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コスモロジーと出会うよろこび【編集部から】

本連載エッセイでは、人類共通の記憶の宝庫ともいうべきコスモロジー(=世界観・宇宙観)の豊かさを武澤秀一先生が探究します。
建築家である先生は、ご著書『空海 塔のコスモロジー』『マンダラの謎を解く』『神社霊場ルーツをめぐる』に見られるように、3次元の存在である建築を歴史・宗教・文化の位相のなかに捉え、塔やマンダラや神社霊場が聖なる力を帯びていく様相を明らかにされてきました。そして今年3月に刊行された新著『伊勢神宮の謎を解く』は、とくに日本の特性を浮かび上がらせていて注目されます。本連載エッセイにあわせて、ぜひごらんください。これからの連載でも、日本列島において育まれてきたわたしたちのこころの特性に、さまざまな場面で気づかせてくれることでしょう。
さあ、コスモロジーに出会う旅に出発することにいたしましょう。わたしたちが無意識の底に置き去りにしてきた大切なものに、今、再び出会うために——。

建築家 武澤秀一の連載エッセイ 時空を超えて コスモロジーと出会う

 

第15回 ハスのコスモロジー(下・その1)


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〈強行された大仏開眼〉

東大寺の大仏は『華厳経』の教主であるビルシャナ仏(ルシャナ仏とも)です。さきに見た、龍門石窟・奉先寺洞のビルシャナ大仏に触発されて造られました。

現在の大仏は江戸時代のもので、像の高さが15メートル弱です。平家の焼き打ちと戦国時代と、2度にわたる兵火を受けており、当初は今より1メートルあまり高かったと伝えられます。奉先寺洞の大仏にくらべてひとまわり小さいものの、実感としては、けっして引けをとりません。見上げれば、その大きさがひしひしと伝わってきます。

この空前の巨大さによって、ビルシャナ仏が世界そのものであるという『華厳経』のコスモロジーを謳い上げているわけですが、この点は龍門石窟・奉先寺洞の大仏と同じです。

この大仏の建立を主導したのは聖武(しょうむ)天皇です。743年に大仏建立の詔を発したのでした。

そして752年に、大仏の開眼供養(かいげんくよう)がおこなわれました。それは仏教が朝鮮半島の百済から朝廷に公式に伝えられてから200年に当たる年でした。『日本書紀』の成立以降、552年が伝来の年と思い込まれていたのです。
(今日では、『元興寺縁起』(がんごうじえんぎ)が伝える538年の信憑性が高いとみられています)

仏教伝来200年を記念して、大仏を開眼するという大きな目的がありましたので、大仏建立は強行軍の日程でおこなわれました。じつは開眼供養のこのとき、大仏はまだ十分には完成していませんでした。というのは、出来たのは銅で鋳造された大仏の本体(=仏身)だけで、台座を飾る蓮弁はまだ手がつけられておらず、また金メッキも一部にとどまっていました。(今では想像しにくいですが、創建時の大仏は光り輝く金色に彩られていたのです)

大仏鋳造のプロセスは、台座を造ってから、仏身の建立に入る、つまり一律に下から上へと立ちあがったと考えがちですが、じつはそうではなかったことが東京芸術大学の18年におよぶ調査であきらかになりました。平安時代の記録である『東大寺要録』には、台座は後から造られたとあるにもかかわらず、調査前の段階では、これを信用しない学説が主張されていたのです。

その『東大寺要録』によれば、仏身の鋳造が終わったのが749年でした。752年3月に金メッキの作業を開始し――おそらく御顔から――、それが全身に及ばないまま、4月には大仏の開眼供養が盛大におこなわれたのでした。

仏法がこの国に伝わって以来の最大の仏教行事だったと『続日本紀』(しょくにほんぎ)が伝えるこの開眼供養には、1万を数える僧が参加したといいます。この時、大仏開眼の筆を執ったのが、唐から招かれたインド僧の菩提僊那(ぼだいせんな)でした。

長くて太い筆には、五色からなる、20メートルにもおよぼうという長い縄が結わえられ、聖武太上(だじょう)天皇――749年に娘に譲位し、孝謙(こうけん)天皇の代となっていました――をはじめ、列席した皇族、貴族、高僧たちはその縄を手にとり、ともに大仏開眼の歓びと感動を分かち合ったのでした。

 

 

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〈蓮華座が伝えるコスモロジー〉

【図N-1】「蓮華蔵世界」概念図

その後、大仏は2度にわたって兵火に見舞われており、現在の大仏は江戸時代の再建によるもの。創建当初を伝えているのは大仏が載る台座のみです。しかし巨大な蓮弁(=ハスの花びら)をもつこの台座(=蓮華座)こそ、日本に伝わったハスのコスモロジーを物語る貴重な遺産なのです。

