『日蓮宗宗報』「先づ懺悔せよ」 宗務総監西川景文

 謹慎の心地に住して久しく待って居った東京裁判の判決が、遂に去る十一月十二日、ウェッブ裁判長によって厳かに宣せられた。私はこの時端然としてラジオの前に座り、気品ある高雅な、そしていとも厳かなウェッブ裁判長の言葉を一句も聴洩すまいと耳を傾けた。かねてより期した所であったが、一人々々に出廷して刑が宣せられた時には、慄然としてみづからが宣告を受けている感じであった。国民はこれを何と聞いたであろうか。そして宗門の僧侶は、仏祖の御弟子として、将にまた宗教家として、何と聞いたであろうか。私はこれを、国民全体に対する審判であり、宣告であり、そして更に、我等に対する仏祖の誡責(かいしゃく)の御声(みこえ)として聴いたのであった。
 今度の戦争は、敗戦国たる日本にとっては勿論、戦勝国たる連合国、延(ひ)いては世界全体にとっても、最も嫌悪(けんお)すべき罪悪であり、不幸なる悲劇であった。この嫌悪すべき罪悪に満ちた悲劇を、脚色し実演した者は勿論東條等であった。そして我々一般国民は眼と耳と口とを覆われ、欺かれ、踊らされ、駆立てられた者であった。故に一応は、東條等にのみ罪があって、我々、一般国民には罪がないことになる。然し、東條等の演じた悲劇の根本思想は、決して東條等の創案ではなく、その淵源は遠く歴史的に遡るべきであることを知らねばならぬ。それは、排他と、独善と、偏狭と、固陋と、驕慢とを教えた思想である。端的に言えば、行き過ぎた国学思想であり、驕り嵩じた神道思想である。そしてそれを証拠づけ、自信づけ、信仰に近いまでの誇負をもつに至らしめたものは、実に明治以来の驚異すべき国家の隆運であった。固より我等仏教家は、若しくは正しい常識をもった者は、かくの如き思想に与(くみ)するものではなく大いにこれを悪(にく)み、これを排除するものであるが、然し、現実に驚異すべき国家の隆運を見た我等は、世界に殊なる歴史の偶然をも必然の優越性と見、その思想を悪み且つ排除しつつも、彼等と同じような自信と誇負とをもつに至っていたのであった。これは、民族の人間的感情として免れ難いところであったろう。然るに我々は、偶然にも一般国民であったが故に、欺かれ、踊らされ、駆立てられた立場にあったが、若し不幸にして国家の指導的立場にあったとしたならば、個性による多少の相違はあったにもせよ、やはり同様の罪悪を犯し、同様の悲劇の主役を演じていなかったと、誰が保証できよう。そうとしたならば、よしその罪は問われなくても、精神的道義的には同じ罪にあるものであることを深く省みなければならぬ。若しそれ、罪に問われざるを以て恬として省みず、今度の宣告を他人事として聞くならば、それは所謂、免かれて恥なきの徒というべきである。私はこの意味に於て、今度の宣告を、自分に降されたものとして慄然として聞いたのであった。
 然しながら更に振返ってみる時、この悲劇の淵源をなす思想を発生せしめ、今日、国を破るまで生長せしめたのは誰の責任か。なぜ発生の当初に於て芟除(せんじょ)し得なかったのか。なぜこれを正しく導き得なかったのか。その間に仏教家は何をしていたのか。権威を恐れて常に事莫(ことな)かれ主義を奉じてはいなかったか。果して仏弟子たるの使命に恥ぢざる行為を執って来たか。一度でもこの戦争を阻止し、若しくは中止せしめようとした事があるか――こう反省してみる時、私は、八寒八熱の苦みを一時に受くるが如き思いである。「慚愧」や「忸怩」など月並の文字を以てしては言表せない深刻な苦みである。私が最初、ウェッブ裁判長の宣告を仏祖の誡責の御声として聴いた、と言ったのはその意味である。
 ここに於て我々は、「国民として」と同時に、「仏祖の御弟子として」の分と合せて二重に過誤と罪悪と怠慢とを犯しているわけである。何を以てこれを償うべきであろうか。
 これを償うべき途は多々あろう。然し、私はそれよりも先に、まづその罪を懺悔すべきであることを叫びたい。深刻にその罪を自覚し、心からこれを懺悔するのでなければ、真剣な贖罪の行為は現われて来ない。法華経は六根の懺悔を説いて結経としている。罪の自覚なき所に宗教はない。懺悔の心なき所に仏教は顕われ給わぬ。人間の幸福も、歓喜も、光明も平和も罪の自覚と懺悔より生ずるのである。ここに我々は終戦後四度目の新年を迎えた。私はこの新年の劈頭、何事を措いても、先づ「懺悔せよ」と叫びたい。万事はそれからである。

(二五、一二、八日世紀の悲劇の起りたる日認む)


『日蓮宗宗報』改新第14・第15合併号 1949.1.15

※原文は旧漢字、旧仮名づかいにつき、適宜修正している。