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宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2014/08/15

「死後の世界」(3) 現代日本人の「死後の世界」観

宗教情報

藤山みどり(宗教情報センター研究員)

 前回と、前々回にわたって、1970年代以降の日本における「死後の世界」のトレンドを追い、ブームとなった「死後の世界」観を見てきた。そこで今回は、現代日本人の「死後の世界」観を見ていく。
 
二.現代日本人の「死後の世界」観
2.現代日本人の「死後の世界」観
(1)「あの世」ブームが到来するか

 現代日本人の「死後の世界」観を調査結果からみる。NHKの全国調査で時系列変化を見ると、宗教に関して「信じているもの」として7つの事柄を提示した中で「あの世、来世」と答えた比率は、2013年は1970年代に比べて増加した。1973年~83年、1988年~93年まで増加し、おそらく1995年オウム真理教の地下鉄サリン事件の影響を受けて1998年に下がったが、再び上昇に転じ、2008年以降は1993年の水準に戻っている[1]
 比率の変動は、「死後の世界」ブームとほぼ同期をとっており、また景況を反映しているようである。1986年~1991年のバブル景気、2002年~2008年のいざなみ景気(リーマン・ショックで収束)で実体経済が好転した時期(通常、数年遅れるので時期は合致しない)に、第1次ブーム、第2次ブームが重なるようにみえる。好況期には厳しい現実から離れることができ、現実離れした事柄に人々の関心が向かい、メディアでも“いかがわしい”企画が通りやすくなるという仮説も考えられる。この仮説が正しければ、オウム真理教の事件がなくとも早晩「死後の世界」ブームが終わっていたことになり、2012年からアベノミクスで景気回復に向かったとされるこの先、実体経済の回復が伴ってくれば、いま予兆がみられる「死後の世界」ブームが本格的に訪れるかもしれない。

(2)「あの世」を信じる時代に
 NHKの調査は複数回答で比率が低くなりがちであるため、時系列変化をみるに留める。統計数理研究所が5年ごとに実施している「日本人の国民性調査」[2]では、2008年の「あの世」を「信じる」は38%で、「信じない」(33%)を上回る。20歳代から40歳代では「あの世」を「信じる」が「信じない」を上回るが50歳代で拮抗し、60歳代では「信じない」が「信じる」を上回る。女性は男性よりも「信じる」人が多い。若年層ほど「信じる」傾向がみられるが、「あの世」を信じていても「宗教を信じる」比率は若年層ほど低い。若年層は従来の「宗教」にも「科学」にも期待しない傾向が強い。
 若年層ほど「信じる」結果は1987年の日本緑十字社の調査でも同様で、「死」が近い高年層ほど現実的になると考察されていた[3]。「死」が近いと現実的になる可能性を示す調査結果としては、がん患者は一般の人に比べて「自分の死をよく考える」人が多く、生きる目的や使命感をもつ一方で、「死後の世界」も「生まれ変わり」も「ある」と考える比率が低かったというものもある[4]。(ただし、「死」がより間近になると、変わる可能性がある。終末期には「お迎え」が語られたという調査結果がある[5])。だが、1958年の結果と比べると、年代別要因だけでなく世代要因を考える必要があるだろう。

※平均寿命は、1958年は男性64.98歳、女性69.61歳、2008年は男性79.29歳、女性86.05歳(平成23年版『厚生労働白書』)と異なり、同じ年代でも死との距離感が異なることに留意が必要。

 「あの世」を「信じる」比率は、2008年(38%)は1958年(20%)に比べて著しく高く、20~50歳代のすべての年齢層で「信じる」が高い。だが、「信じる」は2008年では若年層ほど高く、1958年では高年層ほど高いという正反対の傾向がみられる。1958年における20歳代は2008年の70歳代に相当し、「信じる」(13%→36%)は高くなっている。他の質問項目をみると、1958年も2008年も高齢層ほど「宗教を信じる」比率が高い。加齢により「あの世」のような事柄を信じるようになったと推測される。ただ、この層は科学信仰が強い時代に青年期を過ごしており、世代の傾向として「科学」への信頼度が強く、「あの世」を「信じる」比率が低いのではないか。同じく科学信仰が強い団塊の世代(1947~1949年生まれ)が多く含まれる2008年の60歳代(1938~1948年生まれ)で、「信じない」が「信じる」を上回るのも、このためではないか。
 参考までに「日本人の国民性調査」から、人を救うのは「宗教か科学か」という設問への回答を見てみる。設問がある1953年と2008年とで比較すると、1953年には年代別傾向が明確で、「両方の協力」と「科学」と答える層が若年層ほど多く、高齢層ほど「宗教」と答える比率が高い。だが、2008年では明確な年代別傾向が見られなくなる。「科学」と答える率は20歳代(13%)と科学信仰が強かった時代を過ごした60歳代、70歳以上(各12%)が他と比べて高い。