前回触れましたように、ハスのコスモロジーは中国で新たな展開を見せ、『華厳経』を母胎として5世紀ころに『梵網経』という経典を生みだしました。

『華厳経』のコスモロジーは「蓮華蔵(れんげぞう)世界」と呼ばれ、『梵網経』のコスモロジーは「蓮華台蔵(れんげだいぞう)世界」と呼ばれます(それぞれ、世界に海をつけて「世界海」とも。むしろこちらが正式です)。定方晟(さだかたあきら)氏作成による「蓮華蔵世界」概念図を掲げましょう【図N-1】


『華厳経』においても『梵網経』においても、蓮華の上にビルシャナ仏や釈迦仏があらわれます。これは第10回で見たインド神話で、ヴィシュヌ神の臍から生え出した蓮華にブラフマー神があらわれ出る場面をほうふつとさせ、仏教とヒンドゥー教のあいだに影響関係があったとみられます。ヴィシュヌを主神とするヒンドゥー教では、ブッダはヴィシュヌの化身とみなされるほど、両者は近いのです。

(余談ですが、インドの食べ物屋でたまたま居合わせたインド人から、ブディストか?と問われ、イエスと答えると、ユー・アー・マイ・フレンド!と熱烈に握手をもとめられました。ヒンドゥー教徒のかれらがいうには、ブッダはヴィシュヌだから、おまえも同じ信者仲間だというのでした)

大仏が銅で鋳造された後、その下部周囲に、これも銅による受花(=請花・うけばな。上に向かって開く花)が鋳造されます。隣り合う大きな蓮弁14枚のあいだの内側に小さな蓮弁14枚が配され、計28枚の蓮弁からなる巨大な蓮華の完成です。これを外から見れば、この蓮華の上に大仏が鎮座しています。

蓮華座の鋳造は752年4月の開眼供養に先立つ2月にはじまり、756年7月に完成しました(大江親通(おおえのちかみち)『七大寺巡礼私記』)。その2ヶ月まえの5月に聖武天皇は没していますので、蓮華座を見ることはかないませんでした。

じつは、この蓮華座を構成する蓮弁の1枚1枚に細密な線刻がなされています。それは『梵網経』のいう蓮華台蔵世界を如実に反映しており、この点でも大変貴重なのです。
(龍門石窟・奉先寺洞の大仏もこれを反映していたとみられますが、前回述べたように蓮華座の部分がかなり破損し、あまり原形をとどめていません)

『梵網経』において、盧舎那仏(=ビルシャナ仏)はつぎのように説いています(一部要約)。

「われは蓮華台蔵世界海に住んでいる。この台のまわりに千枚の蓮弁がある。1枚の蓮弁が1つの世界をなすから、千枚の蓮弁で千の世界をなしている。われはわが化身として千の釈迦を生みだして、千の世界に配する」

蓮華の数も、そこにあらわれるほとけの数も、『華厳経』では無数と謳われていました。『華厳経』は無限のイメージに彩られ、幻想的です。(茫漠としていてとらえどころがないのは――インドではそうは感じないのでしょうが――、インド的といえます)

ところが『梵網経』では千枚と、曖昧なところなく、リアルに規定します(現実的なところは中国的といえます)。『梵網経』には形に置き換えやすい記述が見いだされますので、制作者はこれに基づいたのでしょう。もっとも、『梵網経』のいう千枚でも無理だったようで、さきに見たように28枚ですが。

 

〈蓮弁の1枚1枚に一大世界が〉

それでは、28枚のうちの1枚を見てみましょう【図N-2】
 


【図N-2】東大寺大仏蓮弁線刻図様


蓮弁のほぼ上半分を占めて、釈迦仏を中心として左右11体ずつ、計22体の菩薩たちがこれを囲んでいます。22体の菩薩が描かれているのは、『摩訶般若波羅蜜経』の注釈書である『大智度論』(だいちどろん)に基づくといわれています(松本伸之)。

釈迦仏の頭部から瑞雲(ずいうん)が発生し、そこからさらにほとけが発生して雲上に乗っています。瑞雲とはめでたい時に発生する雲です。『華厳経』を見ますと、神がかった奇跡的な変化(=神変・じんぺん)が起きた時に雲がよく発生します。これもその例です。

さきに、須弥山世界は下から上に向かって欲界・色界・無色界の三界からなることを述べましたが(第12回)、上層の無色界は4層に区分されます。無色界の最上層にある非想非非想処天(ひそうひひそうしょてん)の情景が、ここに表現されていると考えられます。

