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宗教こぼれ話

このコーナーは、宗教情報センターに長年住みついている知恵フクロウ一家の
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交代で、宗教に関わるさまざまなエピソードを紹介します。


第二十二回「ローマ法王には予想外の候補者が選ばれる?」※2.23初出に追記

2013/03/14 第二十二回「ローマ法王には予想外の候補者が選ばれる?」※2.23初出に追記 

情ちゃん  
※2013年2月23日掲載分に、新ローマ法王決定後、3月14日に追記を行いました。
 ローマ法王ベネディクト16世が2月11日、高齢を理由に2月28日をもって辞任すると発表しました。法王は伝統的に終身制で、生前の辞任は1415年のグレゴリオ12世以来約600年ぶりです。各国のメディアは、さっそく「次のローマ法王は誰になるのか?」と予測をはじめました。歴代法王の約8割はイタリア人が占めており、イタリア人以外の法王が2人続いたあとはイタリアからとの声もありますが、実現するでしょうか。
 法王は、80歳未満の枢機卿による選挙(コンクラーベ)によって決定されます。枢機卿たちは3分の2以上の票を得て法王就任を受諾する人が出るまで、外部との接触が絶たれます。システィーナ礼拝堂に集まって、初日は午後に1回、その後は午前・午後に各2回の投票を行います。コンクラーベは法王退位の15~20日後に開催されるのが通例ですが、今回は早まる可能性もあるとバチカンが示唆しています。
 イタリアには、「法王の有力候補としてコンクラーベに入ったものは、ただの枢機卿として出てくる」ということわざがあるそうです。後継者と目された人が実際に選ばれることは稀とされるからですが、本当にそうなのでしょうか? 戦後に選ばれた歴代ローマ法王の事例を振り返ってみましょう。
 
●事例1 第261代ローマ法王ヨハネ23世(在位1958~1963
 予想外の選出[1]。ヴェネチア総大司教だったヨハネ23世の就任は驚かれた。前法王ピオ12世(在位1939~1958)が選出された1939年まで過半数を占めたイタリア人枢機卿[2]の数は減少し、参加した枢機卿51人のうちイタリア人が17人[3]と少なかったが、伝統に沿ってイタリア人が選ばれた。76歳での就任は、第246代クレメンス12世(在位1730~1740、就任時78歳)以来の最高齢。コンクラーベに参加した枢機卿51人の平均年齢は74歳と高く、11回目の投票で決まるまでに数名が健康を害した[4]。枢機卿を保守派、社会主義派、中道派の3つに分けると、中道派の勝利とみられていた[5]
 法王として世界中に広く愛され、“聖人”とも呼ばれた[6]。カトリックの改革を打ち出した第2バチカン公会議(1962~1965)を開催するなどの功績を残し、2000年に福者に列せられた。
 
●事例2 第262代ローマ法王パウロ6世(在位1963~1978
 確実視された選出。ミラノ大司教だったパウロ6世(就任時65歳)は、かねてから「法王になるべき人」との評判が高く、枢機卿になって初めてのコンクラーベで就任が決まった[7]。選挙権をもつ枢機卿82人(うち80人参加[8])のうち国別では29人がイタリア人と圧倒的多数で、イタリア人が有力とみられていた[9]。ヨハネ23世の流れを汲む進歩(リベラル)派で、対する保守派も候補に挙がったが、通算5回目の投票で選ばれた[10]
 リベラルとみられたパウロ6世だが、在任中は宗教問題では保守的だった[11]。切れ者であったためか、“冷たい”“気難しそうな”[12]といった形容がなされた。
 
●事例3 第263代ローマ法王ヨハネ・パウロ1世(在位1978.8~1978.9
 予想外の選出[13]。ヴェネチア総大司教だったがイタリア以外では無名だったヨハネ・パウロ1世(就任時65歳)は選出開始から25時間という異例の早さで選ばれた[14]。参加した枢機卿111人は、出身大陸別ではヨーロッパ56人、非ヨーロッパ55人と非ヨーロッパ出身者も増えていたが、国別ではイタリア人が最も多く27人だった[15]。コンクラーベでは数人の枢機卿に票が分かれて長期化の恐れがでてきたため、長老がどのグループからも反対の少ない候補(ヨハネ・パウロ1世)を立てて、調停にまわったという[16]。新法王は、教区司祭としての経験が豊富で人情味のある人柄が慕われていたが[17]、バチカンの内局勤務も外交官経験も皆無だった[18]。このことは驚かれもしたが、当初の候補者が法王庁のメンバーばかりであったことと、参加した大多数の枢機卿が現場の司教であったことを考慮にいれると、妥当とも考えられた[19]
 新法王は、前法王の改革路線の継承、戴冠式の廃止など慣習の打破ほかの基本方針を示したが[20]、バチカン銀行の経営陣更迭を指示した翌朝、寝室で亡くなっているのが発見された。死因は「心停止」とされたが、毒殺説を主張する歴史家たちもいる[21]。在位わずか34日だった[22]
 
