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研究員レポート

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こころと社会

宗教情報センターの研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2011/10/16

 私たちの同僚、蔵人さんは、機会あってインドネシアに留学しました。彼はイスラームの専門家ではありませんが、文化人類学の視点から、現在進行中のインドネシアでの断食明けのお祭り―レバラン―に立ち会い、その体験をまとめてくれました。若き人類学者が見たインドネシアのレバラン、ぜひご覧下さい。

断食明けのお祭り
――レバランの日の「挨拶」に込められた想い:ごめんなさい…そこから新しい気持ちになるインドネシア・ムスリム――

こころと社会

蔵人

 

 西暦2011年8月31日、アラビア暦では1432年第10月1日、30日間の断食期間を経た後のお祭り、インドネシアのムスリムたちにとっては一年のなかで最大のイベントであるレバランの日が訪れた。
 まずこの日、午前6時頃にモスクまたはこの日のために広場に設けられた特設会場でレバランの日にのみ行われる特別のお祈り、ソラット・イード(SHALAT IED)に家族や親戚でそろって出かける。国民の9割近くがムスリムであるインドネシア、ほとんどの人が一堂に朝のお祈りのために会するわけであるから、モスクや会場は人びとでごった返し、その賑わいには驚くものがある。一方で、当然のことながら商店街や道路に人影はなく、街は閑散としている。

 レバランの朝、ムスリムの人びとによる神へのお祈りの声が響き渡る。
 


【写真:朝のお祈り】

 

 

  そして朝のお祈りを終えて後、以下のような決まった言葉をもって、ムスリムの人びとは互いに「挨拶」を交わす。
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 Selamat Hari Raya Idul Fitri1 1432H.
 Maaf lahir dan batin dari…
 (筆者訳)
 よくこの“Idul Fitri 1432H”の日をよく迎えましたね。
 これまで私があなたに与えた、直接的また間接的なご迷惑を、どうかお許しください 。

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1   “Eid Al-fitr”はアラビア語で断食明けの日を指し、それをインドネシア語ではレバラン(Lebaran)と記す。以下では、インドネシア語の表現に倣ってレバランと記す。



【写真:レバラン(”Idul Fitri”)を祝う街の広告】
 この「挨拶」の言葉はレバラン当日、またその後の数日にわたって、いたるところで目耳にするフレーズである。
 日本で言うなれば新年のご挨拶「明けましておめでとう。今年もよろしく」をイメージして頂けばよろしいか、インドネシアのムスリムは手を取り合って、上述した「挨拶」を互いに丁重に述べる。 もちろん基本的には直接会って述べるところであろうが、だが例えば街の広告、また若い人のあいだでは友達どうし携帯電話のSMS(ショート・メール)などでも伝え合っているようだ。
 以上、まずはほんの少しレバランの日におけるインドネシア・ムスリム社会の出来事を紹介した。
 今回はムスリムにとって最大のイベントであるレバランについてである。当日の出来事だけに限らず、前後数日に渡る生活や行動を含めて現地の状況を報告したいと考える。
 例えば、日本でもっとも大きなお祝いの日である「お正月」、そこには「年末の帰省、大晦日、そして元旦から初詣、親戚へのご挨拶」といった約1週間のうちに様々なイベントを経験するだろう。同じようにインドネシアでもレバランという祝祭においては、その日の前後を通じて様々な行事が行われる。したがってレバランという日を一連の流れのなかに位置づけ伝えることで 、いっそう「現地の雰囲気」またレバランに込める「人びとの想い」を正確に伝えることができると考えるのである。そこで以下では、Ⅰ.レバラン期間の現地の様子について前後数日をも含めて時系列的に概観し、そのうえでレバラン当日に行われる先に紹介した「挨拶」に焦点をあて掘り下げつつ、Ⅱ.レバラン当日における現地ムスリムの人びとの想い、を紹介してみたい。


