のほうも神々に捧げる供物です。12個の綿(わた)をちぎって置いてあります。真ん中に大きめの綿があります。そこにカーネーションやお菓子、それからリャマの脂とかをのせていって、最後に赤ワインをかけてできあがりです。

そして、できあがったものを包んで自分の体に浸します。(写真14参照) 旅人である僕の安全等を祈るという目的で、神々のスピリットが体に染み込むようにするということです。同時にまた、上のほうで香を焚いて、清めの儀式を行なっているところです。

写真14

この2つの風呂敷包みは最終的に、カビルドという聖地へ持って行き、火をつけて燃やします。そのときに、白ワインをかけます。最初に彼女がかけます。そうするとボッと火がついて、何か周りが急に明るくなるのですね。そのあとで僕がやります。ちょこちょこっとやっていたら、「もっと高く、もっと遠くまで!」と大声で彼女が叫ぶので、おもいっきり上のほうに飛ばしました。

ワインを飛ばすのは風の神に聞いてもらうためです。このカジャワヤの神はアンカリといい、別名を「風の郵便配達人」といいます。つまり、このアンカリに祈ると、たとえば自分に恋人がいたら、自分の思いをその恋人に届けることができる。あるいは、大事なメッセージがあれば、遠いところにいる人にでも届けることができます。とても印象的な儀式でした。

◆ペルーの古代文明とシャーマンの伝統

さて、今度はペルーのほうにいってみましょう。最初にクスコです。クスコは、おそらく南米で最も有名な観光地ではないかと思います。写真15は、中心部にあるアルマス広場といわれているところです。

写真15

写真16

写真16は皆さんご存じのサクサイワマン要塞ですね。巨石がこのように積み上げられ、城砦を造り上げています。一つ一つの石が大きいです。重いものは、百数十トンもあるということです。この上のほうは平らになっていて、円形のストーンサークル、祭祀場がのこされています。おそらくは、要塞であると同時に神聖な儀式のために使われた場所であろうと思います。

写真17

写真18

クスコのすぐ近くに、ワサオという有名な聖地があります。(写真17参照) ここでは、1990年代の始めぐらいから8月に1週間ぐらいかけて、キントゥライミというシャーマンの祭りが行なわれています。キントゥというのは、コカの意味です。ライミというのは祭りです。各地からたくさんのシャーマンが集まってきて、自分で出店を並べて依頼人を待ちます。

ここで知り合ったシャーマンの中で一番強く印象に残ったのは、ケンコ・ハラウィ・ケスペックという人です。(写真18参照) ケンコはパコ―ミスティコともいいます―です。クスコには4種類のシャーマンがいます。その中でパコは、予言や神託をする、位の高いシャーマンです。日本の神主、巫女のたぐいですね。ペルー各地のアンデスの霊峰には、アプーという山の神が住んでいます。パコはそのアプーと対話をして様々なことを知り、それを社会に還元するのです。首からぶら下げている小さな楽器みたいなものがありますね。これは小さな笛(サンポーニャ)です。ケンコはこの笛を吹いてアプーを呼び出し、対話をするのです。ある年、寒い冬がありました。クスコの人々で気管支炎になる人が続出して、多くの死者が出たようです。彼は自分の故郷ラレスの近くのアプー・パチャトサンと話をして、特殊な、気管支炎に効く薬の処方を教えてもらい、それを一般の人に広めて、たくさんの人が助かったということを聞きました。

最後にワンカバンバです。エクアドルのすぐ近くですが、ここもペルーではクスコとともに有名なシャーマンの町です。ここで、ペルーでも一、二を争うほど有名なパンチョ・ワルニーソというシャーマンに会いました。気難しい老人で、写真は撮らせてもらえませんでした。彼はクランデーロ、要するに普通の、病気を治すシャーマンです。

パンチョの治療の儀式は、真夜中、午前2時半ぐらいに開始されます。パンチョ・ワルニーソが、寝ぼけまなこをこすりながら起きてきます。それからおもむろに、セッションが始まります。暗がりでよく見えなかったのですが、多くの人々がそこにいました。最初はゆっくり、形式的なことから始め、そして一人一人の悩みを聞いていきます。それで済むのかと思ったら、途中で突然人格が変わり、変身するのです。そのとき「フロレスカ!」と叫びます。スペイン語で「開花せよ!」という意味です。何が開花するのかよくわからないですけれども、そういう表現を使います。