●事例4 第264代ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(在位1978~2005
 予想外の選出。史上初の共産圏(ポーランド)出身の法王。非イタリア人の法王は、オランダ出身の第218代ハドリアノ6世(在位1522~1523)以来456年ぶり。選出過程は秘密厳守とされているが、内幕は次のようだ。イタリア人候補が有力だったが、イタリアの枢機卿らが保守派とリベラル派に分裂し、法王決定まであと数票のところで煮詰まった。そこでドイツの枢機卿らがポーランド首座司教(ヨハネ・パウロ2世)を推薦し、まず第三世界、特に南米の、次いでヨーロッパ諸国の枢機卿らが支持にまわった[23]。通算8回目の投票で決定した[24]
 58歳で就任した法王の在位期間は、歴代3位の26年5カ月に及んだ。カリスマ性があり、死後6年目の2011年には早くも福者に列せられた。外遊を重ねて「空飛ぶ聖座」とも呼ばれた法王は、対外的には開明的だったが教義面では超保守で、リベラルに傾いていたカトリック界を保守に切り返した[25]
 
●事例5 第265代ローマ法王ベネディクト16世(在位2005~2013
 大本命の選出[26]。ロンドンのブックメーカー(賭け屋)では、フランス人枢機卿と並んで最有力候補だった[27]。バチカンの教理省長官だった法王はドイツ人で、2代続けての非イタリア人。参加する枢機卿115人のうち、ヨーロッパ出身者が58人うちイタリアは20人、非ヨーロッパが57人で、信者の4割以上が中南米にいるという状況[28]も反映されているようだ。保守派とリベラル派の対立もあった[29]が、枢機卿たちは保守派が大半[30]で、保守派の筆頭候補であったベネディクト16世の就任は順当だった。78歳と高齢だったが、前法王の長期在位への不満から高齢者が望まれていたことも後押しとなった[31]。通算4回目の選挙で決定した。後日、下馬評に上らなかったアルゼンチン人枢機卿が4回とも2位の票数を得て、史上初の南米出身の法王の可能性もあったという内幕が、暴露された[32]
 法王は、教義に極めて厳格で保守的な態度を貫いた。在任中には、聖職者による性的虐待や、バチカン銀行(宗教事業協会)の資金洗浄疑惑、バチリークス(バチカン機密漏えい事件)など教会内部の問題が噴出したが、それらへの対応がうまくいったとは言いがたい。法王は神学者として知られ、行政はバチカンでナンバー2の地位にあるベルトーネ国務長官に任せきりだった[33]
 
★★★ 第266代ローマ法王は? ★★★
 これらの事例をみると、ことわざの的中率は決して高くないような気もします。では、今回はどうなるのでしょうか? 現在、候補者の名前は大勢、挙げられています(下表参照)。
 3大ブックメーカーの1つである英国の「ウィリアム・ヒル(オンライン)」は、タークソンを最有力、スコラを2位、ウエレットを3位の候補としています(敬称略)。イタリア紙『レプッブリカ』は、イタリア人で最も期待される候補としてスコラを挙げています[34]。英紙『ガーディアン』は、タークソン、ウエレット、アリンゼ、スコラの4人[35]、米紙『USAトゥデイ』は、スコラ、バニャスコ、ウエレット、ラヴァージ、サンドリの5人[36]を有力候補としています。『ニューズウィーク』は、アフリカか南米の枢機卿が有力とし、特にサンドリを本命視しています[37]
 
