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宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2014/08/15

「死後の世界」(2) ブームとなった死後の世界観

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藤山みどり(宗教情報センター研究員)

 前回は、1970年代以降の日本における「死後の世界」のトレンドを追った。第1次「死後の世界」ブーム(1985年ごろ~1995年ごろ)では探究心から「死後の世界」が詳細に描写され、第2次「死後の世界」ブーム(2005年ごろ~2008年ごろ)では、自分の前世など自己中心的な「死後の世界」に関心が集中し、2011年ごろからは近親者の死を受け止められない遺族の増加を背景に「死んだ近親者が生き続けている」ということが「死後の世界」に求められた。そこで、次に、ブームとなった「死後の世界」観と現代日本人の「死後の世界」観とを具体的に見ていく。
 
二.現代日本人の「死後の世界」観
1.ブームとなった「死後の世界」観
 これまでにブームを作り上げた各々の「死後の世界」観を、「死後の世界」を説いたベストセラー等を典拠として、霊魂の有無、「死後の世界」、輪廻転生を中心に比較した(比較表参照、出典は下記参照)。「チベット死者の書」は原典ではなくNHKの番組を基本とした。「丹波哲郎」の「死後の世界」は文献をもとにした研究成果であるが、「オウム真理教」は仏教のほか教祖・麻原彰晃が体験したという内容、「幸福の科学(大川隆法)」と「宜保愛子」は霊から聞いたという内容が記されている。(オウム真理教は1995年に地下鉄サリン事件を起こし、教祖・麻原は死刑判決を受け、教団は解散したが、一時期はブームになったということで取り上げた。)
 なお、「丹波哲郎」と「幸福の科学」に影響を与えたとされる「スウェデンボルグ」と、「死後の世界」ではないが死ぬ前にみられる現象である「お迎え体験」を参考までに付け加えた。「スウェデンボルグ」は18世紀に活躍したスウェーデンの科学者で、霊界を見て記したとされるもので、「お迎え体験」は2003年から2007年の間に在宅緩和ケアで看取られた患者の遺族を対象にしたアンケート結果である。出典によって異なる可能性もあるので、相違があった場合は、出典をもとにしたということで了承いただきたい。
 
A.<霊魂の有無>
 古代からの日本人の考え方[1]では、「霊魂」はあるとする。ブームになった「死後の世界」観をみると、「霊魂(霊、魂)」の存在は、ほぼすべてが認める。厳密にいえば、「チベット死者の書」では「死者の意識」と表現され、臨死体験では自分の体を見下ろす存在である。
 なお、民俗学者・柳田国男(1875~1962年)が「古くからの日本人の考え」とした「霊が死後も生者の近くにいる」という霊魂観は、実は江戸時代の平田篤胤(1776~1843年)以降の比較的新しい考え方であるという[2]
 
