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テレビ番組ガイド・レビュー

日本国内で放送された宗教関連番組のレビューです。

「遥かなる運慶の極彩空間:今甦る東大寺大仏殿 幻の巨大仏像」

2011/03/01(土)20:00~21:55 BSジャパン
キーワード
仏教美術・仏像・運慶・慶派・東大寺・鎌倉時代・俊乗房重源
参考
番組公式
 華厳宗の大本山、東大寺はその歴史の中で度重なる戦火や災害による消失と再建を繰り返している。創建時には現在の1.5倍の大きさの大仏殿を有し、一説には高さ100m超とも言われる塔が伽藍の東西に建つなど、現在以上の壮大な規模であったことが知られる。大仏殿内部にも、創建時には現存する両脇侍(きょうじ・わきじ)の他、巨大な四天王像が立っており、鎌倉時代の再建時にも制作されたと見られるが、現在は残っていない。近年発見された史料によって、この鎌倉時代の四天王像の詳細が明らかになってきた。
 
 番組では日本彫刻文化財の保存修復等を研究する、東京藝術大学大学院美術研究科・文化財保存学保存修復彫刻研究室の協力の下、鎌倉時代を代表する仏師集団・慶派によって制作された四天王像のCG再現を中心に、慶派と一族の代表的な仏師・運慶の姿を検証する。番組ナビゲーターは奈良時代から世襲される楽家の末裔である雅楽師、東儀秀樹がつとめる。

 およそ20年前、京都・醍醐寺に伝わる大量の古文書の中から発見された「東大寺大仏殿図」によって、鎌倉再建時における四天王像の制作を、快慶、運慶といった慶派の仏師が担当したことが明らかになった。そして、現在跡形も無い、巨大四天王像の面影を想像することを可能にさせたのが、この慶派が採用した仏像制作のシステムであった。その1つは、複数の部材を寄せ合わせて1体の像とする、「寄木造り(よせぎづくり)」と呼ばれる手法である。この技術は平安後期に確立されているが、慶派にあっては分業による作業の効率化にも寄与した。そして、もう1つが、最初に実物大の数分の一に縮小した雛形を制作し、これを拡大するという手法だ。大仏殿四天王像の雛型に当たるのではないかと見られる小型の四天王像は、高野山・金剛峯寺から発見された。さらに京都・海住山寺が所蔵していた四天王像からは、当時の色彩を推察することができた。これらの資料を基に、東大寺大仏殿四天王像のCG再現を行うこととなった。

 CG制作にあたって、東京藝大に多く取材した本番組では、博士課程学生による模刻像や、(※)塑像(そぞう)制作の過程など普段見ることの少ない映像が多く見られる。中でも寄木造を再現した仏像が、プラモデルの如く容易にバラバラになる様子はインパクトがある。寺院で見る古風な仏像のイメージを覆す、このような映像を見た後では、レーダーで計測され、デジタル技術で彩色された3Dの四天王像にも、新鮮さこそあれ、さほどの違和感を覚えないのがおもしろい。

 源平の争乱の中、平重衡の南都焼き討ち(1181年)によって焼失した東大寺諸仏の再興は国家プロジェクトであり、源頼朝は大仏殿落慶時の法要では、鎌倉から10万騎の兵を引き連れ、大仏殿を3重に囲うパフォーマンスを敢行したという。四天王像などの巨大仏像群の完成は源氏時代の到来の宣言でもあったのだ。

 平安時代前期には、仏像制作と日本固有の御神木信仰とが相まって、1本の大木から彫り出す一木彫像が多く作られたが、寄木造りの確立以来、慶派の代表作である東大寺南大門の金剛力士像では、各部位を3000点のパーツに分け、わずか69日という超短期で完成させるまでになった。その力強い造形やスケールがもたらす圧倒的な迫力と、極めてコンパクトな制作過程の対比は驚くべきものである。それらからは同じ仏像とはいえ、一木彫像の持つ濃密な呪術性のようなものは全く感じられない。東大寺はその創建自体、聖武天皇の命による国家事業であり、その象徴的存在である大仏は、膨大な人員、時間、資材を尽くして制作されたことが知られる。しかし同じく国家的プロジェクトであった、鎌倉再建に於ける諸像の制作過程は最大限に効率化され、仏像はより近代的なモニュメント性を強めているようにも思えた。

 (※)粘土でつくられた像。焼成は行わず、乾燥させただけのものをいう。