名前(年齢) 出身 備考
ピーター・コドヴォ・アピア・タークソン(64) ガーナ 「正義と平和評議会」議長、保守、黒人、人間味あるが発言に論争も、影響力大、語学に堪能
アンジェロ・スコラ(71) イタリア ミラノ大司教、保守、ベネディクト16世派
マルク・ウエレット(68) カナダ 司教省長官、ラテン・アメリカ委員会委員長、リベラル、就任拒否の可能性も、語学に堪能
タルチジオ・ベルトーネ(78) イタリア 国務省長官、スキャンダルの渦中に
フランシス・アリンゼ(80) ナイジェリア 典礼秘跡省名誉長官、(超)保守、黒人
*レオナルド・サンドリ(69) アルゼンチン 東方教会省長官、元国務省総務局長官代理、中道
*ペーター・エルド(60) ハンガリー エステルゴン・ブダペスト大司教、ハンガリー首座大司教、保守、アフリカと関係強化
*アンジェロ・バニャスコ(70) イタリア ジェノバ大司教、ベルトーネと対立
クリストフ・シェーンボルン(68) オーストリア ウィーン大司教、リベラル(保守とも)、聖職者の独身規定見直し言及も、語学に堪能
*ジャンフランコ・ラヴァージ(70) イタリア 文化評議会議長、ベルトーネ派
オスカル・アンドレス・ロドリゲス・マラディアガ(70) ホンジュラス テグシガルパ大司教、リベラル(中道左派とも)、語学に堪能
※バチカン公式サイト、カトリック中央協議会公式サイト、新聞記事、海外紙電子版、『ニューズウィーク』2013年2月26日などをもとに作成
※「ウィリアム・ヒル」(オンライン)が、新法王の賭けに付けたオッズが低い(法王になる可能性が高いと見込まれる)順の上位11名、黄色はイタリア人、緑はアフリカ出身、ピンクは中南米出身。
※*はベネディクト16世により任命された枢機卿。
 
■ベネディクト16世の影響は?
 これまでのコンクラーベと異なり、今回は前法王が存命という大きな違いがあります。選挙権をもつ枢機卿117人(3月1日時点)のうち、67人をベネディクト16世が任命していますから、その影響は少なくないかもしれません。法王の退任理由としては、教会改革が実現できなかったことへの不満と分析する人もいます。法王は、①資金面での透明性の向上、②女性の役割の強化などを目指していたといい、これらのことを後継に託そうとしているとも考えられています[38]
 ベネディクト16世は退位表明後の2月13日に、「教会内の分裂」に警鐘を鳴らしました。これは、イタリア人枢機卿間の権力闘争を指すとも、「コンクラーベに向けたメッセージ」とも受け止められています[39]。バチカン銀行の資金洗浄疑惑をも明るみに出した一連のバチリークス事件は、バチカンのナンバー2の地位にあるベルトーネ国務長官の失脚をねらったものとの見方が優勢です[40]。ベルトーネ国務長官は、法王が退位してから次の法王が決まるまでの間、法の執行をするカメルレンゴという重要な役目も任ぜられています。
 ベルトーネ国務長官と対立関係にあるのが、ソダーノ前国務長官、バニャスコ・ジェノバ大司教らイタリア人枢機卿です。ベルトーネ国務長官もバニャスコ大司教も後継者リストに名を連ねていますが、これだけ対立が表面化したあとでは、いずれかの派閥の枢機卿が法王になるのは難しそうです。候補者の対立があった過去の事例でみられたように、いずれにも属さない予想外の候補者が“漁夫の利”を得るかもしれません。
 ベネディクト16世はまた15日に置き土産のように、バチカン銀行総裁にドイツ人の造船大手会長を選んだと発表しました。総裁のポストは、2012年5月にバチカン銀行の資金洗浄疑惑をめぐってイタリア人が解任されたあと、空席のままでした。専門家は、バチカンにおけるイタリアとアメリカの銀行の影響力の低下と、ドイツの銀行の影響力増大を予測しています[41]。法王が退任までに、バチカン銀行の刷新を試みているようにも思われます。
 こうした法王の改革路線を継承しようとする候補者が有利になるかもしれません。
 