そのあと、水たばこを回し飲みしますが、鼻から吸うのです。さすがに僕はできなかったのですが、みんなやっていました。鼻からその水たばこを吸うと、ゲエッと吐きますよね。何度ももどすのですよ。要するに、悪いものを体内から取り出すために、劇薬ではないですけれども、水たばこを鼻からすすらせて、そして全部出させるのです。そういう荒療治でした。でもみんな、いろんな病気をもって、あるいは悩みをもって遠くから来た人ばかりですから、真面目にやっていました。僕だけやらなかったのですが。(笑) さすがにちょっと、それだけは勘弁という感じでした。

その間にもパンチョ・ワルニーソは絶え間なく周りを歩き回り、それまでとはまったく違った、有無を言わせぬ、命令するような口調で話します。あたかも別人であるかのようでした。何か神かスピリットが彼に乗り移って、彼の口を通して語っている、そういう感じでした。

それが一段落したあと、サボテンの一種で、サンペドロという幻覚作用が多少あるような薬草を水に溶かしたものが回ってきて、それを飲みました。今度は、ビジョンを見るというセッションです。僕はたいして何も見なかったのですけれども、他の人はいろんなビジョンを見たということを、あとで話していました。そういう治療のセッションを経験したということです。

◆シャーマニズムの伝統と文明

さて、以上の話を少しまとめてみましょう。我々は、これらの地域に伝わっている宗教伝統をシャーマニズムと呼んでいます。これは、自然宗教といってもいいと思います。日本でいうと神道、あるいは土着信仰のようなものだと思ってください。それが進歩すると、だんだん民族宗教に近くなっていきます。それぞれのところで特徴があり、微妙に違っています。それは、その伝統に影響をした様々な文化によるところが大きいです。例えばティワナク、チチカカ湖地域、ボリビア、ペルーにもまたがっている地域の伝統というのは、ティワナク文明の強い影響を受けている。それから、アマゾンの影響も受けています。次に、クスコ地域ですが、ここはペルーの南東部にあたりますが、インカ帝国の影響を強く受けている。インカ帝国はアマゾンの影響を強く受けているので、アマゾンの影響も受けているといえます。最後に、さきほどお話ししたワンカバンバ地域は、チャビン・デ・ワンタール文明の影響を受けている。同時にまた、太平洋岸、そしてアマゾンの影響を受けています。

以上お話した地域全体の伝統をまとめることは難しいので、とりあえずチチカカ湖地域とクスコ地域について、共通項を取り出してまとめてみたいと思います。

まずは、どういうシャーマンがいるかという点。ボリビアでは、シャーマンのことをヤティリ、あるいはアマウタといいます。そして、特殊なシャーマンとしてカジャワヤがいます。ペルーのクスコには、4種類のシャーマンが存在します。クランデーロ、ブルホ、アグリクルトゥール、ミスティコですね。ケチュア語だと、ハムペック、ラエカ、オカレッハ、パコになります。

クランデーロというのは、普通の病気を治療する、あるいは、けがの治療をするシャーマンですね。ブルホというのは、要するに厄払い師ですね。悪いものを遠ざけるための専門のシャーマンです。それから、アグリクルトゥールは、漢方医と思ってください。彼らは、薬草を自分で栽培して病気を治します。最後に、ミスティコ、パコといわれるシャーマン。これは予言、神託などを行います。ただし、多くの場合、これらのシャーマンの領域は重複してもいます。例えば、ほとんどのシャーマンが薬草を使います。ただ、この地域ではシャーマンの分業が進んでいると理解してください。

シャーマンには、たくさんの仕事、といいますか、果たすべき責務があります。病気の治療、占い、祈禱、共同体の守護、農業の指導、宗教祭儀、雨乞いなど、たくさんの責務があります。その中でも一番重要なのは、共同体の守護です。都市部には個人営業のシャーマンがいますが、田舎に行くとシャーマンは、ある地域の共同体の守護者であり、共同体を精神的に守るという役割を担っているといえます。

シャーマンは、世襲ではないのですよね。やっぱり何か特殊なものが必要なのです。契機は何かというと、事故、災難、病気、障害などです。中でも一番多いのは、事故、災難のたぐいです。この地域は、雷が多いのです。よく家に雷が落ちたり、雷に打たれたりします。それで死んでしまったら終わりなのですけれども、生き延びた人はシャーマンになる資格があると考えられています。九死に一生を得るということですね。たくさんのシャーマンがそういうふうにして、シャーマンになっているということです。ただ、雷に打たれて生き延びても、シャーマンにならなかった人もたくさんいると思います。自分の自由意思と、そして資質にもよりますね。

