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日本国内で刊行された宗教関連書籍のレビューです。
約一ヶ月、さまざまな分野の書籍からピックアップしてご紹介します。毎月25日頃に更新します。
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最新の書評  2017/05/26

映画『ローマ法王になる日まで』2017年、提供・配信 シンカ/ミモザフィルムズ

 今回は書評ではなく、書評のような形をとって、間もなく公開される映画を紹介する。
 ローマ・カトリック教会の現法王(カトリック教会では正式には「教皇」とお呼びするそうだ)フランチェスコの、青年時代から法王就任までを描いた作品が、今年の6月3日、東京での上映を皮切りに、全国でロードショーされる。
 現法王がアルゼンチンの貧しい暮らしを経て、一度は化学の研究を志し、その後イエズス会士となったということは比較的知られているが、この作品が描くのは、彼がちょうど聖職者となる時期に母国アルゼンチンで兆していた暗雲と関わる若き日である。当時アルゼンチンでは軍事独裁政権が力を強め、反対派を共産主義者として逮捕・処刑などしていた。中南米では「解放の神学」と呼ばれる、弱者の側に立つことの意味を掘り下げた神学の伝統があるのだが、その立場に従って弱者を支援しようとした神父や仲間達が次々と犠牲になっていく。映画の中で時間を割いて描かれるのは、この独裁政権と主人公とのいつ終わるかわからないねばりづよい交渉や、軍隊・警察による暴力、それに屈しなければならない教会指導部のすがたで、映画の大部分でずっと緊張が解けない。主人公も迷いながら、弱者保護に関わる神父達に「危険だからもうやめた方がよい」と止め、そのような姿勢を修道女から面罵されたりもする。主人公は、決して間違いを犯さない存在ではなく、また、悩まないひとでも、決断が揺るがない人でもない。「ぶれまくり」である。
 この映画は、「宗教映画」ではないとルケッティ監督は述べる。だが、映画の中では何度か印象深いミサの場面があって、私は儀式の力に、あらためて目を開かれる思いがあった。主人公がドイツで神学を学ぶ機会を得た(ということは、独裁政権とその後の混沌から離れることができたということでもある)が、多くの友人を失った傷をかかえて苦しんでいる。そのドイツで、その後の彼の行く道に影響を及ぼしたであろう出会いがあり(あえて書かないでおく)、帰国後は寒村で神父としての活動を重ねる中にも、予想していなかった枢機卿への、また法王への道が彼に開けていく。
 法王となった彼の生涯を知人達にインタビューしても、すでに多くの伝説が生まれていて、ルケッティ監督はそれらを取捨選択してあるていど実際に近い姿を描くことに苦労したようだ。現在の法王の「円熟」のイメージとは違う、儀式の力を大切にしながらもしたたかな闘士としても力を尽くした、けれども迷い涙する、若き日の主人公を、ロドリゴ・デ・ラ・セルナが好演。なお、最後のスタッフロールでは本編中に出てこない映像(使わなかった映像?)があり、スラム街で司牧する主人公の姿と、ちょっと印象深い一文があるので、ぜひ最後まで見てほしい。
 映画の冒頭には、ガールフレンドとデートし、友人と食事をする普通の青年として主人公が描かれるのだが、彼がなぜ聖職者を志したのかは描かれない。監督はそれを描こうと思っていなかったかも知れない。私はかえって興味をそそられた。
 「宗教映画ではない」この作品、カトリックでなくてももちろん楽しめると思うし、宗教者はとくに学ぶところ感じるところの多い映画と感じた。

 この映画は、私に別の人物のことを思い起こさせた。チリ出身の卓越した神経科学者フランシスコ・ヴァレラ(1946-2001)のことだ。彼はハーバード大学で博士号を取得したのち、大学に残れというすすめを断って、社会主義政権が新しい試みをする機運の中でチリに帰国し、「生命の本質とはなにか」を示唆するオートポイエーシス理論を提唱する。ところがクーデターと、その後成立した軍事政権による反体制派の粛清で、親しい人々が殺される中、彼は出国を余儀なくされる。彼は母国の混乱とこの決断とを後々まで苦しむが、研究者として彼を受け入れていたアメリカでチベット仏教の指導者チョギャム・トゥルンパと出会い、仏教の思想に深い関心をもち、自ら瞑想を実践するようになる。仏教は、軍事政権下を脱出した決断とその後の彼自身の混乱からぬけでる導きの糸となっただけでなく、彼の研究にも仏教からのインスピレーションが組み込まれるようになる。そして、ダライラマ14世と力を合わせて、仏教と科学との対話をリードしていく*。
 ヴァレラの体験は、時代も、状況も、また南米という地域においても、そして研究者であったということも、法王フランシスコの体験と重なる。しかも、法王と同じ「フランシスコ」だ。
 なぜ、この時代に、南米で、同じような状況が生じたのか。私たちはこの映画から、法王の姿だけではなく、人類の普遍的な体験と学びをくみとることができるように思うのだ。

 法王フランシスコ自身は、先月、TEDにて「築くべき未来はすべての人を含んでこそ価値がある」というスピーチをバチカンより発信している。メッセージは映画の内容とも重なり、また、彼自身の語り口を聴くことができる点でも、またそのようなつながり抜きにもすばらしいスピーチなので、ぜひ一度視聴してほしい。以下では日本語字幕がついたものをみることができる。
築くべき未来はすべての人を含んでこそ価値がある

映画の情報(ロードショウの場所と予定、解説、予告編、詳細なあらすじ含む)は、以下の公式サイトで見ることができる。この映画は、「ネタバレ」だと文句を言うような作品ではなく、伝説も含めて世界的に知られている人物の人生がどう描かれているかを確認する作品なのだと思う。

映画『ローマ法王になる日まで』公式サイト

冒頭に述べたとおり、2017年6月3日より、東京都内(ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、Yebisu Garden Cinema)ほかで全国ロードショウ開始。

(研究員 葛西賢太)

*村川治彦「F・ヴァレラによる宗教と科学の対話」、拙編著『仏教心理学キーワード事典』春秋社、2012年を参照。