■ベネディクト16世の反動は? ――年齢、保守vs.リベラル――
 新しい法王は、前法王の反動から選ばれる可能性もあります。いずれにせよ、法王の仕事は激務ですから、2代続けて生前退位となるのを避けるために、ある程度の若さとタフな精神力が求められるでしょう。そうなると、現在75歳以上の候補の就任は厳しいかもしれません。また、ウエレット司教省長官は2011年に「法王に選ばれるのは『悪夢』だろう」と述べており[42]、法王に選ばれたとしても辞退する可能性が示唆されています[43]
 また、このところ法王は保守派が続きましたが、ベネディクト16世が超保守だったことや、保守的な姿勢が時代にそぐわなくなってきていることから、中道かリベラルな路線に変わる可能性もあるでしょう。
 このほかの点では、ベネディクト16世は学者肌で、行政をベルトーネ国務長官に任せすぎた点が問題を引き起こしたとみられていることから、行政に長けた人が選ばれる可能性があります。
 人柄で言えば、親しみやすい法王のあとにはシャープな法王と、交互であるようにも見受けられますが、そうなると、次は親しみやすい法王になるかもしれません。
 
■どの国の人がなる?
 さて、今回、法王はイタリア人という伝統は復活するでしょうか。3月1日の時点で選出権をもつ枢機卿117人のうち、ヨーロッパ出身者が61人、非ヨーロッパが56人(うち南米19人、アフリカ11人)で、国別ではイタリアが28人と突出して多く、しかも前回よりも増えています。
 ところが最近、バチカン当局者が後継者候補について、次のような異例の言及をしました。ドイツ出身のゲルハルト・ミュラー大司教(教理省長官)は「カトリック教会を主導できる中南米出身の司教や枢機卿を多く知っている」と述べ、スイス出身のクルト・コッホ枢機卿(キリスト教一致推進評議会議長)は「アフリカや南米から候補者が出るのはよいことだ」と語りました[44]。実はベネディクト16世も法王就任前の2002年に「アフリカ人法王の誕生は、キリスト教世界にとって非常に有益」と語っています。これはナイジェリア出身のアリンゼ諸宗教対話評議会議長(当時)を念頭においたものでした[45]。ですが、すでに80歳となっており、法王になるには高齢すぎるかもしれません。
 アフリカや南米出身の有望な候補者も数名います。ガーナ出身のタークソン「正義と平和評議会」議長は、初の黒人法王との期待も高い候補です。ガーナ出身ですがニューヨークとローマで学び、語学に堪能です。テレビ出演をしたことで、西アフリカでは高い人気を誇っています[46]
 アルゼンチン出身のサンドリ東方教会省長官は、前法王ヨハネ・パウロ2世に非常に信頼されていました[47]。2000年から2007年まで国務省総務局長官代理を担っており、ソダーノ前国務長官(国務省長官)とベルトーネ現国務長官の下で働いた経験があります。
 中南米のホンジュラス出身で首都テグシカルパの大司教をしているマラディアガも候補に挙がっています。
 これらの地域出身の候補への期待が高いのは、カトリック教徒約12億人のうち41%が中南米で、欧州が24%(※アフリカ16%)となっており、アフリカの信者の増加率が欧州を上回っていることがあります[48]。カトリックが全世界に広まった現在、法王の国籍にこだわる必要はないのかもしれません。
 
                       *   *   *

 ・・・・・・つらつらと書いてきましたが、ことわざ通り、まったく予想外の候補が法王になることもあるでしょう。コンクラーベの前に枢機卿たちは、良い選挙ができるようにと聖霊の助けを請う祈りを捧げるそうです。「法王の有力候補としてコンクラーベに入ったものは、ただの枢機卿として出てくる」ということわざは、浅はかな人間が下す評価への戒めかもしれません。新法王決定を知らせる白い煙が、システィーナ礼拝堂の煙突から出る日を静かに待ちましょう。
(文責・藤山みどり)


 
◆◆◆ 南米出身の266代ローマ法王「フランチェスコ1世」誕生 ◆◆◆[(3月14日追記)]
 

