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宗教情報

宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2011/04/29

国内の震災報道に見られた宗教の役割
~宗教者による支援活動~

宗教情報

藤山みどり(宗教情報センター)

 使命感・職業的役割が強調された国内報道

 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東北から関東にかけての広範囲で死者・行方不明者3万人弱の犠牲を出した。東京電力・福島第一原子力発電所の放射性物質漏れの事故も相まって、地震発生から1カ月以上を過ぎてもなお復興への課題は山積している。惨状を前に報道各社がこぞって取り上げた題材は、使命感から職責を全うした(している)人々であった。例えば「防災無線で津波からの避難を呼びかけ、自らは犠牲となった町役場の職員」「防潮堤の門を閉めに行き、あるいは半鐘を鳴らし続け、津波に呑み込まれた消防団員」や、「乗り合わせて被災した電車から乗客らを高台へ誘導して津波から救った警官」「被爆を省みず福島第一原発で働く作業員」などである。

 国内報道に見られた被災地の宗教者

 では、宗教界や宗教者については、どのように報じられたのだろうか。主な一般紙(東京版)を見ると、“斎場で読経する僧侶”という画一的な宗教者像があるようだ。
 例を挙げよう。今回の大震災では、葬儀する間もなく火葬されたり、火葬が間に合わず土葬されたり、身元不明のまま埋葬されたりする犠牲者が多かった。

 そのような状況で、遺体の仮安置所となった寺の僧侶らが「僧侶としてできることを」と考え、斎場にてボランティアで焼香と読経をしている様子が『毎日新聞』(2011年3月29日)で紹介された。「被災僧侶 再起の読経」との見出しを掲げたのは『読売新聞』(2011年4月5日)。津波で寺を失い、住職の父親らが行方不明になって悲嘆していた副住職が、葬儀を頼まれたことが転機となり、「少しでも被災者の心を癒やすことができれば」と避難所で暮らしながら読経を続けているという。

  『日本経済新聞』(2011年4月6日)では、葬儀を挙げられない遺族が多い被災地で、僧侶たちがボランティアで火葬場に出向いて読経し、遺骨を預かっていることが報じられた。これは、「葬儀がないと遺族は心のけじめがつけられず前向きに生きられない」「正式な葬儀でなくても、読経だけでずいぶん遺族の心持ちは変わる」と考えた釜石市の寺の住職の呼び掛けに応じて、曹洞宗や日蓮宗、浄土宗などの18カ寺が「釜石仏教会」を結成した成果だ。
  『毎日新聞』(2011年4月1日夕)では、「今こそ本分」という見出しで、斎場に常駐して宗派を問わずボランティアで供養する僧侶が掲載された。この僧侶は福島第一原発から半径30キロ圏内にある寺の住職で、いったんは圏外に避難したものの「南相馬では読経もできず遺体が火葬されている」と聞き、「僧侶の本分を果たしたい」と戻ったという。 『朝日新聞』(2011年4月16日)には、この僧侶とともに読経する南相馬市の寺の住職が登場した。「自分にできることは何かと問いかけ」、火葬場で「故人の宗派に関係なく、お経をあげさせてもらおう」と決めたという。読経して感謝されたという記事が多い中、この住職は「お経を読んで、お礼を言ってもらえることはありません」と語っている。


 僧侶の役割観 

  これらの報道を見ると、僧侶の役割を“斎場(や葬儀の場)での読経”と位置付けているようだ。記事に登場する僧侶らは自発的に読経を行ったようだが、震災後の3月23日には全日本仏教会が被災地の僧侶に読経ボランティアの組織結成を依頼している。このことからもわかるように、この役割観は間違ってはいない。また、僧侶を呼ばない直葬が増える中で、葬儀には僧侶が欠かせないという旧来の役割観が残っていることが確認できたとも言える。
 ただし、仏教界では“葬式仏教”との揶揄に対して、軸足を“葬儀”から“遺族のケア”さらには“心のケア”へ移そうという動きもみられる。この点は、どうだろうか。
 記事の中には、前述のように「被災者の心を癒やすことができれば」「葬儀がないと遺族は心のけじめがつけられず前向きに生きられない」「読経だけでずいぶん遺族の心持ちは変わる」など“読経は遺族のケア”というメッセージが伝わる僧侶の言葉がある。また、宗教専門紙(『中外日報』2011年4月16日)は、浄土宗大本山清浄華院に事務局を置く浄山カウンセリング研究会が被災地での傾聴ボランティアに取り組んでいることを伝えている。
 だが、一般紙では「震災の心のケア」の担い手として、県の精神保健福祉協会やメンタルヘルスサービスを行う企業のサイト(『日本経済新聞』2011年3月24日、『産経新聞』2011年3月29日)などを紹介しているが、宗教界については触れていない。心のケアについては、宗教者の役割としてはまだ認知されていない領域であるようだ。