Ⅰ.レバランの日を迎えるムスリムたち
 ――断食の終わりからの過ごし方 ――


 はじめに、インドネシアのレバランを経験して筆者が感じたことは、少し先にふれたように日本の「お正月」との類似点の多さである。以下で詳しく述べたいが、例えばレバラン前に実家に帰ること、レバランの日に行われる親戚巡り、また子どもにお小遣いをあげることなど私たちの「お正月」に共通する馴染みの深い行事が多かった(ちなみにこれはイスラームの断食月開けに共通するといわれるが、筆者は以下でイスラームについての一般論ではなく、インドネシアで実際に見聞きしたことに焦点を当てて述べる)。そこで読者の方には、「インドネシアのレバラン」と「日本のお正月」とを比較する視点も少し持ちつつこれから読み進めて頂きたい。そうすることで一層インドネシアという「異文化」を身近にかつ興味深く感じて頂けるのではないかと考える。


*レバラン休暇の日程と帰省ラッシュ
 インドネシアの人びとにとって、レバラン休暇は一年でもっとも大きな休みである。日本でいえば「お正月」や「お盆」といった連休をイメージして頂けばよろしいか、だいたいレバラン当日の前後を併せて、多くの人は10日くらいの休みが与えられる。今年の場合、通年のカレンダー上ではレバランの日が8月30日及び31日となっており、したがって多くの企業や学校では、その前の週の週末である「8月27日(金曜日)から翌週の9月4日(日曜日)」までがお休みであった。

【写真:この時期の交通混雑、インドネシアの渋滞】
 レバランの日、多くの人が故郷に帰り、両親や親戚と共に過ごすことを望む。したがって、ちょうど仕事が終わった金曜日である8月26日から27・28日 の土日あたりに、インドネシアではいわゆる「帰省ラッシュ」という現象が起こる。大都市ジャカルタは人口移動がもっとも顕著な場所であるが、バンドゥンの ような地方都市においても、人びとは田舎へと帰り徐々に街は閑散としていく。ある筆者の友人はレバラン前後のジャカルタを「人口密集地の大都市ジャカルタ が、空っぽになる瞬間である」と表現していた。また筆者の住むバンドゥンでも、週末あたりから街に出歩く人の数も減り、なにより毎日営業していた食べ物屋 台や露天商の姿がほとんど見えなくなっていった。
 このような人の移動を裏付ける現象として、一つインドネシアの交通混雑の状況を挙げておきたい。この時期、インドネシアにおいて数少ない整備された道路に車や大型のバス、バイクが集中し、いたるところでとんでもない長さの渋滞が発生する。おそらく道路を利用した移動は、通常の2~3倍以上の時間を要する状況であろう。また驚くことに、こちらでは一般的である日本製の125ccのバイクに一家族全員、つまり両親と子ども2人の合計4人乗りで走る姿を多く目にする。インドネシアの道路においてバイクに3~4人乗りをする状況はわりと頻繁に目にするとはいえ、特にこの時期は多人数での乗車、とくに家族一家でバイクに乗っている光景を多く見かけた。さすがメイド・イン・ジャパンと海外にいて改めて日本製品の技術の高さに舌を巻くも、一方で、危なっかしくて見ていられない気持にもなる。またインドネシアでは車などの移動手段を持たない家族も多く、その場合、人びとはバスや電車などを利用する。とはいえ電車は日本ほど交通網が発達しているわけではなくまた運行本数も少ないため、帰省の時期は大型バスを利用して移動する人も多いようである。


*故郷に帰ること、そこでの過ごし方
 それでは、「そこまでしてどうして皆が故郷に帰りたいのか…、またそこで何がしたいのか…?」という点を、異文化を探求する道程においては問うてみたくなる。だがしかし、この点について大きな疑問を浮かべる読者は少ないはずだ。筆者もそうである。なぜなら、日本でも「帰省」する習慣はあるし、なにより両親や地元の親しい人に会う機会は単純に楽しみである。そのような経験がある私たちには、渋滞にも阻まれながら、またはバイクに4人乗りをしてでも、故郷に向かう彼らの気持ちには共感できる。実際、現地のインドネシア人に話を聞いても、この時期に故郷へ帰ることの目的は、「遠く離れ久しく会っていない家族や親戚との再会」であり、彼らにとってそれは特別な理由を挙げるまでもなく「嬉しいこと」であるのだ。より良い仕事または教育機会を求め都会で働いている者や勉強している者がいっせいに故郷へと帰ってくる。そしてつかの間の一時を皆で過ごすのである。

