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世界の宗教

コスモロジーと出会うよろこび【編集部から】

本連載エッセイでは、人類共通の記憶の宝庫ともいうべきコスモロジー(=世界観・宇宙観)の豊かさを武澤秀一先生が探究します。
建築家である先生は、ご著書『空海 塔のコスモロジー』『マンダラの謎を解く』『神社霊場ルーツをめぐる』に見られるように、3次元の存在である建築を歴史・宗教・文化の位相のなかに捉え、塔やマンダラや神社霊場が聖なる力を帯びていく様相を明らかにされてきました。そして今年3月に刊行された新著『伊勢神宮の謎を解く』は、とくに日本の特性を浮かび上がらせていて注目されます。本連載エッセイにあわせて、ぜひごらんください。これからの連載でも、日本列島において育まれてきたわたしたちのこころの特性に、さまざまな場面で気づかせてくれることでしょう。
さあ、コスモロジーに出会う旅に出発することにいたしましょう。わたしたちが無意識の底に置き去りにしてきた大切なものに、今、再び出会うために——。

建築家 武澤秀一のフォトエッセイ 世界遺産を巡る ― 時空を超えて

 

第4回 インドのストゥーパ vs ローマのパンテオン (下)

旅する帝王(その1)――アショーカ王の場合

サーンチーのストゥーパ建造に着手したアショーカ王、ローマのパンテオンを建造したハドリアヌス帝。この二人の帝王には興味深い共通点があります。それは両者とも大変な旅好きで、おそろしく広大な領地を積極的に巡行したことです。

伝承によれば、古代インド最初の統一帝国であるマウリア朝の王子アショーカは、父王が没するや、99人の異母兄弟を殺し、第3代の王となりました。紀元前268年ころのことです。即位したのちもアショーカ王の暴虐ぶりは変わらず、気に入らない臣下500人を打ち首にし、宮廷に仕える女性500人を焼き殺したといいます。数字には誇張があるでしょうが、とにかく凶暴であったようです。

即位して8年、アショーカ王はカリンガ(インド東部、ベンガル地方の南にあった強国)にたいする戦争に勝利をおさめましたが、この戦いで敵味方、僧侶や民衆など非戦闘員を含め、その数10万にもおよぶ犠牲者が出ました。この惨状にアショーカ王は、戦争は罪悪であるとの思いをつよくします。そしてそれまでの自分を大いに悔い、深く仏教に帰依して自ら修行に打ち込むようになったといいます。

 

それからの王は、ダルマ(=法・摂理)を標榜し、これを政治の理想として実行します。即位して12年経ったころから、各地の摩崖(まがい)に数多くの法勅(ほうちょく)を刻み、また、「アショーカ王柱」と呼ばれる円柱を各地に立てることをはじめました (30本と伝えられますが、確認されたのは10本)。


円柱は砂岩を磨いた巨大なもので、その直径は80センチほど。高さは10メートルを超え、15メートルのものまでありました。法勅が刻まれたこの独立柱には、ストゥーパの中心に立つユーパ・ヤシュティと同様の意味を担うことが期待されたのではないでしょうか。

そう、これも 《アクシス・ムンディ》 であったと考えられます( 《アクシス・ムンディ》 については第3回を参照)。

そして広大な領地に隈なく法がひろまることを念じ、仏蹟を回って「法の巡行」をおこなうのでした。例えば、ネパール国境に近いブッダ生誕の地、ルンビニーに立てられた「アショーカ王柱」には、王がこの地を訪れて柱を立てたとの銘文が刻まれています。

また、領地内に「八万四千の」ストゥーパを建造したといいます。数については誇張が含まれていましょうが、とにかく膨大な数だったのでしょう。調査の結果、アショーカ王によるストゥーパの建造はインド各地に及んでいたことがわかっています。

 

さて話はブッダ入滅の時点にさかのぼりますが、仏伝によれば、ブッダの入滅後、部族間で仏舎利を奪い合う事態となり、戦闘がはじまりました(その場面を伝えるレリーフがサーンチーのストゥーパ、南のトーラナにあります【写真S‐8】)。