 読経と通じる宗教界の役割

 このほかに報じられた主な内容は、追悼式である。追悼については、鶴岡八幡宮(鎌倉市)で営まれた神道、仏教、キリスト教合同の「追善供養 復興祈願祭」(『朝日新聞』『産経新聞』2011年4月12日)や、高野山真言宗総本山・金剛峯寺(和歌山県高野町)における震災犠牲者追悼・復興祈願の法要(『読売新聞』2011年4月12日)などがある。これらの記事には、“読経する僧侶”に通じる宗教界への役割観が感じられる。

 地域の拠点としての寺社

 一方で、今回の震災で図らずも光が当たった宗教界の役割もある。それは、地域の拠点という役割である。被災地で、学校や体育館とともに避難所や遺体安置所となった神社や寺院がいくつも見られた。以前から自治体によって「一時避難所」に指定されていたところもあるが、臨時に避難所となったところもあるようだ。宮城県気仙沼市の避難所リスト(3月25日現在)には3社6寺の名前があり、それぞれ40~400人もの避難者を収容している。寺社は大人数が集まる場所で広いスペースがあり、ろうそくなど災害時に役立つ物品も常備している。教派のネットワークを通じて地域外から支援を得られやすいことも利点だ。今回の震災でも避難所となった各神社へ神道青年全国協議会が食料や医薬品等の支援物資を届けている。
 『朝日新聞』には、避難所となった陸前高田市の寺の状況が、寺であることを強調するものではなかったが2011年3月17日以降、毎木曜日に掲載された。『産経新聞』(2011年3月23日)には「神社の献上品利用『神様もお許しに』」という見出しで、拝殿と広間を被災者のために開放し、献上品を食事として提供した気仙沼市の神社が取り上げられた。このほか週刊誌でも、人気避難所として陸前高田市の寺が紹介されたり(『週刊ポスト』2011年4月8日)、首都圏で大量発生した帰宅困難者にとって最高の居心地だった避難所として築地本願寺が取り上げられたりした(『週刊新潮』2011年3月24日)。
 地域コミュニティの中心という役割意識は首都圏では過去のものであろうが、大人数を収容できる施設というだけでも、その地域にとって存在価値が高いようだ。

 あまり報じられない宗教界の支援活動

 ところで、今回の震災では、教派を問わず各宗教団体が迅速な支援活動を展開した。支援先は被災地の下部組織や信者宅である場合も見られるが、下部組織を拠点として信者を含む近隣住民を対象に支援活動を行った例が多いようだ。支援範囲は、読経ボランティアや追悼法要だけでなく、義援金の送付、水や食糧など支援物資の配布、瓦礫の撤去や清掃、被災者の受け入れ、避難所での傾聴カウンセリングなど多岐にわたっている(※下表参照)。震災を機に、教派を超えて支援を行う「宗教者災害支援連絡会」(代表・島薗進)の創設や、宗教者による支援情報を共有・発信するサイト「宗教者災害救援ネットワーク(http://www.facebook.com/FBNERJ)」の開設など、宗教界が連携する動きも見られた。
  しかし、宗教界の支援活動はマスメディアではあまり報じられなかった。多くの宗教団体が多額の義援金を寄せたが、一般紙に掲載されたのは、東大寺(奈良市)(『毎日新聞』2011年4月8日と『朝日新聞』2011年4月12日)と浅草神社(東京都)(『朝日新聞』2011年3月30日)などだった。東大寺は銀行から借入して義援金を拠出したことと、浅草神社は三社祭を中止することで資金を捻出したことに話題性があったためと推測される。
 報道の少なさは、社会に対する宗教界の影響力の反映、そしてマスメディア側に宗教団体の活動を取り上げることへの一種のタブーがあるためでもあろうか。このため、ある宗派では、信者たちに伝わらないと懸念する声や「インパクトのある支援活動を」「取り組む姿勢を示すべき」などの声が上がったという。

 今後の活動は

 宗教界による支援活動は、報じられれば良いというものではない。名声を求めるための活動ではないからである。しかし、「宗教界は何もしていない」と受け止められる向きがあることも事実である。復興資金を賄うために「宗教法人に課税を」と主張する識者も出てきているが、宗教界であればこそ、金銭にとどまらない形で貢献していくことができるはずである。世界的な経済不況、震災、原発事故と相次ぐ現在、心の安らぎを希求する人々も増えているだろう。行政やボランティアによる支援活動の及ばないところでも、“心のケア”をはじめとして宗教界として活動できる分野もあるはずである。宗教界の存在意義を示すために、宗教界と宗教者の役割を再定義することも有用だろう。そして、そのような地道な活動を通して、宗教者、宗教界の存在意義が再認知されていくはずである。
 また、宗教者個人、1つの宗教団体ではインパクトが弱くても、宗教界が連携すれば大きな力となる。震災を機に広がった宗教界の連帯の輪が継続して、大きく広がっていくことを願わずにはいられない。