B.<死後の世界>
 科学的思考では「死後の世界」はないとされるが、民俗的死生観では「ある」とされる。その「死後の世界」は、仏教説話がもとであれば「三途の川」を渡って「あの世」に行き、「閻魔さま」に罪を裁かれて、「極楽」か「地獄」かに行くというもので、日本神話が背景であれば、「黄泉の国」へというものであろう。
 ブームになった「死後の世界」観では、当然のごとくすべて「死後の世界」は「ある」とする。探究心から展開した第1次ブームの「死後の世界」は「臨死体験」を除けば詳細な描写であるが、前回見たように、死者の存続さえあればよいという時代の影響か、「矢作直樹」では詳細な描写はない。「チベット死者の書」とチベット仏教に影響を受けた「オウム真理教」はともに、自らが「死後の世界」を移動するのではなく、幻影等が向こうから現れるという特異な描かれ方である。
 「死後の世界」には階層があるとするものが多く、「幸福の科学」では四次元~九次元世界まであり、「丹波哲郎」では7層、「江原啓之」は4つの世界に分かれるとする。いずれも上の高い階層が良い場所(天国、高い境涯の人が行く場所)とされる。
<三途の川>
 「臨死体験」をみると、「三途の川」のような「この世」と「あの世」を隔てる境界は、文化背景を問わず現れる。この境界は、日本では「三途の川」と思しき「川」だが、アメリカでは何らかの境界が現れる。
 「三途の川」はインド仏教には存在しないが、中国で経典に登場し、それが仏教とともに日本にもたらされた。このためか、近代スピリチュアリズムの影響を受けた「江原啓之」、チベット仏教の影響を受けた「オウム真理教」と「チベット死者の書」では出てこない。だが、「丹波哲郎」、「宜保愛子」では「三途の川」が現れる。「幸福の科学」は、普通の日本人は死んだら「三途の川」があると思っているので、死んだことを教える儀式として現れるという。
<先に死んだ親しい人との再会>
 「チベット死者の書」「オウム真理教」は言及はないが、その他のすべてが「会える」とする。現代人が望む方向性である。会える時期と場所は、それぞれ微妙に異なる。
 ただし、「宜保愛子」は「会いたい人に会える」のではなく、先に死んだ家族等が先達として49日を過ぎるまで「死後の世界」を導くという。これは、在宅で臨終を迎えた患者が、死期の前に「すでに亡くなった家族や知り合い」を見る(聞く、感じる)という「お迎え現象」と重なるような描写である。
<四十九日>
 インド仏教やチベット仏教では、死後49日までに輪廻転生するとされるが、日本仏教では一般に、死んだ日から49日までは死者は中陰(中有=「この世」と「あの世」の間)にいるとされる(浄土宗、浄土真宗では死んだ日に「あの世=浄土」に行くとされる)。仏教の四十九日忌が神道の五十日祭に当たる。
 ブームになった「死後の世界」観を見ると、「チベット死者の書」と「オウム真理教」はチベット仏教との関連から当然であろうが、詳細な記述があるうち「幸福の科学」を除く「丹波哲郎」「宜保愛子」「江原啓之」でも、49~50日が意味ある期間として出てくる。「丹波哲郎」では死後約50日で「あの世(精霊界)」へ行くとし、「宜保愛子」では死後49日を過ぎるころまでは先達の霊に導かれて「あの世(霊界)」を歩くとし、「江原啓之」では死後約49日で「あの世」のなかで居場所を(幽現界から幽界へ)移すとする。
 ただし、仏教でいう49日の概念がないキリスト教文化を背景とする「スウェデンボルグ」では、参考文献には該当するような記述はなかった。49~50日というのは、日本的な文化背景から導き出されたものなのか、「霊界」の共通認識なのかはわからないが、日本人には受容しやすかったのではと考えられる。
<閻魔さまの裁き>
 俗にいう「閻魔さまの裁き」は「チベット死者の書」のみに見られるが、ヤマ(閻魔)王が裁きを下すのではなく、自らの意識が行き先を決定する。
<行き先、裁きの基準>
 「裁き」がなくても、死者の行き先は分かれるとするものがほとんどである。「チベット死者の書」「オウム真理教」では、「解脱か輪廻再生か」が第一にあり、輪廻再生のなかで六道輪廻(地獄・餓鬼・動物・人間・阿修羅・天の6つの世界に輪廻転生する)に分かれる。
 「幸福の科学」は「精霊界か地獄か」に、「丹波哲郎」は「天国か地獄か」に分かれるとするが、「宜保愛子」は、天国や地獄を実体があるものとしては表現しない。いずれにせよ、「良いところ(天国)」か「良くないところ(地獄)」に分かれる。
 分かれる基準は、行為の報いというよりも、自らの選択や自らの性質によって進む道が分かれるとするものがほとんどである。行き先を決定するのが、超越した神的存在ではないという考え方は、キリスト教やイスラームのような唯一神教の考え方とは異なり、その意味では日本人には受け入れやすいものがあっただろうと考えられる[3]
 “天国”に行く人は、「神の子としての本質に気づいた人」(幸福の科学)、「愛の心に満ちた人」(丹波哲郎)、「徳を積んだ人」(宜保愛子)、「生前、人のために心を砕いた人」(江原啓之)で、地獄に行く欲望は「怒り」(オウム真理教)など、俗にいう「良い人は天国へ、悪い人は地獄へ」と通ずる。
<輪廻転生>
 輪廻転生について言及しているものはいずれも「ある」とする。「チベット死者の書」と「オウム真理教」は、チベット仏教の六道輪廻信仰に基づき、「人間が動物に転生することもある」が、「宜保愛子」は「人間は人間に」である。宗教である「チベット死者の書」、「オウム真理教と」「幸福の科学」は、いずれも輪廻転生からの解脱あるいは超越もあるとし、これを目標とする点で他と異なる。
 輪廻転生までの期間は、「チベット死者の書」と「オウム真理教」はチベット仏教に基づいて49日の間とするが、「丹波哲郎」は平均120~130年、「宜保愛子」は平均50~100年と大幅に異なる。
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 いずれの「死後の世界」観も、日本人の民俗的死生観とでもいうべきものと重なる部分がある。各々の「霊界」からのメッセージの真偽はわからないが、文化的背景の影響は否めないものの大まかな点では共通項がある。もしかしたら民俗的死生観も、このような「死後の世界」観が収斂されて伝承されてきたものかもしれない。「死後の世界」を説きながら、この世を修行の場として大切にするように促して善行や利他を奨励するところは、道徳的でもある。ただし、日本社会は欧米などキリスト教社会と異なり、自殺に寛容とされるが、ほぼ共通して自殺には厳しい。これは自殺者遺族の心の傷が社会問題化していなかった時代の書籍等を中心にまとめている点に留意が必要かもしれない。
 ブームになった「死後の世界」観は、人々の潜在意識にある「死後の世界」観と重なるからこそ、多くの人々に受容されたともいえる。ブームとの因果関係はともかく、「霊魂」が存続し、「輪廻転生」があると考えるのは、現代日本人に比較的多くみられる「死後の世界」観である(次回に続く)。
 
