コスモロジーと出会うよろこび【編集部から】
本連載エッセイでは、人類共通の記憶の宝庫ともいうべきコスモロジー(=世界観・宇宙観)の豊かさを武澤秀一先生が探究します。
建築家である先生は、ご著書『空海 塔のコスモロジー』『マンダラの謎を解く』『神社霊場ルーツをめぐる』に見られるように、3次元の存在である建築を歴史・宗教・文化の位相のなかに捉え、塔やマンダラや神社霊場が聖なる力を帯びていく様相を明らかにされてきました。そして今年3月に刊行された新著『伊勢神宮の謎を解く』は、とくに日本の特性を浮かび上がらせていて注目されます。本連載エッセイにあわせて、ぜひごらんください。これからの連載でも、日本列島において育まれてきたわたしたちのこころの特性に、さまざまな場面で気づかせてくれることでしょう。
さあ、コスモロジーに出会う旅に出発することにいたしましょう。わたしたちが無意識の底に置き去りにしてきた大切なものに、今、再び出会うために——。
建築家 武澤秀一の連載エッセイ 時空を超えて コスモロジーと出会う
第14回 ハスのコスモロジー(中・その3)
前回まで、ハスのイメージとそのコスモロジーを、インドの神話や中国の石窟のなかに求めてきました。ここで、仏教経典との関係を振りかえっておきましょう。
〈『法華経』でハスは間接的〉
「蓮華」を冠した仏典として『妙法蓮華経』(みょうほうれんげきょう)、略して『法華経』(ほけきょう)があります。1~2世紀ごろのインドで成立した代表的な大乗経典です。蓮華のイメージにあふれているのかと思いきや、通読してみますと、『法華経』には蓮華そのものに関する記述が意外なほど少ないのに驚かされます。 |
〈直接的なのは『華厳経』〉
ハスのコスモロジーを濃密にもつ仏典として『華厳経』(けごんきょう)があります。正式な名称は『大方広仏華厳経』(だいほうこうぶつけごんきょう)といいます。「仏華厳という偉大な教え」という意味です。 |
〈ビルシャナ大仏の出現〉北魏が滅びますと龍門石窟からツチの音は消えました。しかし唐の時代に入りますと、龍門において石窟の造営が再び活況を呈するようになります。 |
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『華厳経』の教主であるビルシャナ仏が7世紀後半、高さ17メートルあまりもの巨大な磨崖仏となって出現します【写真R-3】。龍門石窟の奉先寺(ほうせんじ)洞です。唐の皇帝・高宗(こうそう)の勅願(ちょくがん)によるもので、皇后の則天武后(そくてんぶこう)も2万貫を提供しました。7世紀後半、日本では現存法隆寺の金堂が完成したころであり、この80年ほど後に東大寺の大仏が完成します。 |
![]() 【写真R-3】『華厳経』の教主・ビルシャナ大仏が像高17メートルもの摩崖仏となって龍門に出現した。『華厳経』の熱心な信者であった則天武后から寄進され、その像容は彼女の面影を伝えているといわれる/龍門石窟・奉先寺洞 |
(『華厳経』の教主であるヴァイローチャナは、六十巻本では盧舎那仏と、八十巻本では毘盧遮那仏と表記されました。日本には六十巻本が入ってきましたので、盧舎那仏と呼んでいました) |
〈天のハスと本尊仏をむすぶ〉龍門は伊河(いが)をはさんで西山と東山からなることを前回述べました。西山がほぼ彫り尽くされますと、対岸の東山でも開窟がはじまります。奉先寺洞の巨大仏が出現した後の8世紀初頭のころ、龍門におけるハスのコスモロジー表現は新たな段階をむかえるのでした。 この時期を代表するのが看経寺洞(かんきょうじどう)です。それまでは蓮華洞に見たように、窟天井の中心に天蓮華があっても、本尊仏は正面の奥壁にありました。ところが、天井の中心にシンボリックに彫り出された〈天蓮華〉、その真下に仏像が位置するようになったのです【写真R-4】。 |
看経寺洞は幅、奥行とも11メートルあまりの正方形をなし、天井は平らで高さは8メートルあまりの方形窟です。 |
![]() 【写真R-4】窟の天井中央にあって世界を支配する八葉からなる〈天蓮華〉。その真下に大日如来が据えられていたか。胎蔵マンダラ世界に立ち上がる垂直の軸《アクシス・ムンディ》/龍門石窟・看経寺洞 |
現在、〈天蓮華〉の直下に基壇が復元され、本尊仏と思(おぼ)しき仏像が安置されています。仮の処置と思われますが、天井に彫り出されたハスの花がマンダラ図絵に見る〈蓮華八葉〉になっており、胎蔵マンダラを想わせることから、おそらく往時にあっては、胎蔵マンダラの本尊である大日如来(だいにちにょらい)が安置されていたのではないかと思われます。 |