◆アンデスの神々

続いて、神々のお話をまとめましょう。この地域の最高神は、パチャママ、大地母神です。そしてそれと同じぐらい重要なのが、山の神です。ボリビアでは、アチャチーラといいます。ペルーでは、アプーといいます。これは一対で、夫婦神(めおとがみ)です。アチャチーラ、その奥さんの名前がアウィーチャです。またアプー、その奥さんの名前はアウキといいます。 その他に、地方によってたくさん異なったスピリットが存在します。たとえば、カジャワヤの場合はアンカリですね。カジャワヤの祖霊といってもいいでしょう。カジャワヤは病気の治療に薬草を多用します。そのため薬草を求めてよく旅をします。そこから「風の郵便配達人」が誕生したのだと思います。それから、キムサチャタいうのはチチカカ湖の水神です。他にもたくさんスピリットがいます。

写真19は、山の神、アチャチーラ・イリマニです。イリマニ山は、地図でいうとラパスの南のほうにあります。6,438メートルあります。そして、これがすぐ隣にあるムルラタ山(写真20参照)、少し低いですよね。なんで低いのか。上のほうが削られているからです。

このイリマニとムルラタに関しては、おもしろい伝承があります。「両雄並び立たず」じゃないですけれども、ほとんど同じ地域にあり、太古の昔に二人は闘ったらしいのです。そしてイリマニが勝ち、ムルラタは負け、首を切られてしまった。そしてその首は、何とボリビアの南にあるサハマ山に飛んでいったのです。サハマ山は、これら二つよりさらに高い山です。

写真19

写真20

それで、そのあとがおもしろいのですけれども、これらの山々は人々の生活、つまり農業にはなくてはならない存在なのです。日本でもそうなのですけど、山の雪が溶けて、そしてそれが水となって田畑を潤し、作物が穫れて農業ができます。ここも同じです。しかし年によっては、ムルラタ山が結氷せず、雪が少ないときがあります。そうすると、水不足で農業ができません。そこで儀式をやるのです。それは、サハマに飛んでいった首を呼び戻すという儀式です。もちろん実際に戻ってくるわけはありませんが、スピリチュアルな意味では戻ってくるのです。その結果、結氷して、今まで通りに農業ができる。そうしたおもしろい話をポリカルピオから聞きました。

写真21は、アプー・アウサンガテです。山の神はペルーではアプーといいます。クスコから撮ったので見にくいのですけれども、6,384メートルの高い山です。アチャチーラもそうですけども、アプーにも神秘的な側面があり、神格化されている気がします。

まとめると、神々の系譜としては、まずパチャママがいます。パチャママは偉大なる母、大地母神です。地球のなかに住んでいます。子供たちは、アチャチーラ、アウィーチャ。もしくはアプー、アウキ。そしてその孫は、なんと人間なのですね。

写真21

◆神に捧げる儀式 メサ

写真22

アンデスのシャーマニズムで最も重要な要素の一つに、メサというのがあります。(写真22参照) これは供物ということです。ただ、普通の供物ではないのですよ。つまり、供物というのは普通できあいのもの、たとえば、ご飯とか、あるいはお団子とかお菓子とか果物とかを供えますよね。そうではなくて、いろいろな材料で製作するという点が重要なところです。綿、コカの葉、お菓子、カーネーション、リャマの脂、赤ワインなど、それぞれシンボリズムがありますけども、目的によっていろんなものを使います。そして、儀式をやって神々の精霊を宿して、最後に燃やして送るのですね。

このメサの背後にある根本的な考えは、現地で「パゴ」という言葉で表現されます。これはスペイン語で、支払い、英語のペイです。これは、「人間が、神々に、支払う」ということです。その理由は、神々から日頃、恩恵を受けているからです。メサを製作して、神々に支払うのですね。これをやらないと、神々が不満に思って「人間というのはくだらねえやつだ。恩知らずだ」ということで、災害を起こし、干ばつや洪水や暴風雨、あるいは地震になったりするわけです。そういう考えが根底にあります。それを、パゴといいます。