●「死後の世界」比較表 (ピンクは第1次ブーム、黄色は第2次ブーム、黄緑はそれ以降のもの)
  霊魂 死後の世界 輪廻転生 備考




 
ある。暗いトンネルを抜けて光の中に入ると、花園など美しい世界が広がり、河などの境界がある(そこから戻ると生き返る)。死んだ近親者と会うこともある。 臨死体験をすると死への不安がなくなり、人生に前向きになる。








 
 
死者の意識
※1
ある。バルド(中有)。死の直後に最初の光明(阿弥陀仏)が現れ、これを覚れば解脱できる。覚れないと、少しあとに第2の光明が来る。第3の光明は、生前の行為や意識を反映した幻影で、音響と色彩、光で死者を失神させる。死者は4日目に覚醒し、7日間は寂静尊(如来5仏など)が、続く7日間は忿怒尊の幻影が現れる。最終日にはヤマ王(閻魔)が現れ、解脱か再生かの審判が下される(審判を下すのは自らの意識)。再生の世界では、「秋の薄暮れ時の灰色の明かり」が続く。 ある。
49日の間に転生する。(3週間までに覚れると解脱するが、覚れないと輪廻する)
六道輪廻するので、人間が動物に転生することもある。
 
死の直後が輪廻から解脱する最大のチャンスであるので、死ぬ前から49日間、僧侶が「死者の書」を読み聞かせる。無知、貪り、怒りが輪廻を繰り返す苦しみの原因。





ある ある。魂が死後の世界に入ると、最初に強烈な光が来る。そこに飛び込むと素晴らしい世界に生まれ変わるが、普通の魂には飛び込めない。時を経るごとに、より低次元のものが来て、それぞれ自分に合った世界へと飛び込む。43日目くらいに飛び込むと人間界、45日くらいが動物界、最後の49日は地獄に転生する。 ある。
49日の間に転生する。
六道輪廻(地獄・餓鬼・動物・人間・阿修羅・天界に転生)
※解脱者は超越する
現状から転生先がわかる。怒りは地獄、貪りは餓鬼、無智は動物、執着は人間、闘争心は阿修羅、満足は天界。修行で6つの欲望を超越することで幸福に。