 なお、20歳代では「両方否定」が44%と最も高く、若年層ほど高い傾向がみられる、この「両方否定」(24~44%)と答える比率は、1953年(4~11%)に比べてどの年代層でも増加した。この「宗教」と「科学」のいずれも従来のイメージであるのは言うまでもない。宗教の影響が弱まったうえ、科学の負の側面が明らかになり、双方に期待できなくなった時代の影響がうかがえる。
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 物質主義から精神主義へといった形而上的な次元だけでなく、GPSや携帯電話の普及など、生活を取り巻くメディアやツールも有線から無線へと変化し、現実社会でも「目に見えないけれども存在の確実性が共有されるもの」が身の回りに多くなった。このような社会で育った若年層は、「目に見えないもの」や「あの世」を信じやすくなるのではないだろうか。
 いまや「霊的なことを否定するのが科学」という「宗教か科学か」「科学を信じるか霊を信じるか」といった二項対立の時代から脱却し、「従来型ではない最先端の科学(物理理論)で証明する」流れにまで変わってきている。1958年には科学的な根拠のないことを信じるのは時代遅れであったが、2008年には従来の科学で証明できないからといって信じないのは時代遅れになったようだ。この時勢要因と、加齢効果を考慮すると、これからの時代には、「あの世」を「信じる」人がさらに増え、過半数に達しそうである。であれば、「あの世」について語られる機会は、ますます増えていくであろう。
 なお、「あの世」を「信じる」が「信じない」を上回るのは、2010年の朝日新聞社の全国世論調査でも同様の結果である。「死後の世界」や「あの世」が「ある」は49%で「ない」(43%)を上回る[6]。死後も「霊魂が残る」かについては、「残る」が46%で、「そう思わない」が42%だった。
 「死んだ人の魂がどうなるか」については、スピリチュアル・ブームや「千の風になって」のブームの余韻が残る2008年の読売新聞社による調査結果がある[7]
 ・生まれ変わる  ・・・29.8%
 ・別の世界に行く ・・・23.8%
 ・墓にいる    ・・・9.9%
 ・消滅する    ・・・17.6%
 ・その他     ・・・0.9%
 ・魂は存在しない ・・・9.0%
 ・答えない    ・・・9.1%
 この回答を見ても、やはり「死後も魂が残る」と考える人が多いことがうかがえる。「生まれ変わる」(29.8%)は、20歳、30歳代では4割を超えた。スピリチュアル・ブームの影響なのか若年層で輪廻転生を信じる人が多い。「墓にいる」は9.9%と少ないが、「盆や彼岸などにお墓参りする」人は78.3%と多く、「墓にいるから墓参りする」のではなく、魂の場所は意識せずに習慣化した儀礼を行っている。「千の風になって」で「墓にはいない」と歌われ、伝統仏教界からは「墓参りの否定」やアニミズムに通じる考えに困惑の声もあがったが、現実には、歌自体は、さほど影響を及ぼさなかったのではないだろうか。
 