【写真:家族みんなで畑に行き、キャッサバを収穫する様子】

 では次に故郷での過ごし方を紹介したい。このように故郷への帰省は少なくともレバラン当日の1~2日前に済ませる。そして実家では、断食最終日の夜(Takbiranと呼ばれ、今年は8月30日であった)に食べる少し豪華な食事の準備、子どものいる家庭などでは(打ち上げ)花火などを買ってその晩のお祝いに備えること、さらに例えばナシ・リウット(Nasi Liwet)と呼ばれるヤシの葉に包んだご飯など、明くるレバランの日に特別に食べる食事やお菓子の下拵え、が行われる。またレバランの日は「心機一転」という気持ちの現れか「身に着けるものをなるべく新品でそろえ」そして朝のお祈りであるソラット・イード及び親戚周りを行うことが望ましいとされている。そこでレバラン前になると、衣類や靴、かばんなどをいっせいに新しいものに買い換えるべく、お店などで買い物を行う。加えて上述した通り、この時期に合わせて多くの親戚や友人が地元に帰ってきている。そこで皆とつもる話に花を咲かせつ、時にはのんびりとしながら、断食最終日の夜、そして断食明けのお祭りであるレバランに向けて皆で準備を進めるのである。

【写真:新しい衣服を買い求める客で賑わう街のパサール】


*レバランの日が直前まで定まらないという不思議
 筆者はレバランのための休日(つまりカレンダーの日付が赤くなっている日)が8月30日及び31日であるということは知っていた。しかし、具体的にレバランの日が両日のうちどちらなのかということが分からず、筆者は同日が近くなるにつれてインドネシアの友人に「いつ断食は終わるのか」そして「いつが今年のレバランの日なのか」という質問を繰り返し聞いた。しかし、残念ながらいくら尋ねても決してはっきりとした日にちを知ることは出来ずにいた。そうこうしているうちに休暇の前日である8月29日が訪れ、筆者は「おそらく今日が断食最終日なのだろうな」と、内心少しウキウキしつつ、招かれたインドネシアの友人宅で夕食を食べていた。するとその日の夜のニュースでインドネシア大統領ユドヨノ氏の演説が流れ、「レバランの日が正式に8月31日に決まった」ことが発表された。どうやら29日の夜は「まだ月の欠け方が不十分である」というイスラーム専門家の意見、そしてそれに基づき行われた政府関係者との協議によりレバランの日が決定されたということである。したがって、つまるところなんと前々日の8月29日になってようやく、明日である「8月30日が断食最終日、そして翌8月31日がレバラン」であることが正式に決定され、インドネシア国民に周知されたのである。

【写真:インドネシアのカレンダーの写真、赤字が国民の休日】
 なるほどこれまでインドネシアの友人に幾度尋ねてもレバランの日についてはっきりとした答えが返ってこなかった事の理由について、やっと納得がいった。一方で、これまで述べてきたようにインドネシア国家と国民にとってレバランとは「お正月」のような日、日本には「もういくつ寝ると…」なんぞ指折り数えてお正月を待つてまえ、そのように急に決まることがあるのかと、筆者は大変な驚きと同時に不思議な気持ちになった。ちなみに筆者を「是非、ラマダン前夜を共に」と招いてくれた友人は、レバランが明後日であるという知らせを前に、若干残念そうに「そういうことだから、また明日の夜を楽しみにしましょう」と言って、その晩筆者をお家に泊めて下さった。








 


*断食最終日の夜(Takbiran)
 断食最後の日にあたる8月30日。夕刻6時少し前に同時刻のお祈りであるソラット・マグリブを知らせる呼びかけるアザーンの声が響き渡り、その頃から、街は徐々に盛大な雰囲気に包まれていく。この日まで30日間の断食期間が終了したこと、ある者は同期間の断食実践を全うできた喜びに満たされ、またある者は断食が終わったことからの解放感のうちに、ムスリムの人びとはこの瞬間を迎えるのである。
 各々が前もって買っておいた花火を打ち上げる音、太鼓を叩く音、なによりモスクの拡声器から繰り出される「アッラー・アクバル(Allahu Akbar:「アッラーは偉大なり」の意)」という祈りの言葉、それらが街のいたるところから響いてくる。夜も更けますます静かになるにつれて、いっそうこれらの音だけが響き渡る街はレバラン前夜の荘厳な雰囲気をますます醸し出しているようであった。