 
ある
 
ある。人霊の死後の世界は4次元~9次元まである。
肉体から離れた霊体は約20~30日の間に天上界に還り(平均的な日本人は三途の川を渡る)、生前のビデオを見て人生を反省させられる。改悛すると精霊界(4次元世界の上部)へ行き、自身の良心の裁きによっては地獄に行く。その基準は、神の子としての本質に気づいたか否か。天上界では、宗教・信条に合った天使の指導を受ける。先に死んだ人にも会える。
4次元の世界で数日~数百年生活して魂が進化すると5次元の世界(善なる世界)へ行く。進化するほど高次世界へ移る。9次元は救世主の世界。10次元以上は人霊ではなく13次元は大宇宙の意識。
ある。
魂は永遠。転生輪廻は、人類が進化発展していくために神から与えられた法則で、すべての霊が逃れられない。
8次元の世界にいる如来は、自らの計画で転生する。
 
この世での魂の修行には大きな価値があり、善行はあの世での至福に展開し、悪行は何倍にもなって返る。
魂の喜びは、他人に役立ったとき、新たな霊的知識を獲得したとき。
執着が強い人は地上に留まり、幽霊となる。
自殺者の霊は、天上界に上がれず、地縛霊になることが多い。










ある ある。死後の世界は、天界・地獄・精霊界の3つの世界に大別できる。天界は天国と霊国の2つに分けられ、それぞれ3つの国に分かれている。地獄も3つの国がある。
まず精霊となって精霊界に入る。精霊となった後、霊界に入って永遠の生を送る霊となる。現世で物欲にまみれて霊的な事柄に開眼しなかった精霊は、類が集まるのと同じように自分の希望に沿って地獄へ行く。どの霊界に入るかは、生前の報酬や罰としてではなく、生前の霊的な内心が霊界のどの世界に対応するかによって決まる。
霊の生活の目的は、霊的人格の完成である。
 



ある
 
 
 
 
 
ある。霊界は7層で、1~2層が地獄界、3~5層が霊国、6~7層が天国で、6層が天界層、7層が天上界。
魂は白光体に包まれ、約50日後に精霊界へ。精霊界では死んだ近親者に再会できる。精霊界→三途の川→霊界と進む。最期の審判はないが、天国(天界層)と地獄もある。愛に満ちた心の人は天国へ、利己的な心の持ち主は地獄へと自ら進んでいく。
ある。
平均120~130年で転生。
霊界の記憶は消滅する。
人間界は魂が修業する場。人生の目的は魂を作り上げること。
神が命じた修業期間を勝手に短縮した自殺者に霊界は厳しい。



ある ある。魂は肉体から抜けて15分ほどで三途の川を渡り、49日を過ぎる頃までは先達の霊(現世で身近だった人、家族などの霊)に導かれて霊界を歩き、その後は一人で旅する。
霊界は基本的に一人で、会いたい人にも会えず、会えても楽しくない。
最期の審判はないが、徳を積んだ人は天国への道を歩める。地獄とは暗い道を歩き続けること。天国の道は軽やか。霊界とは輪廻転生に向かって修業し、歩き続ける場所。
ある。
平均50~100年で転生する。
霊界の記憶は消滅する。
人間は人間、動物は動物に生まれ変わる。
 
人間としてこの世に生まれてこそ幸せ。
天国への近道を通るには①自殺しない②現世に未練を残さない、など。
生きている人が供養すると霊の歩みが軽くなる。
死後49日経つと守護霊になれる。真剣な合掌が守護霊を呼ぶ。
自殺者がこの世に戻るのは難しい。



ある ある。死後の世界は幽現界、幽界、霊界、神界の4つに分かれる。魂が肉体から離れると幽現界に行く。先に死んだ家族にも会える。約49日間のあと幽界→霊界へと進み、最終的には魂の故郷である、古い魂が溶け合っている類魂に帰結する。やがて類魂の一部を分霊して、再生する。
死後の世界には階層があり、生前の行いによって分けられ、人のために心を砕いた人は高い境地、我欲に生きた人は低い境地に入る。
ある。
転生したとき、霊界の記憶を捨てる。
魂は、修行の場を選んで再生する。目的は神(愛の力)への帰結を目指すため。誰にでも守護霊がいて、死後の世界でも見守る。
自殺は学びを途中放棄すること、苦しみは死後のほうが重くなる。
現世に未練、執着があると幽霊になる。




