平和に関する訴え

悲惨な戦争の痛みとなげきとが未だ消え去らぬ時、再び戦争の声を聞くことが、我々の心を痛ましめる。われわれはキリストが、現在隠れた形に於て世界の主で在すことをあらゆる現実の中での行動に於て証したく念願しここに平和の問題に関する志を表明して、同信の諸兄姉に訴えるものである。「平和の福音の備を靴として足に穿け」(エペソ書六・一五)平和の福音は、世のあらゆる平和論と質的に区別される神よりの賜物であると共に、しかもわれわれに対して現実に平和ならしむる者として歩むことを命じている。第二次大戦に際して、我々キリスト者がおかした過ちは、平和の福音を単に眺めるのみで、そのために身を以て闘わなかった所にありわれわれはこれを深く悔いるものである。故にわれわれは、緊張せる世界情勢の緩和のために、世界の戦争と暴力を合理化するあらゆる立場に全力を尽して反対することが、聖旨にかなうことと信ずる。今日われわれの祖国はいうまでもなく、現在世界を両分している東西両勢力の中間にその位置を占めているが、この際わが国がこの両者の一方に加担すれば、その緊張関係を激化し、他方を戦争へと刺激誘発する恐れなしとしない。故にわれわれは速かにこの世界の対立が平和裡に解決され、日本が全連合諸国と講和し平和関係に入ることを望む。またわれわれは、現実の日本国憲法がどのような動機によってわれわれに与えられたものであるにしても、これを神の賜物としてあくまで堅持し、そこに明記せられた戦争放棄と無軍備を貫き、平和国家の建設が、直接間接のいわゆる「侵略」に対しても、武力によるよりもむしろ、民主的な国内諸矛盾の解決によるべきことを主張する。以上われわれは、福音に生きるものとして、現在の平和の問題についてのわれわれの見解を明らかにした。しかしキリスト者としてのわれわれの立場は、あくまで福音の宣教こそ平和のために最後の拠所である。またこの世界の真の平和はキリストの再臨によってのみ窮極的に地上に実現することが世界の主に対する最後最大の信頼であり祈りである。

一九五一年二月一七日 キリスト者平和の会(準備委員会)

                  キリスト者平和の会発起人
                  浅野順一、石原憲治、井上良雄、大村勇、佐渡卓郎、佐藤敏夫、隅谷三喜男、
                  関根正雄、関屋正彦、武田清子、中川昌輝、福田正俊、政池仁、嶺学、三宅彰、
                  山岡喜久男、石原兵水、吉村生一、金岡巌、北森嘉蔵、小池辰雄


※「キリスト者平和の会」は、プロテスタント宗教者有志が結成
※出典:森下徹「戦後宗教者平和運動の出発」『立命館大学人文科学研究所紀要(82号)』