【写真:レバラン前夜(Takbiran)、集まった親戚皆で花火を楽しむ風景】

 荘厳な雰囲気への興奮、モスクから拡声器を通じて流れる「アッラー・アクバル」という祈り、太鼓のドンドコ鳴り響く音、さらに近くで上がる花火の爆発音もあって、筆者はなかなか寝付けないまま夜が過ぎてゆき、8月31日、レバラン当日の朝を迎えた。


*ムスリム最大のお祭り、レバランの一日
 レバランの日、まずムスリムの人びとは4時過ぎにソラット・スブーのお祈りを行う。その後、シャワーを浴びて体をきれいにし、朝食を食べ、自分がお祈り をするためのカーペット(Sajadah)を持ち、そして新しく用意した伝統的なムスリムの服装に身を包み6時頃から始まるソラット・イードへと家族や帰省している親戚が共に皆でそろって出かける。モスクや特設のお祈り会場で行われる特別なお祈り、ソラット・イードはおおよそ1時間程度と普段よりも長い。 まず会場に集まった皆でいつものお祈りを行い、その後おおよそ40分程度のイスラーム教の教師(Ulama)の方によるお話し(Khutbah)がある。 そのお話の内容とは、「アッラーへの日頃の感謝について、時には感極まって涙ながらにも熱弁をふるう」というものである。そして最後に参加しているもの皆で本稿のはじめに紹介した「挨拶」(Selamat Hari Raya Idul Fitri 1432H. Maaf lahir dan batin)を述べ、この度の特別なお祈りが幕を閉じる。
 そしてお祈りが終わり次第、はじめは一緒にお祈りをした家族や親戚の人に、次に近くで祈っていた人に、そしてお祈りの席を立ち家路につくところの途中で会う人びとに、お互いの手を取り合い先の挨拶を述べあう。そうこうして家に戻るのはだいたい8時頃になり、それから少し皆でご飯を食べるなど休憩した後、今度は御近所周りを行い再度先の「挨拶」を行うのである。





 

【写真:お祈りを終えご近所さんと「挨拶」を交わしている風景】
 それから午前10時くらいであろうか、次にムスリムの人びとが家族や親戚皆で向かうところがお墓である。まず皆で墓地に行き、その後ご先祖様が眠るお墓の近くに茣蓙(ござ)を敷いて座りコーランを音読する。先導する者はだいたい一族の年配の男性であり、彼が先んじて読んだ箇所をその後に皆がそろって再び読み上げるという形式である。

【写真:墓地にて皆でコーランを音読する風景】

 コーランの音読を30分くらいで終え、次に皆はお墓の前に行き、花びらが浮かべられた桶から水を汲み出し、まるで故人に話しかけているかのようにしながら一つひとつのお墓に丁重にお水をかけていく。
 だいたい1時間くらいでお墓参りが終わり、ちょうど12時くらいであろうか家に戻り親戚皆で昼食をとる。断食も明け、まさに1ヵ月ぶりの昼食である。前日までに仕込んでおいたたくさんの料理やお菓子が並べられる。そして、皆でのんびりと楽しい食事の時間を皆で過ごすのである。


【写真:お墓に水をかける風景】
 
 ここで概ねレバランの日に行われる行事は終わり、昼食後は用事のある者からぼちぼち引き上げていく。ただ一口に用事と言っても人によってさまざまであろ うが、インドネシアの多くの人は父方ないし母方の実家に行くというのが通例のようである。日本の「お正月」でもそれに似たところを感じるが、インドネシアにおけるムスリムのレバラン期間も同じように人のカラダは一つゆえ夫婦においてどちらか片方の実家でしか同時期を過ごすことができない。したがって、レバ ラン行事がひと段落すると、もう一方の実家へと会いに、そしてレバランの「挨拶」をするべく出向いて行くのである。ちなみにインドネシア、西ジャワに位置するバンドゥンでは、(かつての)日本のように父方の実家に住むことが多い(ないし通例である)ということはあまりなさそうである。むしろ「母方と父方のどちらの実家に住むのか」という点については、家庭の状況や所有している土地、また経済的な事情など双方の現状によって決められていることが多いように思われる。