この思想の本質というのは、現代流に訳すなら、エコロジーだろうと思います。世界は有限である、自然は有限である。だから、理にかなった生き方をしなさい。取りすぎてはだめですよ。取ったらちゃんと戻しておきなさい、感謝をしなさいということだろうと思います。この「支払う」ための儀式としてのメサには、たくさんの種類があります。白メサ、黒メサ、色彩のメサ、緑のメサ。このなかで重要なのは、最初の二つです。白メサというのは、目的がポジティブなものです。たとえば、幸せになりたいというときには、白メサを作って捧げます。あるいはお金持ちになりたい、これはポジティブですね。あるいは健康になりたいと、これもポジティブですよね。そういうときには、この白メサを作って捧げるのです。

では、黒メサはどういうときに使うのか。これは逆です。つまり、厄払いじゃないですけれども、病気の人に使います。たとえば、精神異常を治すとか、あるいは具体的に肺炎を治すとか、そういうときにはこの黒メサを捧げるのですね。これは、悪いものを体から取り去るために使うものですね。

◆アンデスの十字架とそのシンボリズム

さて次は、アンデスの世界観、アンデスの思想、シャーマニズムの奥にあるものについてお話しします。その本質をはっきりとあらわしているシンボルがあります。それは、ある種の十字架です。一般にアンデスの十字架と呼ばれます。(写真23)また、ティワナクの十字架、階段状の十字架、あるいはチャカーナともいわれます。普通は、12段の階段になっています。おそらく、今から2千年ぐらい前のものだと思います。

この十字架が意味することのひとつは、まず基本方位です。(図2参照) これは、普通の十字架と同じです。ティワナクという古代文明の中心地がある。北のほうにイリヤンプという霊山がある。南のほうにサハマ、東にイリマニ、西にカピージャの霊山がある。

それから十字架は、農業暦を表しています。(図3)12段のギザギザのそれぞれの段は、ひと月をあらわしています。南半球の冬至、一番日が短い冬の始まりは、6月21日です。古代人にとって、この日は重要な日でした。なぜかというと、この日に古い太陽が死んで、新しい太陽が生まれるからです。同時にこれは乾季の始まりでもあります。この時期に人々は作付けの準備をします。とても重要な時期なのです。

写真23

そして、やがて9月21日になって作付けが始まります。12月21日の夏至、この辺りで雨季が始まります。一斉に雨が降り出して、緑の沃野(よくや)になって作物がすくすくと育ち始める。そして秋分ですね、3月21日、この頃に雨季があがって作物が完全に実って収穫の時期になります。十字架は、この1年の農事のサイクルをあらわしているということです。

図2

図3

写真24は、コパカバーナの虹色の十字架です。これは占いに使いますけれども、実はこれもカレンダーなのです。6x6で、36個の升目があります。それぞれの升目が10日をあらわしているのですね。つまり36x10で、360。残りの5日はどうなのかというと四隅ですね。4つの基本点ですね。これを加えて364。最後の一つは何かといえば、全体だというのですよね。いずれにしても、これはアイマラ族の古代のカレンダーをあらわしているのです。

それぞれの色には、意味があります。7色です。古代インカ人は、虹というのを生命の象徴だというふうに考えました。それぞれの色に意味があって、性格があります。例えば、僕は2月生れなのですけれども、2月は薄いブルー、水色です。どういう意味なのかとアブドン・ティトーに聞いたら、「お前はとても好奇心が強い。だからあちこちに旅行しまわって、いろんなことを調べているのだろう。この月に生まれた人は、良くいえば探求心が強い、悪くいえば放浪癖がある」と、そういうことでした。おもしろいシンボリズムだと思いました。

写真24

図4

このチャカーナ、アンデスの十字架には、時間に関するシンボリズムもあります。(図4参照) 東が未来、西が現在、南が過去。そして北は、永遠をあらわしています。だから十字架によって古代人は、世界そのものを表現しようとしたといえます。

仏教にも宇宙をあらわした曼荼羅というものがありますね。ヒンドゥーが起源で、それを仏教がさらに発展させました。ただ、アンデスの十字架には、曼荼羅にはない要素もあるように思います。アンデスの十字架は、政治的な目的のためにも使われたようです。

インカ帝国はクスコを中心に全領土を四つにわけました。つまり「4」というのが聖なる数で、そのために4カ所、4領域にわけられました。そしてこれは実は空間的に想定されたチャカーナ(アンデスの十字架)を表しているのです。そのシンボリズムが統治のために使われたということです。