 

調停者が現れ、仏舎利は結局、8つに分けられました。そしてそれをまつるストゥーパが8つの地方に建造されたのでした。その後、もっと多くのストゥーパを建造して法を行き渡らせようと思い立ったアショーカ王は、8つのうち、7つのストゥーパに納められていた仏舎利をさらに分け、「八万四千の」ストゥーパを建造したと伝えられています。それらのすべてとはいわないまでも、アショーカ王は自ら建てたストゥーパを巡拝したことでしょう。

善行を重ねるアショーカ王は「ダルマ・アショーカ」(=法阿育〔あいく〕)と讃えられ、『阿育王経』という仏典まで生まれたのでした(「八万四千の」ストゥーパ建造の話もこの経典によります)。
 


【写真S‐8】 南のトーラナの水平材に施されたレリーフを基壇上のプラダクシナー・パタから見る。ネパール国境に近いブッダ入滅の地クシーナガルにおける、仏舎利争奪戦の様子が表現されている。この水平材は修復の際、表と裏を間違えて取り付けられたとのことだ。

 

 

旅する帝王(その2)――ハドリアヌス帝の場合 

ハドリアヌス帝の在位期間は21年でしたが、そのうちの、ほぼ半分にあたる期間、ローマをあけて旅に出ていました。技術者をともなって帝国の属州を視察し、行く先々で、必要と認めれば橋を架け、道路を造り、侵略に備えて堅固な砦を築くなど、さまざまな問題を解決していったのです。戦争以外の目的でこれほど大旅行をつづけた帝王は珍しく、特筆に値します。

即位した117年、早くもドナウ川流域と小アジアを訪れ、翌年7月にローマに戻っています。こののち、大掛かりな視察旅行が2度おこなわれます。
第1回目は121年春から125年夏にかけておこなわれ、この旅は4年間に及ぶものでした。この間にパンテオンの工事が進んでいました。さきに述べたエレウシスの密儀にはじめて参加したのは、この旅の終わりのころでした。

第2回目は128年夏から4~5年間にわたっておこなわれました。この旅のなかでも、エレウシスの密儀に参加しています(エレウシスの密儀については第3回を参照)。属州を巡行する皇帝にたいし、各地で礼拝が興ったといいます。皇帝の巡行は広大な帝国をひとつの世界にまとめ上げる意味をもちましたが、同時に皇帝は神として各地の神殿にまつり上げられたのでした。前述のユルスナールは、ハドリアヌス帝にこう独白させています(多田智満子訳)。

「一つの世界に形と秩序を与え、同心円を描く回転において、……その世界を発展増殖せしめる神の努力を、助け補佐する者として自分を想像していた。……そしてわたしが自分を神と感じはじめたのはこの時期である」

「一つの世界に形と秩序を与え、同心円を描く回転」とは、まさにハドリアヌスが設計し、建造したパンテオンを想起させます。このことはストゥーパにも当てはまります。

パンテオンにおいてハドリアヌス帝は世界と一体となり、自身を神と感じはじめていたと思われるのです。ストゥーパにおいて、アショーカ王も同様の感覚を得たのではないでしょうか。

 《アクシス・ムンディ》 への讃歌

帝王が長期にわたって首都をあけるということは、不安なものがあります。平穏に見える時でさえ、王位を脅かす蠢動(しゅんどう)がいつ起こるかもわからないのです。
ところが二人の帝王は数多くの旅を重ね、とくにハドリアヌス帝の場合は4~5年間という、きわめて長期にわたるものでした。それを可能にしたものは何だったのでしょうか?