*レバラン行事の補足
 それでは、これまでの時系列的な記述においては盛り込みにくかったレバラン当日における行動を、補足としていくつか加えておきたい。まず、レバランの朝のお祈り(ソラット・イード)以降に行われる先の「挨拶」についてである。「挨拶」はお祈りが終わった後も、いたるところで行われる。親戚の人と会った際はもちろんのこと、お墓参りの道中、移動の際に道ですれ違った人、知っている人も知らない人でも、とにかくお祈りを済ませて以降、人に会う初回の挨拶では、必ず先の決まった言葉をもって「挨拶」が交わされる。またそれはレバラン当日以降も、例えばレバラン休暇後に職場で再開した同僚と、あるいは大学が始まった月曜日に学校で友人と、手を取り合って「挨拶」を行うのである。したがって、この「挨拶」という視点からレバランを見た場合、インドネシアのレバラン・ムードは、9月に入っても一週目くらいまでは続いていると考えられる。
 またレバラン前後になると頻繁に贈り物がなされる。日本で言うところの「お歳暮」のようなかたちで、例えばレバラン前に親しい方(インドネシアの場合、特に親戚になることが多いが)へお菓子や飲み物の詰め合わせ、フルーツなどが贈られ、そしてそれがレバラン当日の昼食やおやつの時間に並ぶ。さらに当日に関しても親戚の家をある者が訪れる際には、先に述べたような贈り物を持参する場合が多いようだ。また興味深かった点は、職を得ている大人が、日本の「お年玉」のように親戚や自身の子どもないし孫などにお金を配る慣習があることだ。インドネシアではむき出しのまま渡されていたが、日本の金銭感覚で考えてれば年齢に応じておおよそ1,000~10,000円くらいの金額が子どもに渡されていた。
 最後に印象的であったことは、レバラン当日ならびにその後の数日に渡って「ムスリムの各家庭ではとにかく食べ物が家中にあふれている」ということだ。先に「贈り物」として紹介したが決してそのような他から貰った市販の物だけではなく、レバランの日のために数日前から各家庭でそれぞれ作るなどして準備した軽食やお菓子も持ち寄られ、それらが床やテーブルに並べられている。したがって、まるで四六時中なにかを口にしているような、そのような感覚の数日間である。一ヵ月もの断食期間を経たこの瞬間、つまりレバランの日からは時間帯を気にせずいつでも食べ物や飲み物を口に運べるということであって、そこにムスリムは何とも言い難い解放感と「しあわせ」を感じているのであろう。


*レバラン休暇が続くムスリム
 最後に、レバラン当日を過ぎた後に残る数日間の休暇について、彼らの過ごし方などを簡単に紹介しておきたい。
 上述したようにレバラン当日である8月31日の午後には、概ねその日の行事が済んだことになる。そこで多くの人は、当日の午後からないしは翌9月1日に移動を再開させる。ある者は、先に述べたようにもう一方の実家へと「挨拶」に向かう。また遠くから帰省してきた者は、自分が現在住んでいる街へと戻っていく。さらになかには、残りの3日間程度の休みを利用して、海や山へと旅行やレジャーに出かける者もいる。

【写真:同休暇、旅行客でにぎわう西ジャワ州の南岸「パガンダラン・ビーチ」】
 ところで、このようにユーターン・ラッシュや旅行へと向かう人でインドネシアの交通は再び混雑し、道路はまたも渋滞に次ぐ渋滞となる。その結果、なかなか予定通りに事が運ばず、休暇最終日の9月4日という帰宅日に遅れる人も多いようだ。したがってレバラン期間明けのインドネシアにおいて、仕事始めの9月5日から仕事や学校が「正確に始まる」こともあるけれど、全体として新しい週が始まっても平常通りに街が動きだすには少し時間を要する。結局、お店や食堂などの営業が開始され、街全体に活気が戻ってくるのは翌週である9月12日くらいからであった。