(2011年4月23日脱稿)


 主な宗教団体の支援活動

 宗教団体名 活動内容
神社本庁 神道青年全国協議会が救援物資を搬送、炊き出し
復興祈願祭の斎行を包括下神社へ呼び掛け
カトリック  バチカンが被災者のために15万ドル(約1200万円)を寄付
カリタスジャパンやサポートセンターが泥かき、清掃、傾聴など
浄土宗    義援金6500万円を日本赤十字社へ
救援物資を搬送、読経ボランティアを実施
浄土真宗本願寺派 支援物資の搬送、炊き出し
被災地へ向かうボランティアへ経由地での宿泊施設を提供
東日本大震災追悼法要
真宗大谷派 支援物資の搬送、炊き出し
全国の別院で約1000人の被災者を受け入れへ
「被災者支援のつどい」開催
高野山真言宗 3億円規模の義捐、支援活動の実施
NPO高野山足湯隊が傾聴ボランティア、僧侶らが炊き出し
東日本大震災物故者追悼並びに復興祈願法会
天台宗 義援金3000万円をNHKへ
救援物資を搬送
東日本大震災犠牲者四十九日慰霊法要
臨済宗妙心寺派 第一次義援金3000万円を日本赤十字社へ
東日本大震災四十九日忌法要
曹洞宗 義援金1000万円を日本赤十字社へ
SVA(シャンティ国際ボランティア会)が物資運搬、足湯提供、炊き出し
東日本大震災被災物故者追悼法要
日蓮宗 義援金1000万円を日本赤十字社へ
創価学会 義援金計5億4千万円を5県1市に
救援物資を搬送、「男のかたし(=片付け)隊」が瓦礫除去、清掃
東日本大震災犠牲者の追善と被災地復興への祈りを込めた法要
立正佼成会 義援金計5億円を被災地の自治体へ
援助隊「善友隊」が支援物資を搬送、炊き出し。瓦礫除去、清掃
避難者220人の受け入れ、仮設住宅建設用地約1万坪の提供
犠牲者追悼と早期復興の祈り
天理教  義援金各1000万円を宮城県、岩手県、福島県へ
災害救援ひのきしん隊(災救隊)による給水、炊き出し、物資仕分け・配送、瓦礫や廃材撤去
教団施設で3000人の被災者を受け入れへ
大本 義援金1500万円を日本赤十字社へ
災害救援奉仕隊を派遣して炊き出しと清掃支援
東日本大震災鎮静・復興を祈願
真如苑  義援金1億円を福島県、岩手県や宮城県の社会福祉協議会などへ
真如苑救援ボランティアグループSeRV(サーブ)が支援物資を搬送
復興祈願法要を執行

 

※   『中外日報』など宗教専門紙や各団体ホームページより抜粋。支援内容は逐次、追加されている。記載漏れについては、ご容赦願いたい。なお、募金活動や首都圏での帰宅困難者の受け入れについては、実施したところが多いため、省略した。

※ 宗教者の読経ボランティアや避難所での支援を政教分離の観点から断る自治体もあった。(参照:宗教者の震災支援を阻む政教分離の壁

※レポートの企画設定は執筆者個人によるものであり、内容も執筆者個人の見解です。


 

 補追

 脱稿のまさに翌日の2011年4月24日、『産経新聞』1面に「祈りと実践 僧侶の葛藤」という見出しで、宗教者による支援活動が大きく掲載され た。「『宗教者の果たすべき役割とは何か』『祈りで人は救えるのか』」と僧侶らが宗教者として果たすべき役割に悩みながら、犠牲者追悼や被災者支援に奔走 する状況が描かれた。
 葬儀と読経、鎮魂の行脚など伝統仏教の僧侶たちの活動を中心に紹介しながらも、宗派の壁を越えて被災地に支援物資を送る若 手僧侶らの活動や、立正佼成会、創価学会、真如苑などの新宗教教団の避難者受け入れや物資補給、炊き出しなどの支援活動が報道された。全国紙では、宗教界 合同の活動は掲載されやすいが、個別団体の活動はあまり掲載されにくい。さらに、伝統仏教はともかく、新宗教の活動を個別団体名入りで紹介することは珍し い。今回の報道を機に、宗教界の支援活動に注目が集まるだろうか。

 

 2011年4月24日『産経新聞』