 コンクラーベの2日目となる3月13日、5回目の投票で、新しいローマ法王にアルゼンチン人でブエノスアイレス大司教のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が選出されました。南米出身の法王は初めてです。新法王は、2005年に保守派のベネディクト16世が選出されたとき、穏健派の支持を集めて終始2位につけていました。しかし今回、欧州メディアの下馬評には上っておらず、「予想外の選出」でした。76歳という高齢であったことも、予想外となった要因でしょう。戦後のコンクラーベでは、短期に終わったヨハネ・パウロ1世を除くと、「予想外の選出」「本命の選出」と交互に続いているようにもみえます。
 コンクラーベ直前には、現場の改革派が推すイタリア人でミラノ大司教のスコラ枢機卿と、バチカンの官僚ら保守派が推すブラジル人のシェレル・サンパウロ大司教(63)の決戦になると多くのメディアが予想していました。しかし、いずれも十分な票数を得られず、候補が対立した事例でよくみられたように、両者が折り合いを付けられる第三の選択がなされたようです。
 新法王は、日本にカトリックを伝えたイエズス会に属しています。イエズス会出身の法王の誕生も初めてです。同性婚や避妊具の無料配布に強く反対するなど、教義の面では保守的ですが[i]、同性愛が存在する現実は許容する姿勢を示すなど、穏健派、あるいは穏健な改革派とみられてきました[ii]
 イタリア移民の両親のもと、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生まれた新法王は、1998年にブエノスアイレス大司教に就任し、貧困対策に取り組んできました。「現場の聖職者」というイメージが強く、スキャンダルが噴出した法王庁の官僚ではないという点が適任とみられたようです[iii]。また、カトリックの信者の約4割が中南米にいるということも後押しとなったことでしょう。
 集合住宅に住み、移動手段は地下鉄やバス[iv]、バチカンへの飛行機もエコノミークラスで[v]という質素な生活を送る新法王は、フランチェスコ1世(フランシスコ1世)という法王名を選びました。この名前は、清貧と平和の思想で知られる12~13世紀イタリアの聖人、「アッシジのフランチェスコ」に由来します。この名前を選んだ背景には、スキャンダルで揺れるカトリック教会に平和と静けさをもたらすことを望んだからではとの見方があるようです[vi]
 フランチェスコ1世には、スキャンダルが相次いだバチカンの刷新が期待されています。ピウス3世(本名フランチェスコ・トデスキーニ、在位1503.9~1503.10、在位期間27日[vii])やヨハネ・パウロ1世(本名アルビノ・ルチアーニ、在位1978、在位期間34日)など、バチカンの悪弊の改革に挑もうとした過去の法王の在位期間が短いのが気になりますが、このところの法王をみていると、「予想外の選出」をされた法王のほうが実績を残しているようにも見受けられます。今回のコンクラーベは候補者の対立が激しかったため長期化するという見方もありましたが、参加した枢機卿たちの間に「長引くこと自体が教会の分裂を象徴する」との懸念が広がり、比較的早い決着になったのではという報道もあります[viii]。苦境に立つバチカンのトップにふさわしいと、枢機卿たちから早々に選ばれた新法王であり、さらに聖霊の働きによって選ばれた新法王であるだけに、期待に添う、あるいはそれ以上の活躍をされることでしょう。
                        
 
(情)
 
※3月15日追記:3月15日の日本のメディアの報道は当初の「フランチェスコ1世」からカトリック中央協議会の表記「フランシスコ1世」に変更したところが多くなっていますが、アッシジの聖人の呼び名は「フランチェスコ」のほうが一般的ですので、14日に記載したままとしています。
この後15日にまた、カトリック中央協議会は、バチカン大使館の通知を受けて、「フランシスコ」と呼称を変更しましたが、14日に記載したままとしています。
 

 
※メディアには黒人のタークソンの写真がよく登場する。
サンドリ(下、右から3番目)、マラディアガ(下、左から1番目)などの顔も。


※2月27日追記
 
 
 イタリア紙『レプブリカ』などは、次期法王には、腐敗が指摘される法王庁との関わりが薄い人物を、との動きがあると報じられている(『朝日新聞』2013年2月25日)。
また、法王の退位を決断させたのは、「同性愛者団体などとつながるさまざまな勢力が内部文書流出事件の背景」との報告だったとも報じられた(同)。機を一にするかのように、法王庁は25日、英国のオブライアン枢機卿(74)が、セントアンドリューズ・エジンバラ大司教を辞職することを認めた。1980年代に男子神学生に性的虐待など「不適切な行為」をしたとして告発されていたという。オブライアン枢機卿は性的虐待を否定したが、コンクラーベには参加しないと発表した。