 


Ⅱ.Selamat Hari Raya Idul Fitri 1432H. Maaf lahir dan batin
 ――レバラン期間における現地ムスリムの人びとの想い――


 遠く離れたインドネシアという国において、日本社会と同じような帰省の機会に巡り合ったこと。家族と久しぶりに会う喜びを横目で見ていた筆者にとって、レバランの時期は、故郷や家族を恋しくも想起させる瞬間であった。だが一方で、住んでいる社会や文化が違えば「久しぶりに家族や親戚と会う」という行為も、その「嬉しさ」の背後にある意味合いも、多少なりと異なるところがある。そこで、以下では本報告の冒頭で紹介した「挨拶」(Selamat Hari Raya Idul Fitri 1432H. Maaf lahir dan batin)について、まず「挨拶」をレバランというお祭りにおける象徴的な行為として捉え、その上でこの行為が含意すること、あるいは「挨拶」に込められたムスリムの想いについて紹介していきたいと考える。


*「挨拶」:レバラン期間における象徴的な行為
 本報告の冒頭及び「Ⅰ.」にて述べたとおり、“Selamat Hari Raya Idul Fitri 1432H. Maaf lahir dan batin”という「挨拶」は、レバラン当日及びその後数日にわたって生活のいたるところで目・耳にする、また時には自身も実践する行為であった。ソラット・イードというお祈りの場から始まり、身近な家族や親戚とのあいだで、訪れる親戚とのあいだで、ご近所さんとのあいだで、友人とのあいだで、そしてすれ違う幾多の人びととのあいだでさえ、とにかく人と出会うここそこの場所にてお互いが手を差し伸べ合い「挨拶」を交わす。また街には、「挨拶」の言葉と共にレバランの日を祝う広告がそこらじゅうにかけられている。さらには、携帯電話やインターネットといった電波を介したかたちでの「挨拶」も取り交わされる。
 このようにレバランの当日またそれ以降のレバラン期間と考えられる時期において、二者間の関係は、すべてこの「挨拶」から始まると言っても過言ではないであろう。したがってレバランの日を境とし、その意味において新たなコミュニケーションを構成する先の「挨拶」は、インドネシアのレバランというイベントにおける象徴的な行為と位置付けられよう。


*「挨拶」に込められたムスリムの想い
 では、レバラン時期の象徴的な行為である「挨拶」、そこに込められたムスリムの人びとの想いについて紹介していきたい。
 まずこの「挨拶」で交わされる言葉の意味について、筆者と「挨拶」を交わしたムスリムである友人の一人が、以下のように説明してくれた。
「これまで私たちは知ってか知らずかにも、誰かに悪いことをしてきましたね。または心のなかで、人に対して悪いことを思いましたね。だからこの時、そのようなこれまで(一年間)の自分の過ち全てに対して謝るのです。」
 確かに私たちはたとえ知らず知らずのうちであっても、日常生活のなかで人を傷つけることもある。何気ない一言が人の気持ちを「害する」こともあれば、良かれと思ってした行為に「有難迷惑」なんてお返事が返ってくることもある。また直接なにか人に対して言わないまでも、心のなかで相手を「責める」気持ち、「批判する」気持ちを抱くこともある。目に見えること、見えないこと、意図的なことや無意識のうちであっても、彼らムスリムの人びとは自らが重ねた「過ち全て」に対してこのレバランという日に「謝る」のである。
 さらに別のムスリムの友人はこのような懺悔の言葉(「挨拶」)を交わすことの背景について、イスラーム教の教義をもとに次のように語ってくれた。
「(イスラーム教の考えとして)自分の犯した悪いことは、神様(アッラー)に直接謝っても赦してもらえないですね。それは、まず人間同士がお互いに許し合うこと。そうして初めて神様からも許してもらえ、そうすることで自分の悪いことが無くなるのです。」
 つまり彼らムスリムにとってある者が犯した「罪」を償うには、相手に直接「謝る」こと、そして相手から「赦される」ことによってはじめてイスラーム教の神様であるアッラーから自分自身が「赦される」ということである。言い換えるならば、相手はもちろんのこと神様からも「赦される」ことで自分の「罪」が無くなった状態になるということだ。そしてムスリムの人びとにとっては「謝ることによって過去の罪が許される時、それがこのレバランの日である」ということであるそうだ。