〈石窟マンダラの理想の形〉本尊仏と〈天蓮華〉を垂直につらぬく中心軸は、さらなる進化をとげます。龍門の看経寺洞では窟の天井はフラットでしたが、これがドーム天井になり、さらには大きな〈天蓮華〉がただ1つ、ドームいっぱいに花開くのです。それが韓国にあります。「世界遺産」に登録されている慶州の石窟庵で、造営は8世紀なかば、東大寺の大仏建立と同じころです。 |
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![]() 【写真K-1】ドームいっぱいにひろがる巨大な〈天蓮華〉が本尊仏を包みこむ。本尊仏と〈天蓮華〉は一体であり、かつそれは輝ける光明である/石窟庵・韓国 |
慶州は今でこそ地方都市ですが、かつては新羅の都でした。唐代の龍門石窟には新羅人の寄進による仏龕が見いだされます。ある時期、新羅は唐と積極的に交流関係をもち、その都である慶州には特色ある仏教文化が大いに栄えたのでした。 |
ビルシャナ仏である可能性もありますが、それは石窟庵に近い仏国寺にまつられており、やはりこれは阿弥陀仏であるとされています。実際、阿弥陀仏を謳い上げる浄土経典『観無量寿経』と『華厳経』には相互に影響関係が認められていますし、ここが阿弥陀浄土だということは十分考えられることではあります。 |
インド神話にはじまり、ここまで、ハスのコスモロジーを追ってきました。いよいよ大団円、わが日本に到達します。日本におけるハスのコスモロジーの代表例は、やはり、あの東大寺の大仏です。次回は奈良の都を訪れましょう。 |
【写真U-1】:武澤秀一 『空海 塔のコスモロジー』 春秋社
【写真U-2】:雲岡石窟文物保管所編 『中国石窟 雲岡石窟一』 平凡社
【写真U-3】:雲岡石窟文物保管所編 『中国石窟 雲岡石窟二』 平凡社
【写真U-4】:雲岡石窟文物保管所編 『中国石窟 雲岡石窟一』 平凡社
【写真U-5】:雲岡石窟文物保管所編 『中国石窟 雲岡石窟二』 平凡社
【写真R-2】:武澤秀一 『マンダラの謎を解く』 講談社現代新書
【図R-1】:龍門文物保管所、北京大学考古系編 『中国石窟 龍門石窟一』 平凡社
【写真R-4】:武澤秀一 『マンダラの謎を解く』 講談社現代新書
【写真K-1】:黄寿永編著・安章憲写真 『石窟庵』 大西修也訳 河出書房新社
《第12・13・14回 参考文献》
■石窟
雲岡石窟文物保管所編 『中国石窟 雲岡石窟一』 平凡社
雲岡石窟文物保管所編 『中国石窟 雲岡石窟二』 平凡社
昝凱編著 『雲岡石窟』 山西人民出版社/中国
龍門文物保管所、北京大学考古系編 『中国石窟 龍門石窟一』 平凡社
龍門文物保管所、北京大学考古系編 『中国石窟 龍門石窟二』 平凡社
MIHO MUSEUM編 『龍門石窟展図録』 MIHO MUSEUM
劉景龍編著 『龍門石窟』 香港永泰出版社
黄寿永編著・安章憲写真 『石窟庵』 大西修也訳 河出書房新社
尹張燮 『韓国の建築』 西垣安比古訳 中央公論美術出版
■美術・コスモロジー・仏典
宮治 昭 『仏教美術のイコノロジー――インドから中国まで――』 吉川弘文館
岩田慶治、杉浦康平 『アジアの宇宙観』 講談社
林巳奈夫 『漢代の神神』 臨川書店
吉村 怜 『中国仏教図像の研究』 東方書店
竹村牧男 『華厳とは何か』 春秋社
梶山雄一監修 『さとりへの遍歴(上)――華厳経入法界品――』 中央公論社
梶山雄一監修 『さとりへの遍歴(下)――華厳経入法界品――』 中央公論社
桜部 建 「『華厳』という語について」 (『仏教語の研究』文栄堂)
『浄土三部経(上)(下)』 中村元・早島鏡正・紀野一義訳 岩波文庫
■歴史
鎌田茂雄 『新 中国仏教史』 大東出版社
鎌田茂雄 『華厳経物語』 大法輪閣
鎌田茂雄 『仏教伝来』 講談社
岡田英弘 『中国文明の歴史』 講談社
■著者関連文献
武澤秀一 『マンダラの謎を解くーー三次元からのアプローチ』 講談社現代新書
武澤秀一 『空海 塔のコスモロジー』 春秋社
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武澤 秀一(たけざわしゅういち) 1947年群馬県生まれ。建築家/博士(工学・東京大学)。東京大学工学部建築学科卒業。同大学院を中退し、同大学助手をへて建築家として独立。設計活動の傍ら、東京大学、法政大学などで設計教育指導に当たった。20代、30代はヨーロッパ志向がつよかったが、40代に入りインド行脚をはじめる。50代以降は中国、韓国および日本列島各地のフィールドワークを重ねている。著者に、『マンダラの謎を解く』(講談社現代新書)、『空海 塔のコスモロジー』(春秋社)、『法隆寺の謎を解く』(ちくま新書)、『神社霊場 ルーツをめぐる』(光文社新書)、『伊勢神宮の謎を解く——アマテラスと天皇の「発明」』(ちくま新書)などがある。 |