その下を見ますと、26本の水平線によって25層に区画されています。

ここで方向を変え、下から見てゆきましょう。1枚の巨大な蓮弁の底辺に、小さく――といっても相対的にですが――7枚の蓮弁が描かれ、それぞれに須弥山があります。つまりこれら小さな蓮弁の1枚1枚が須弥山世界を表しているのです。

つまり蓮弁の1枚1枚がそれぞれ1つの須弥山世界を宿しており、それらが集合して出来ているのがこの世界というわけです。この世界観は、『華厳経』に触発されて中国で生まれた『梵網経』のものです。

 

〈東大寺大仏に見る蓮華台蔵世界〉

蓮弁の線刻画を総覧して、つぎのことがいえます。

・三界の最上層に釈迦仏が坐す
・釈迦仏は最下層にある蓮華座――7枚の蓮弁が表現されている――に坐す
・蓮華座と釈迦仏のあいだに、25層の天がサンドイッチのように挟まれている

これが巨大な蓮華座――その上にビルシャナ大仏を載せている――を構成する蓮弁1枚が内包する世界です。こうした蓮弁が千枚集まって世界(=蓮華台蔵世界・れんげだいぞうせかい)が成り立っている、というのが『梵網経』が語るコスモロジーです。

それは、無限を強調するあまり漠としてつかみ難い『華厳経』のコスモロジーのいわんとするところを汲みつつ、これを有限世界に落とし込んだものでした。それでも千枚は無理だったと見え、前述のように28枚になっています。

最後に、この巨大な蓮弁の左右両端の最下部に水波の表現が見られます。これはこの巨大な蓮華座が海面から立ち上がっていることを示しています。『華厳経』において、香水海(こうずいかい)とも世界海とも呼ばれるものです。

この線刻は756年8月にはじまり、翌年1月に完成しました。聖武天皇亡き後ですので、蓮華台蔵世界に往生するよう願いを込める意味もあったのでしょう。

 

〈造形化の困難さ〉

この巨大な蓮華座が、ひいてはこの大仏全体が『華厳経』に基づいて建立されたのか、それとも『梵網経』に基づくのかと、長いこと論争がありました。

すでに述べましたように、『梵網経』のコスモロジーは『華厳経』に基づいており、両経は基本的に対立するものではありません。『梵網経』の蓮華台蔵世界は、『華厳経』の夢幻的な蓮華蔵世界を現実に近づけ、これを造形化する糸口をもたらしたといえます――とはいえ、そのとおり具体化できるわけではありませんが。

〈梵我一如〉の思想や〈仏華厳〉のイメージにみられるように、インド思想を形象化することは至難の業といえます。それだからこそ、神秘的であるわけですが、それではなかなか多くの人に理解されません。

そこで、わかりやすく親しみやすい神話や説話、そして目に見える神像や仏像をとおして思想や教えを伝えるわけです。そうした努力のひとつとして『梵網経』の試みがあり、これを活用することにより東大寺大仏の蓮華座が生まれたといえるでしょう。

さきに第14回で見たように、〈仏華厳〉とは、蓮華の上に坐すビルシャナ仏を中心に、その周囲を取り囲んで整然と無数の蓮華が咲き誇り、すべての蓮華の上にビルシャナ仏の化身が座っているさまを意味し、そのすべてが、またビルシャナ仏なのでした。

蓮華から世界が生まれ、世界は巨大な蓮華の中に存在するように、ビルシャナ仏から世界は生まれ、かつ世界はビルシャナ仏に包まれるという、〈仏華厳〉のダイナミックで生命的な世界イメージを、『梵網経』に基づく蓮華台蔵世界の造形化によって伝えきれているかといえば、それはやはりむずかしかったということでしょうか。



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註記:図版出典および参考文献は、「ハスのコスモロジー(下)」として纏めて第17回に掲げます。

武澤 秀一(たけざわしゅういち)

1947年群馬県生まれ。建築家/博士(工学・東京大学)。東京大学工学部建築学科卒業。同大学院を中退し、同大学助手をへて建築家として独立。設計活動の傍ら、東京大学、法政大学などで設計教育指導に当たった。20代、30代はヨーロッパ志向がつよかったが、40代に入りインド行脚をはじめる。50代以降は中国、韓国および日本列島各地のフィールドワークを重ねている。著者に、『マンダラの謎を解く』(講談社現代新書)、『空海 塔のコスモロジー』(春秋社)、『法隆寺の謎を解く』(ちくま新書)、『神社霊場 ルーツをめぐる』(光文社新書)、『伊勢神宮の謎を解く——アマテラスと天皇の「発明」』(ちくま新書)などがある。