• トップ
  • 第十三回「戦争のためのヨーガ」
文字サイズ: 標準

アーカイブス

バックナンバー

宗教こぼれ話

このコーナーは、宗教情報センターに長年住みついている知恵フクロウ一家の
長老・宗ちゃんと、おちゃめな情報収集家・情ちゃん、そして、
日々面白いネタを追い求めて夜の空を徘徊するセンちゃんが、
交代で、宗教に関わるさまざまなエピソードを紹介します。


第十三回「戦争のためのヨーガ」

2011/09/25 第十三回「戦争のためのヨーガ」 

宗ちゃん この記事は、爆撃の命令を受けたが任務にあたって心が動揺していた兵士が、ふだん通りヨーガを行って、自分の役割に徹することを決め、任務を遂行したという逸話を紹介している。空母の艦上?で、「戦士のポーズ」をとっている兵士の写真もある。

http://www.integralworld.net/scofield5.html

 私たちはなにかを遂行するにあたって多くのことに迷う。そもそもうまくいくか、他人はどう評価するか?家族は?友人は?上司はどう評価するか、自分は納得できるのか。それは「よい」ことなのか。それとも特定の人を犠牲にする行為なのか。
 正解はない。私たちは迷い、決断して踏み出したり、迷ったままそれをやめてしまったりする。

 インドの重要古典『バガヴァッド・ギーター』では、親族と闘わねばならなくなり迷う主人公アルジュナ。「あなたは定められた行為をなせ」とクリシュナは励ます。定められた義務を放棄せず、それに徹することが重要であると説く。[*]

 そのとおりなのだ。だが、爆撃の命令を受けるような状況において、その行為を遂行する力をヨーガによって得たというのは、斎戒の遵守を説くヨーガの方向性に逆らう。この兵士は、ひたすら抵抗し、命令を拒絶すべきだったのか?
 それはおそらく不可能であっただろう。彼が遂行しなければ別の人がする。それが戦争というものだ。

 課せられたら、断るのは難しい。であれば、そのような状況にだれかを置かずにすむよう、私たちは最大限の努力を払うべきだろう。


* 上村勝彦訳『バガヴァッド・ギーター』岩波文庫、1992年、44ページ。