ある ある。先に死んだ人とは再会できる。 霊魂は不滅。神(摂=大いなる力)と霊魂は不離の存在。良心とは摂理の声。人生の目的のひとつは、利他行為をすること。
天皇は、国民のために祈り、死者の魂を鎮める。
●参考:お迎え体験




●在宅緩和ケアを利用して看取りを行った遺族366人のうち「患者(故人)が、他人には見えない人の存在や風景について語った」ことが「あった」は42.3%(155人)
●「あった」うち、故人の体験に気づいた時期は、「亡くなる数日前・自宅で」が43.9%、「亡くなる数ヶ月前・自宅で」が29.0%
●故人が見えた、聞こえた、感じたらしいもの(n=155)
・すでに亡くなった家族や知り合い・・・52.9%
・そのほかの人物        ・・・34.2%
・お花畑            ・・・7.7%
・仏              ・・・5.2%
・光              ・・・5.2%
・川              ・・・3.9%
・神              ・・・0.6%
・トンネル           ・・・0.6%
・その他            ・・・31.0%
 
※「臨死体験」は、NHKスペシャル「臨死体験」1991年3月17日放映より
※「チベット死者の書」は、NHKスペシャル「チベット死者の書」1993年9月23日・24日放映の製作者である河邑厚徳・林由香里著『チベット死者の書』日本放送出版協会(1993年9月)をもとに作成。
※「オウム真理教」は、麻原彰晃『生死を超える』オウム(1986年12月)、オウム出版広報編集部編『真実!六道輪廻』オウム(1991年10月)をもとに作成。
※「幸福の科学」は、大川隆法『永遠の法』角川書店(1990年10月)をもとに作成。ただし。「三途の川」と「生前のビデオを見せられる」部分と、自殺者についての見解は『永遠の生命の世界』幸福の科学出版(2004年4月)から抜粋。
※「スウェデンボルグ」は、エマニュエル・スウェデンボルグ、今村光一抄訳・編 『改訂新版スウェデンボルグの霊界からの手記(上)(中)(下)』経済界(1994年12月)をもとに作成。
※「丹波哲郎」は、丹波哲郎『大霊界』学研(1987年4月)、「丹波哲郎が天国から地獄まで『霊界旅行』にご案内『週刊ポスト』1988年1月15日をもとに作成。
※「宜保愛子」は、宜保愛子『宜保愛子の死後の世界』日東書院(1991年2月)を基本に、『宜保愛子の幸せを呼ぶ守護霊』大陸書房(1991年4月)、『生まれ変わりの秘密』講談社(1993年3月)からも抜粋。「死後の世界」における階層の有無については、両者で記述内容が異なるため、表には記載しなかった。
※「江原啓之」は、江原啓之『人はなぜ生まれ いかに生きるのか』ハート出版(1995年1月)、『スピリチュアルメッセージⅡ』飛鳥新社(2003年3月)をもとに作成。
※「矢作直樹」は、矢作直樹『人は死なない』バジリコ(2011年9月)を基本に、『週刊ポスト』2013年11月22日からも抜粋。
※「お迎え体験」は、諸岡了介、相澤出、田代志門、岡部健「現代の看取りにおける<お迎え>体験の語り――在宅ホスピス遺族アンケートから――現代の看取りにおける<お迎え>体験の語り : 在宅ホスピス遺族アンケートからAA11838867」『死生学研究 第9号』2008年3月より。
※1霊魂という表現はなく、生命の本質は心で、心の本体は純粋な光と考えられている。
 
 
[1] 佐藤弘夫『死者のゆくえ』岩田書院2008年3月
[2] 佐藤弘夫『死者のゆくえ』岩田書院2008年3月
[3] 日本の地獄・極楽観を形成した源信の『往生要集』でも閻魔王について言及はあるが、閻魔王は地獄か極楽を分けるのではなく、地獄にいて、すでに地獄に来ている罪人に対して、罪の重さに応じて行き先の地獄を8つの中から決める。死者を地獄・極楽に割り振るのは、善業・悪業という原因自体で、輪廻の法則の法が、閻魔王のような神よりも高次に位置付けられており、唯一神教の神と異なるという。藤原聖子『三大宗教 天国・地獄 QUEST』大正大学出版会2008年10月