(3)子どもたちの「死後の世界」観の問題
 輪廻転生を肯定する人は、2008年のNHK調査でも4割強と多い[8]が、子どもが輪廻転生を信じると答えると問題視される。長崎県教育委員会が、県内で小学生による殺人事件が相次いだため小・中学生を対象に2004年に行った調査結果では、「死んだ人が生き返ると思いますか」に「はい」が15.4%だった[9]。理由を詳細にみると、「生き返る」意味を広く捉えたからでもあるとわかるのだが、数値のみを取り上げて「核家族の進展で死がイメージできなくなった」、「現実と虚構の区別ができなくなっている」など批判的な報道が多かった[10]
 回答理由には、「生き返ると信じたい」「医学が発展すればできる」など願望や可能性のほか、「魂は死んでいない」「神様がもう1度チャンスを与えてくれる」「死んでも生まれ変わる」など「輪廻転生」を伺わせる回答もあった。これを受けて県教委は、“輪廻転生的な考えをもつ児童には、その思いを受け止めることに留め、現実として生き返らないことを認識させる”方針を打ち出した[11]
 公教育の場では、一元論で「肉体が死ねば終わり」が正解なのである。もちろん、その次元で教えることも大切であろう。だが、学校教育で教えられる科学主義的な「死」の原則論は、「霊魂の存在」や「輪廻転生」などが信じられている世間の現実と乖離している。教育現場では、人々に共有されている死生観が封印されているのだ。この現実との乖離が、現実社会で生きていくうえで必要なものが教えられていないと示唆しているようにも見受けられる。少年犯罪が起きると、テレビやゲームの影響、病院死の増加による「死」の体験の減少が強調されるが、“民俗的”死生観を教えないことも問題ではないか。
 輪廻転生は科学的事実という科学者もいる[12]が定説ではなく、通常は宗教的とみなされる。宗教的死生観は政教分離に過敏な公教育の場では避けられる。文部科学省が配布する「道徳」の教科書(小5・6年用)には、「(祖父は)天国に旅立った」という記述がある。「天国に旅立つ」という死の表現は、キリスト教に由来するとして違和感を訴える仏教者もいるが、いまや一般的な表現になったので許容されているのだろう。「地獄」の絵本が、子どものしつけに良いと売れ行きを伸ばす時代である。もはや宗教とは言いがたい、「地獄」や「輪廻転生」などの民俗的死生観も許容されてよいのではないだろうか。現代日本人が「霊魂の存在」や「輪廻転生」を信じる背景として、伝承されてきた民俗的死生観はまったく無関係とは言い切れないであろうし、長く受け継がれてきた事実には敬意を払う必要があるだろう。伝統的な民俗的死生観には、科学では答えられない「生と死」の意味を伝えるストーリーがある。そこには、長い年月をかけて蓄積された人々の知恵が詰まっているようである。
 東日本大震災で子どもたちのケアに当たった精神科医によると、近親者を亡くした子どもへの「死」の伝え方によって異常行動が見られたという。大人が説明に窮して、「永遠の眠りについた」と説明すると子どもは寝るのを怖がり、「遠くへ行った」では外出を怖がるなどである。比喩表現で「死」を説明するのは不適切で、本人にとって「どういうことか、どう思うか」に焦点を定め、主観的に理解させるのが良いという。
 子どもに「死」を教えるのは難しい。子どもの置かれた状況によって対応も異なる。だが子どもの反応を見れば、教え方か適切か否かがわかる。子どもたちの現状をみると、人々の知恵の蓄積でもある民俗的死生観を教育現場に導入する価値があるのではないだろうか。
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 次回は、現代の伝統仏教界の「死後の世界」観を見ていく。
 
●2015年4月追記
 本レポートを引用される際にはタイトル名、筆者名、URL、掲載日を明記してください。よろしくお願い申し上げます。
 
[1] NHK放送文化研究所「第9回「日本人の意識」調査(2013) 結果の概要」2014年5月20日
[2] 統計数理研究所「日本人の国民性調査」http://survey.ism.ac.jp/ks/index.html
[3] 日本緑十字社が行った全国世論調査でも、若い人ほど死後の世界の存在を信じているという調査結果が出ており、「死を間近にするほど現実的になるようだ」と考察している。『毎日新聞』1987年5月9日
[4] 『毎日新聞』2009年1月14日 東京大学の研究チームが2008年に実施した調査によると、がん患者(75%が治療済みで20%が治療中)は、「死後の世界がある」と考える人は27.9%(一般人34.6%)で、「生まれ変わりがある」が20.9%(一般人29.7%)と、いずれも低かった。
[5] 前回参照のこと。「現代の看取りにおける<お迎え>体験の語り――在宅ホスピス遺族アンケートから」『死生学研究 第9号』2008年3月
[6] 『朝日新聞』2010年11月4日
[7] 『読売新聞』2008年5月30日
[8] NHK放送文化研究所『放送研究と調査』2009年5月号。輪廻転生は、「絶対にある」(8.0%)、「たぶんある」(34.1%)、「たぶんない」(21.5%)、「決してない」(11.1%)、「わからない」(25.4%)と、肯定派が上回る。
[9] 長崎県教育委員会「児童生徒の『生と死』のイメージに関する意識調査」2005年1月24日
[10] 『神社新報』2005年2月28日は、回答の詳細まで追って一方的な批判は行っていない。
[11] 『心を育てる道徳教材集』長崎県教育庁学校教育課編集・発行2005年3月
[12] 立命館大学・安斎育郎教授は、「人体の約18%は炭素原子。死んで火葬され、体内の炭素原子が二酸化炭素の形になって、上空10キロまでの地球の大気に均一に散らばったとすると、空気1リットル中にその人の炭素原子が13万2500個も含まれる。死んでも世界中にはばたき、それを取り込んだ生物がまた、人の体に入って巡ってくる」という。『読売新聞』2007年2月6日夕刊。