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テレビ番組ガイド・レビュー

日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。

ビートたけしPresents奇跡体験!アンビリバボー

2011/02/10(火)19:57~20:54 フジテレビ
キーワード
臓器移植
参考
番組公式
森田 豊 公式HP
 当番組は世界各国で起こった事件・事故に対してあらゆる角度から検証する番組である。今回は意識があるにも関わらず脳死と判定され、臓器を移植するために臓器が摘出されそうになった人の「奇跡体験」である。

 2007年11月19日アメリカで1人の青年がバイク事故により、死亡宣告を受けた。青年の名前はザック・ダンラップ。彼は4輪バイクの運転操作を誤って体を投げ出され、頭部を強く硬いアスファルトに打ち付けてしまう。すぐさま病院へ運び込まれるが、ザックの脈拍は40を切り、痛みに対する反応もなく、自立呼吸もできず、瞳孔の反応も失われていた。血流や代謝を測定するPET検査(ポジトロン断層法と呼ばれる陽電子検出を利用したコンピューター断層撮影法)では脳の部分が真っ黒に映し出され、脳に全く血液が流れていないことが判明した。そしてこれらの条件はすべて脳死(脳死とは心肺機能に致命的損傷はないが、脳の活動が回復不可能な段階にまで低下してしまった状態を指す。その基準や脳死を人の死にするかは各国ごとに違う。ちなみに日本は脳死を人の死とすると法律上明記されてはいない)の基準に達していた。これは後から分かったことだがこの状態でもザックに意識はあったという。まわりの医師や家族の会話は聞こえるのだが、それに答えたり意思表示したりしようとしても体の自由がきかない。そしてそのままザックは脳死と判定されてしまった。ザックは運転免許を取得する際にドナー登録をしており、意識があるにも関わらず臓器を摘出し提供することになってしまった。
 臓器の摘出の手続きが着々と進む中親類や友人が最後の別れを言いに来た。従妹夫婦のダン・コフィンとクリスティ・コフィンも別れを告げに来た。看護師である2人は職業経験から各種の検査結果が脳死状態を裏付けていることを確認した。しかし、違和感を覚えたダンはザックが本当に死んでいるのかどうか確かめずには居られなくなり、ポケットナイフを手に持ってザックの足の裏に振り下ろした。そうしたら、なんとザックは刺激に反応したのだ。脳死した患者でも萎縮した筋肉が伸びたり、条件反射を起こすことがある。そこで、別の箇所にも刺激を与えてみることにした。そこで自分の手の指の爪をザックの手の指の爪と肉の間にねじ込んでみると、痛みに反応したザックは腕を引っ込めたのだ。
 そこで急遽摘出は中止され主治医はザックの体を再検査しザックの反応が反射的ではなく意図的であり、つまりまだザックの脳は死んでいないことを確認したのだ。そこから目覚めるかは彼の生命力次第といわれる中、5日後ザックは目を覚まし、普通の生活が送れるようになるまで回復したという。
 脳神経外科の工藤千秋医師(くどうちあき脳神経外科クリニック院長・東京脳脊髄研究所所長)は、脳死判定の後生還したというのは医学的にはあり得ない、奇跡と考えるべきと話す。
一方、神経内科の米山公啓医師(日本脳卒中学会評議員など、著書に『神経内科へ来る人びと』(ちくま文庫)など)は、「完全に血流が停止した後に意識が復活することあり得ない。一般的には血流停止から5分ほどで神経細胞は死んでいく」と話した。また、脳に微量の血液が流れていた可能性を示し、わずかな血流によって脳細胞が生きていたのではないか、脳には未知なる回復力があるのではないか、と指摘した。
 脳神経内科の古川哲雄医師(千葉西総合病院顧問、著書に『クリニカル アイ 神経内科』(医学評論社)など)は、「上行性網様体という脳幹の一部が残っていると意識は残っている。脳死の患者でも家族の面会に涙を流したという例もある。しかし、こういったことは科学的に説明することはできない。脳幹の下部を測定する方法がないため、確かめることができない」と述べた。
 ザックの生還の答えは今も見つかっていないが、この事件は米国の医学界に変化をもたらした。州によって異なっていた脳死判定基準を統一し、2010年には、さらに精度を高めるため、脳死判定の基準が改定された。
 VTRが終わり、場面がスタジオに戻る。スタジオには医学博士であり医学ジャーナリストの森田豊氏(著書に『産科医が消える前に-現役医師が描く危機回避のシナリオ』(朝日新聞出版)など)が来ていた。
 医学的にみて脳死状態で意識が残っていることはあり得ないと森田氏は言う。厳密に言うと脳死とは大脳、小脳に加え、呼吸をつかさどる脳幹までもが回復不可能に成ることを指しこのままだと人工呼吸器を使用しないと死んでしまう、また植物状態と言われる状態は大脳、小脳が回復不可能でも脳幹の活動は損なわれていないことを指す。このままでも呼吸はできる。森田氏曰く、植物状態でも意識が残ったり体が動いたりすることはある。死の定義は非常に曖昧であり、国によっても違う。アメリカでは脳死=人の死とするが日本では賛否両論があり、心臓停止を死とするのが一般的である。また脳の血流が停止した状態から回復したことも医学的に考えてあり得ないと森田氏は言う。また、もしかしたら事故直後でも微量の血液が流れていてその血流が回復したという可能性もあるというが医学的には説明がつきにくいという。
 だが、このようなことがあって、日本で脳死と診断されて臓器移植となった場合に、家族が躊躇するようなことがあっては困る。特に日本は世界で最も脳死の基準が厳しく、また精度が高いものであるため、このザックのような事例は起きにくいという。死に対する考え方は人それぞれ。中には臓器提供をして他の人の体の中で生きることを社会貢献と考えている人もいる。一定の線引きは難しい。最後に森田氏は「死というものは制度でなく個人の死生観によって決められるべきものである」といって締めくくった。