◆基本思想としての「パチャ」

それからアンデスの十字架の他にもう一つ、アンデスの思想を語るときに欠かせない概念、コンセプトがあります。それをパチャといいます。すべてがパチャによって成り立っているという思想です。たとえば、古典ギリシャに発祥した哲学のことをフィロソフィアといいますよね。それをもじって、研究者によってはアンデス哲学のことを、パチャソフィアという人がいます。

パチャは何を意味しているのか。ずばり、人間にとって重要なものすべてを意味しています。世界、時間、空間、地球、宇宙、季節、時代、サイクル、生命サイクル。だから、これはとても手に負えない概念です。重要なものとして4種類のパチャが存在します。世界としてのパチャ、カレンダーとしてのパチャ、生命サイクルとしてのパチャ、歴史としてのパチャです。ここでは、一番わかりやすい「世界としてのパチャ」についてお話をしましょう。

古代ティワナク人は、この宇宙が三つの階層から成り立っていると考えました。一番上にアラシュ・パチャ、そしてここにいるのがアカ・パチャです。そして、その地下がマンカ・パチャ。要するに天上界、神の世界ですね。それから現世、そして冥界ですね。これを現代流に解読すると、アラシュ・パチャというのは天空。そして、アカ・パチャというのは大地。マンカ・パチャは、水です。つまり、古代人にとってこの三つのエレメントがすごく重要だったということです。

古代人はこの三つのパチャを、ピューマと蛇によって表現しています。天上界には光のピューマ、光の蛇がいるのです。現世には、普通のピューマと普通の蛇がいるのですね。そして冥界には、恐竜のような、あるいはゴジラのような足をもった蛇と、ヤウリンカといわれる、特殊なピューマがいるといわれています。

写真25

写真26

この三つのパチャは、ティワナクの遺跡では3段の階段として描かれています。(写真25参照) 実際には、これは天空、それから大地、そして水のことです。この三つのエレメントを古代ティワナク人が支配したときに、文明が発生したということです。 写真26は、ティワナク遺跡の中心にあるアカパナのピラミッドです。幅が約200メートルほど、高さが20メートルぐらいです。それを復元する、3段のパチャになります。一番上には、アンデスの十字架が描かれていたということです。つまり、ティワナクは神聖都市でもあったということです。たとえば伊勢市とか、あるいはメッカとかエルサレムとか、あるいはブッダガヤーのような場所でもあったということです。

◆アンデスの二元論と人間観

こういうアンデスの思想が究極的にはどこに行き着くかというと、それは徹底した二元論の世界です。たとえば、死と誕生を考えてみましょう。人間は死ぬと肉体と精神に分離します。肉体はどこにいくか、もちろん土にかえるのですね。つまり、マンカ・パチャにいくのです。じゃあ、精神も土にかえるのか。そうじゃないのです。精神は、アラシュ・パチャ、つまり天上界にいき、エネルギーとしてそこにとどまります。そして、誕生するときに再び肉体と精神が再結合し、新しい生命が生まれます。それが、アカ・パチャにまた戻ってくるということです。この辺もヒンドゥーの輪廻転生、サムサーラに似たところがあるように思います。つまり、万物は循環するといいますか、永遠に循環しながら自然、あるいは世界が維持されていくという思想です。

それから、誕生のときの秘密があります。さっきパチャママの子供がアプー、あるいはアウィーチャといいましたよね。その子供、つまり孫ですけれども、それが人間といいましたよね。その秘密がこれです。人間は肉体としては、お母さんのなかから出てくるのです、お腹のなかから。あるいは、お父さんがそこに関わっているのかもしれませんけれども、基本的にはお母さんから生まれるのです。では、精神もお母さんから生まれるのか。それは違うのです。精神は、アチャチーラ、アプー、山の神です。つまり物質としての人間というのは、人間のなかから生まれてくるのですけれども、それだけでは生命ではないのです。そこに命を吹き込むものが必要である。誰が命を吹き込むか。山の神です。

