宗教情報PickUp

テレビ番組ガイド・レビュー

日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。

NNNドキュメント'18

2018/08/12 (Sun) 11:00~11:30 BS日テレ
参考
番組公式

 2018717日、原爆供養塔納骨名簿が広島市役所に貼り出された。第二次世界大戦により、およそ14万人もの命が奪われた広島。引き取り手のいない遺骨を供養するため、1955年に平和公園内に建てられた原爆供養塔には、7万人もの人が眠っている。40年以上供養塔に通い、その引き取り手を探し続けた佐伯敏子さん。佐伯さんの尽力により、100人もの家族が名乗り出る年もあったが、その数は年々減っていった。一方で、名前が分かるにも関わらず、今もなお引き取り手のない遺骨が814人残されている。

しかし、映画がきっかけとなり、7年ぶりに遺骨が引き取られたこともあった。被爆前の広島市内が描かれた映画『この世界の片隅に』。監督に当時の街並みを伝えた高橋久さんは、以前名簿の中に気になる人を見つけていた。高橋修。原爆で亡くした父・脩さんと字こそちがうものの、非常に似ていたため市に掛け合ったが、そのときは認められなかった。それでも、娘の久美子さんはこの映画を通して、戦前も今のような普通の生活があったのではと思い、もういちど遺骨のことを聞いてみる決断をしたという。市は難しい漢字を他人が書き取って残す作業は当時からすれば難しかったのではないかと判断し、73年の時を経て、遺骨は無事、久さんの元へ届けられた。

番組スタッフも、残る814名の引き取り手を探し始める。名前の他に番地まで分かる人もいるが、今は存在しないものばかりで辿り着くことができない。

今回スタッフが探した中に矢野宅雄さんという人がいた。こちらも名前、住所ともに分かっているが、今も引き取り手がいない。安佐北区白木町、旧高田郡。旧高田郡に矢野という名字は11軒ある。その中に矢野宅雄さんがいたことをスタッフは突き止める。矢野美和子さん。亡くなった夫の弟がたくおだが、字は琢夫であるという。さらに、琢夫さんの遺骨は被爆直後に父親が持ち帰り、墓に納めたというのだ。しかし、どこの誰か分からない遺骨を拾って埋葬したと言われたそうだ。父・節次さんはその遺骨を似島で引き取っていた。爆心地からおよそ南へ10キロにある似島。焼け野原となった市内から、負傷した人が次々と似島へ運ばれ、その多くが亡くなった。そんな当時の様子を詳しく知る人がいる。似島で救護活動や遺体の処理をしていた義之栄光さん。次々と人が亡くなり、遺体をまとめて焼くしかなかったという。バラバラになってしまった骨を少しずつ分けて小さな箱に入れておく。その遺骨を大切に持ち帰った人たち。実際は誰の骨か分からないが、「この中の誰かの骨であることは間違いありません。お仲間の遺骨だと思って入れてもらって構いませんから」そう言って引き取ってもらったのだそうだ。「どうでしょう、それではいけませんか?…いいはずがないんだけれども、追いつめられた事情の中でどんどん進めていくしかなかったですね」。

矢野さんの家族は遺骨を引き取るため、市役所に向かった。しかし、40年前節次さんが遺骨は「すでに引き取り埋葬ずみ」というハガキを広島市役所に出したため、名簿の矢野宅雄さんとは別人だとして引き取ることはできなかった。

名前が分かっていても引き取られることがない人が今もたくさんいる。こちらから申し出ても、引き取ることができない場合がある。そのジレンマがどうにも歯がゆく、やりきれない思いが募る。「毎日があの日。毎日が86日」という生前佐伯さんが残した言葉とともに、番組で語られる義之さんのその訴えるような表情が、戦争の悲惨さを物語っていた。