 そこで筆者は続けて「では、このレバランの日にもっとも謝りたい人は誰ですか?」という質問をしたところ、友人から次のような答えが返ってきた。
「それは両親や家族、また親戚です。イスラーム教にとって、特に両親は一番大切な存在とされています。なかでも母親は自分を命がけで生み、そしてこれまで育ててくれました。だから両親のなかでも母親に対して、まず初めに謝ろう(「挨拶」をしよう)と思います。」
 とりわけ家族やキョウダイ、親戚といった間柄の人は、場所が離れていようとも過去から現在に至るまで密接に関わり合っており、それだけお互いに対する想いも一層深いものがあろう。そこで彼らは「挨拶」をまず家族、次に親戚、それから隣近所に住む人といったように近しい関係の人から順に行い、そしてこれまでの自分の「罪」に対して「懺悔」を行うのだ。したがってレバランの日にこれまでお世話になってきた家族や親戚と過ごす背景には、単に「久しぶりの再会を楽しみたい」だけではなく、関係の深さゆえ同日に「最も懺悔の想いを伝えたいと同時に赦しを得たい人に対して、一番に早く挨拶を言いたい」といった気持ちの側面があるのだろう。
 そしてこのように家族や親戚はもとより友人といった大切な人に「謝り」、そして互いに「赦し合う」レバランの日について、筆者の友人であるムスリムの一人は最後に以下のように表現している。
「(「挨拶」を通じて)互いに謝ったなら、そして赦し合ったならば、新しい気持ちでこれからをスタートできますね。したがって今日(レバランの日)、私た ちはまるで赤ちゃんのような気持ちになって、生まれ変われる日なのです。そして(赦されたという)嬉しい気持ちで出発するのです。」
 お互いがこれまでの過ちを「謝って」そして「赦し合った」からこそ、神様(アッラー)からも「赦された」存在、つまりムスリムにとって最も「嬉しい」状態になり、そして彼らは「新しい気持ちでこれからをスタート」することが出来るのだ。まさに「罪のない真っ白な気持ち」で新しいスタートラインに立ち「生まれ変われる日」、それこそが現地ムスリムにとってのレバランの日である。そしてこの日のムスリムは、家族、親族や友人そして神様からも「罪」から「赦された」ことによる「嬉しさ」で心が満たされる。ムスリムにとってレバランは、心が無垢な状態に戻り、それゆえ友人の表現にもあるように「まるで赤ちゃん」のような気持ちになれる日なのだ。
 以上が、レバランの日に込められたムスリムの人びとの想いである。


*最後に
 前回の報告と今回の報告を踏まえ、「断食とレバラン」というテーマについて、最後に一つ筆者の思うところを述べて本報告の終わりにしたい。
 「断食」というレバランの前の実践については先回の報告で 明らかにした。そこで述べたように30日間に渡る断食期間とは、ムスリムにとって普段に比べ一層「他者に良いことをする」こと、さらには「喜捨」という行為が奨励された期間であった。そして今回の報告で述べたように「レバランの日」とは「過去の罪」から自身を一新し「生まれ変わる」日であった。例えば日本でも神事ないしは法会に臨むにあたって酒や肉食を慎む「潔斎」期間が設けられることがある。そのように考えるとインドネシアのムスリムにとって断食期間とはある意味「(過去の)自分を清め、新しい自分に生まれ変わるための準備期間」であったのかもしれない。そう考えると「断食からレバランの日を迎える」というムスリムの人びとにとっての一連の日々とは、「良いことを行うと同時にこれまでの自らの罪を見つめ、そして新たな気持ちでスタートする」そのような儀礼的期間であるように筆者の目には映った。


 今回の報告で断食明けのお祭、インドネシアの「レバラン」について紹介した。それでは次回の報告では、イスラーム諸国の年中行事におけるもう一つの最も重要なお祭り、「犠牲祭」について同じくインドネシアのバンドゥンから紹介したい。

(蔵人)