※3月2日データ修正補足:コンクラーベに参加する枢機卿は法王退位(3月1日)時点で80歳未満。


 
[1] 『朝日新聞』1963年6月4日夕刊
[2] 『毎日新聞』2005年4月19日
[3] 『毎日新聞』1958年10月28日
[4] 『カトリック新聞』1958年11月9日
[5] 『読売新聞』1958年10月29日夕刊
[6] 『朝日新聞』1978年8月28日
[7] 『読売新聞』1963年6月22日
[8] 『毎日新聞』1963年6月22日
[9] 『朝日新聞』1963年6月4日夕刊
[10] 『読売新聞』1963年6月22日、『朝日新聞』1963年6月4日夕刊
            ※『朝日新聞』2013年3月12日では「6回目」の投票で決まったとしている。
[11] 『朝日新聞』1978年8月7日夕刊
[12] 『朝日新聞』1978年8月28日
[13] 『朝日新聞』1978年8月28日
[14] 『カトリック新聞』1978年9月10日
[15] 『朝日新聞』1978年8月26日
[16] 『毎日新聞』1978年8月28日
[17] 『毎日新聞』1978年8月28日
[18] 『朝日新聞』1978年8月28日
[19] 『カトリック新聞』1978年9月10日
[20] 『読売新聞』1978年9月30日
[21] ジャンルイージ・ヌッツィ著、竹下・ルッジェリ・アンナ監訳、花本知子・鈴木真由美訳、『バチカン銀行株式会社』柏書房(2010年10月)
[22] 『毎日新聞』1978年9月30日
[23] 『読売新聞』1978年10月20日
[24] 『東京新聞』2005年4月19日
[25] 『読売新聞』2005年4月4日、『東京新聞』2005年4月19日
[26] 『東京新聞』2005年4月20日
[27] 『産経新聞』2005年4月18日
[28] 『毎日新聞』2005年4月19日
[29] 『読売新聞』2005年4月19日
[30] 『毎日新聞』2005年4月19日
[31] 『産経新聞』2005年4月18日、『毎日新聞』2005年4月19日
[32] 『毎日新聞』2005年9月27日
[33] 『読売新聞』2013年2月15日
[34] La Repubblica.it 2013年2月18日
http://www.repubblica.it/esteri/2013/02/18/news/lobby_cardinali_conclave-52879414/
[35] The Guardian 2013年2月11日
http://www.guardian.co.uk/world/2013/feb/11/next-pope-contenders-vatican-job
[36]USA TODAY 2013年2月12日
 http://www.usatoday.com/story/news/world/2013/02/11/vatican-next-pope/1908839/
[37] A・N・ウィルソン「ローマ法王愛と矛盾の退位」『ニューズウィーク』2013年2月26日
[38]『毎日新聞』2012年2月13日
[39] 『毎日新聞』2012年2月16日
[40] 『AFP BBニュース(電子版)』2012年6月4日
[41] The New York Times 2013年2月15日
http://www.nytimes.com/2013/02/16/world/europe/pope-names-von-freyberg-to-head-vatican-bank.html?_r=0
[42] 『ニューズウィーク』2013年2月26日
[43] Business Insider 2012年4月19日
http://www.businessinsider.com/meet-the-man-who-will-be-the-next-pope-2012-4#cardinal-marc-ouellet-7
[44] 『ロイター(電子版)』2013年2月12日
[45] 『キリスト新聞』2002年4月27日
[46] The Guardian 2013年2月11日
http://www.guardian.co.uk/world/2013/feb/11/next-pope-contenders-vatican-job
[47] 『ニューズウィーク』2013年2月26日
[48] 『毎日新聞』2013年2月13日、
※Vatican Information Service 2012年3月12日
http://visnews-en.blogspot.jp/2012/03/presentation-of-pontifical-yearbook.html
『Annuario Pontificio(2012年版)』の2010年統計では、信徒約12億人、南米28%、欧州24%、アフリカ16%、東南アジア11%
 
 ※上記のほか、カトリック中央協議会の公式サイト、バチカン公式サイトを参照。
 
[i] 『東京新聞』2013年3月14日夕刊、CNN.co.jp 2013年3月14日
[ii] 『読売新聞』『東京新聞』2013年3月14日夕刊
[iii] 『東京新聞』2013年3月14日夕刊
[iv] 『朝日新聞』2013年3月14日夕刊、CNN.co.jp 2013年3月14日
[v] ロイター 2013年3月14日
[vi] NHKニュース 2013年3月14日
[vii] P.G.マックスウェル-スチュアート著、高橋正男監修、月森左知・菅沼裕乃訳、『ローマ教皇歴代誌』
[viii] 『日本経済新聞』2013年3月14日夕刊