イリマニ(Illimani)、イリヤンプ(Illampu)は有名なボリビアの霊山です。これらの山々はIll’ a(イッラ)で始まりますが、このIll ‘a(イッラ)はアイマラ語で精神、スピリットという意味です。アイマラ族の間ではすべて新しく生まれる人間、赤ん坊は、このIll’ a(イッラ)をもって生まれてきます。アンデスのシャーマンたちは、アチャチーラ、あるいはアプーの住む山というのは、「霊的振動」をしていて、人間の魂を創りあげる、創造する、そういう振動、バイブレーションの力を持っているといっていました。つまりアンデスでは、山はただの山ではなく、生きている山なのです

写真27は、ビラコチャ神ですね。ビラコチャ神はただの神ではなくて、同時に王つまり為政者でもありました。エジプトのファラオのような存在だと思ってください。

右手に持っているものは、力、エネルギー、権威の象徴です。左手に持っているものの上のほうが、二つに分かれていますね。これがアンデス二元論の象徴です。すべてのものは、この二つの相互作用、例えば男と女でもいいですけども、その相互作用によって生まれる。そう考えるということだと思います。

下のほうを見てください。ここに三つの階段がありますよね。これがパチャです。天空、大地、水です。要するに、ティワナク人がこの三つをコントロールするテクノロジーを開発したということになります。

それから、ここにあるのが、見えにくいと思いますけれども、四つありますよね。これは、実は南十字星ですね。南十字星は農業と深い関係があって、それがいつあらわれるかによって、シャーマンはいつ種蒔きをしたらよいのか、いつ収穫をしたらよいのか、それを判断します。

写真27

図5

図5は、ティワナクの後継者のインカのシンボルです。コリカンチャの宇宙絵といわれているものがあります。今はもうありませんけども、かつてはクスコの中心地に太陽の神殿というのがあり、そこの壁に描かれたものらしいです。一番上がオリオン座です。その下にぶら下がっている繭みたいなもの、これがビラコチャ神です。そして、左のほうにあるもの、これは太陽ですね。この右のほうにあるのが、月です。そしてこれが明けの明星、宵の明星ですね。ここにアンデスの十字架があります。ここに山があって、上のほうに生命の虹がかかっていると。そして右のほうにチチカカ湖があって、ここにジャガーがいてというふうになっています。その下に人間、左が男、右が女として描かれています。これは要するに、インカの世界観、二元論をあらわしたものです。

図6

◆スピリチュアル・エコロジーとしてのアンデスの伝統文化

本日お話しした内容は、一言でいうとアンデスのシャーマニズムです。このアンデスのシャーマニズムというのは、厳しいアンデスの自然から生まれた叡智といってもよいと思います。日本の修験道は仏教の影響を受けていますが、アンデスのシャーマニズムは古代アンデス文明の影響を強く受けています。そこには、知性の力によって、世界の神秘、仕組みをできるだけ理論的に理解しようという情熱があるように思います。

そして、その結果としてアンデスの世界観ができあがりました。それを僕は時々、「スピリチュアル・エコロジー」と呼ぶことがあります。図6はアンデスの十字架ですけれども、そのスピリチュアル・エコロジーのエッセンスをよく描いたものだと思います。まず、アラシュ・パチャ、アカ・パチャ、マンカ・パチャですね。先ほどいった三つのパチャです。そして、この上のほうの三つの階段は、そのアンデスの地形の特質性をあらわしています。これが太平洋岸ですね。これは途中の谷です。そして、上のほうの平地、アルティプラーノ、高原ですね。で、右のほうも同じようにして、今度はアマゾンの平原になるわけです。それと同じようなものが、地下世界にもあるという理解ですよね。

そして、このパチャクティというものがありますが、これは要するに万物の循環、発展的な循環、輪廻転生といってもいいエコロジーの思想を示しているように思います。

アンデスは遠い地域ですけれども、フォルクローレ(=アンデスの大衆音楽)の響きは、なんとなく日本人にも親しみやすい郷愁がありますよね。(写真28参照) それはなぜかと考えるときもあります。僕も時々ペルー人と間違われることがあります。おそらく、どこかでつながっているのでしょうね。遠い昔、アジアから、あるいは日本からアメリカ大陸に行った移住者たちがいて、その一部がアンデスに辿り着いたということは、充分に考えられます。

これで、今日のお話を終わります。

写真28 アンデスのコンドル

* なお、写真、図表等は、特に説明がない限り、実松克義先生の撮影によるもの、および、実松克義著『アンデス・シャーマンとの対話―宗教人類学者が見たアンデスの宇宙観』現代書館 2005年 からの引用です。