それは、ふたりの帝王がそれぞれストゥーパ、パンテオンという 《アクシス・ムンディ》 を建造していることと無縁ではないように思われるのです。
かれらは、心のなかにしっかりと 《アクシス・ムンディ》 をもっていました。それを支えたのが、すなわち、アショーカ王にとってはストゥーパであり、ハドリアヌス帝にとってはパンテオンだったのです。

 《アクシス・ムンディ》 と一体化し、それを体現する帝王。その存在は超越的と映ります。帝王にたいする崇拝が起きたのも、 《アクシス・ムンディ》 と一体と観念されたことも手伝っていたのではないでしょうか。それだからこそ、長期にわたって遠く都を離れ、各地を巡行することも可能だったと思われるのです。

***

世界遺産を巡りながら、随分と遠い所に来てしまったでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。 《アクシス・ムンディ》 とひとつになるとは、すでにお気づきのように、あなた自身に出会うことでもあるのです。

次回はインドの地にアジャンターとエローラを訪ね、仏教とヒンドゥー教の比較を試みたいと思います。



《第1回~第4回 図版出典》

【図S‐1】:武澤秀一『空海 塔のコスモロジー』春秋社
【図S‐2】:アンリ・ステアリン『世界の建築 下』鈴木博之訳、鹿島出版会
【図S‐3】:同上
【図R‐1】:アンリ・ステアリン『世界の建築 上』鈴木博之訳、鹿島出版会
【図R‐2】:同上

《第1回~第4回 参考文献》

■全般
ミルチャ・エリアーデ『聖と俗』風間敏夫訳、法政大学出版局
ミルチア・エリアーデ『世界宗教史Ⅰ』荒木美智雄・中村恭子・松村一男訳、筑摩書房
ミルチア・エリアーデ『世界宗教史Ⅱ』島田裕巳・柴田史子訳、筑摩書房
C・G・ユング『個性化とマンダラ』林 道義訳、みすず書房
べヴァリー・ムーン編『元型と象徴の事典』橋本慎矩ほか訳、青土社

■インド関連
『リグ・ヴェーダ讃歌』辻直四郎訳、岩波文庫
『マヌ法典』渡瀬信之訳、中公文庫
渡瀬伸之『マヌ法典―ヒンドゥー教世界の原型―』中公新書
杉本卓洲『ブッダと仏塔の物語』大法輪閣
定方晟『インド宇宙誌』春秋社
平川彰『インド仏教史・上』春秋社
西川幸治『仏教文化の原郷をさぐる』NHKブックス
山崎元一『世界の歴史3 古代インドの文明と社会』中央公論社
佐藤圭四郎『世界の歴史6 古代インド』河出書房新社

■ローマ関連
S・ギ―ディオン『建築、その変遷』前川道郎・玉腰芳夫訳、みすず書房
クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ『ゲニウス・ロキ』加藤邦男・田崎祐生訳、住まいの図書館出版局
レモン・シュバリエ/レミ・ポワニョ『ハドリアヌス帝』文庫クセジュ、白水社
ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』多田智満子訳、白水社
I・モンタネッリ『ローマの歴史』藤沢道郎訳、中公文庫
青柳正規『皇帝たちの都ローマ』中公新書
小川英雄『ローマ帝国の神々』中公新書
フランツ・キュモン『ミトラの密儀』小川英雄訳、平凡社

■著者関連文献
武澤秀一『空海 塔のコスモロジー』春秋社
武澤秀一『マンダラの謎を解く』講談社現代新書
武澤秀一『法隆寺の謎を解く』ちくま新書

                                                                          (つづく)


武澤 秀一(たけざわしゅういち)

1947年群馬県生まれ。建築家/博士(工学・東京大学)。東京大学工学部建築学科卒業。同大学院を中退し、同大学助手をへて建築家として独立。設計活動の傍ら、東京大学、法政大学などで設計教育指導に当たった。20代、30代はヨーロッパ志向がつよかったが、40代に入りインド行脚をはじめる。50代以降は中国、韓国および日本列島各地のフィールドワークを重ねている。著者に、『マンダラの謎を解く』(講談社現代新書)、『空海 塔のコスモロジー』(春秋社)、『法隆寺の謎を解く』(ちくま新書)、『神社霊場 ルーツをめぐる』(光文社新書)、『伊勢神宮の謎を解く——アマテラスと天皇の「発明」』(ちくま新書)などがある。