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こころと社会

宗教情報センターの研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2011/08/25

 私たちの同僚、蔵人さんは、機会あってインドネシアに留学しました。彼はイスラームの専門家ではありませんが、文化人類学の視点から、現在進行中のインドネシアでの断食月(ラマダーン)に立ち会い、その体験をまとめてくれました。若き人類学者が見たインドネシアの断食月、ぜひご覧下さい。

ムスリムの宗教生活:ラマダーン月間と断食実践の感覚
 ――「日の出」と共に、そして「日の入」にあわせて――

こころと社会

蔵人

 2011年8月1日、アラビア暦(太陰暦)ラマダーン月間の初日1、世界のムスリム(イスラーム教徒)にとって一年でもっとも崇高な時間が幕を開ける。そして8月31日に行われるお祭り、レバラン(Lebaran)2に向けて、人びとは祈り深め喜びの時を待つ。
 この時期、インドネシアのムスリムは太陽が出ているあいだ、毎日おおよそ14時間ほどを「飲まず食わず、口に入るものは空気を除き一切遮断する」という断食(プアサ/Puasa)の実践を行い過ごしている。
 


【写真:モスク】

 

 

 数ある宗教行事のなかでも、イスラーム教のラマダーン月間については、ニュースや新聞、学校教育の課程で一度は耳にしたことがあるのではないか。とりわけ米国同時多発テロ(9.11)以降、日本でもイスラーム諸国についてのメディアによる報道が盛んになされ、イスラーム教について知る機会が増えた。
 ラマダーン月間とは、大まかにいえばムスリムにとって「日中、太陽が出ている間は、物を食べてはいけない断食期間であり、約一ヵ月続けられる」イスラーム教の宗教行事である。ただ日本において生活する場合、ラマダーン期間におけるムスリムの実践を目にすることはおろか、女性イスラーム教徒の象徴とも捉えられるスカーフを覆った女性と出会うことも稀ではなかろうか。そこで本稿では、世界一のムスリム人口を誇るインドネシア、ジャワ島の内陸部に位置し1955年にアジア・アフリカ会議が行われた場所で知られる西ジャワ・バンドゥン3から、現地ムスリムのラマダーン月間における宗教生活について、紹介したい。
 そこで以下では、1.(通常の)ムスリムの宗教生活、2.特別な1ヶ月:ラマダーン月間中の宗教生活、3.ラマダーン月間についてのムスリムの考え方、についてバンドゥンでの筆者の生活経験及び聞き取り調査をもとに紹介したい。

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1 ラマダーン月間とは、アラビア暦を基準にその第9月にあたる時期をさす。そして、それを西暦にあてはめてムスリムはラマダーンを行う為、ラマダーン月間は必ず毎年8月に行われるというものではなく、年によって異なる。したがって例えば昨年のラマダーン月間は、8月11日から約1月、また来年は7月20日から約1月の予定となっている。
2 レバラン(Lebaran)とは、イスラーム教徒にとって、断食明けのお祭りである。インドネシアの人びとは、基本的にレバランの日を含み前後併せて10日程度の休みが与えられる。例えば日本のお盆のように、インドネシアでも都会で働くものや学生は実家に帰り、親族と一緒に過ごす。ご飯を食べ、またお墓へ先祖参りに行くという。
3 インドネシアのムスリム人口について述べる。人口は現在、約2億5千人といわれ、またイスラーム教徒は人口の約90%を占める。また大変多くの島嶼部から構成されるインドネシアにあって、首都ジャカルタのあるジャワ島、とりわけバンドゥンが位置する西ジャワ地域はイスラーム教が盛んな地域である。



【1.ムスリムの宗教生活】

 ムスリムの日常生活は、ラマダーン月間でなくとも普段から宗教実践と深く結び付いている。通常ムスリムは、一日に5回お祈りを、決まった時間に行っている。彼らの多くは、街の至る所にあるモスク(ちょうど日本でいえば大小含めた交番の数よりも若干多いくらい)へ足を運び、お祈りを行う。しかし、授業のある学生、また会社員で職務が忙しいような状況において、ムスリムは会社のオフィス、学校や公共施設、また家庭の一室などに設けられたお祈り用の部屋(ムショラ/Mushola)でお祈りを済ませることもできる。また5回のお祈りは、それぞれに「異なった名前」を持ち、「反復される祈りの動作の回数」もそれぞれ異なる。
 それでは以下に5回のお祈りについて、それぞれの「名前」、「時間帯」、また「祈りの動作の回数」を紹介したい。

(ⅰ)ソラット・スブー(Shalat Subuh)/早朝4~5時(日の出)/2回
(ⅱ)ソラット・ズフゥール(Shalat Duhur)/正午12時/4回
(ⅲ)ソラット・アサール(Shalat Ashar)/午後3時/4回
(ⅳ)ソラット・マグリブ(Shalat Maghrib)/夕方6時(日の入)/3回
(ⅴ)ソラット・イシャ(Shalat Isya')/夜7時/4回

 ソラットと呼ばれるものがお祈りを意味し、一日における5回のお祈り時間それぞれに異なる名前がつけられている。また各々の時間になると街の至る所にあるモスクから、お祈りの時間を知らせるアザーン(Adzan)と呼ばれる「アラー(神/Allah)への祈りの言葉」が大音量で流れる。ただ、お祈りの時間帯及びアザーンの流れる時刻は、いつも固定されているわけではない。日本でも天気予報などで知らされる「日の出・日の入の時刻」が日々異なるように、インドネシアでも(ⅰ)ソラット・スブーは「日の出」と共に、そして(ⅳ)ソラット・マグリブは「日の入」に合わせられている 。つまりの太陽の周期に拠って日々の祈りの時間、そしてそれを知らせるアザーンが流れる時刻は毎日少しずつ異なっているのだ。


【写真:モスクでの祈り】

【写真:ムショラでの祈り】

 また祈りの前には、「モスクにて祈る自分の身を清める」という意味で、ウドゥ(Wudhu)と呼ばれる準備をしなければならない。日本でいえば神社やお寺などに入る際に手や口を濯ぐ手水場(ちょうずば)での行為をイメージして頂けばよろしいか、ウドゥとはモスクなどに併設されている水場で、手や口などを清める行為である。具体的には「手」、「口」、「鼻」、「顔」、「腕」、「髪の毛」、「耳」、「足」の順に身体の部位を洗い、またその回数は各々3回と決められている。加えて「手」や「腕」、「耳」や「足」などは「右」から先に洗うということである。


【写真:洗い場の写真】

【写真:ウドゥの手順が載っている冊子】

 ウドゥを済ませ、お祈りの場所へと足を運ぶ。モスクでは、女性と男性は異なるところでお祈りを行うことになっており、ウドゥを終えて以降、「男女間において肌を触れることはおろか、目が会ってさえもいけない」と言われている。また、万が一でも男女が触れることがあれば、「もう一度、ウドゥからやり直しをする」ということである。


【写真:女性と男性で分離された祈る場所(モスク)】

 このようにムスリムの朝は早く、午前4時頃には起床し、(ⅰ)ソラット・スブーのアザーンと共に一日が始まる。ソラット・スブーのお祈りを行い、帰宅後に朝食を済ませ、午前7時頃には学校やオフィスに着き作業を始める。そしてお昼休みは正午12時頃(ⅱ)ソラット・ズフゥールのアザーンとともに始まり、まずお祈りを行い、その後にお昼ご飯を食べる。次に午後3時頃には(ⅲ)ソラット・アサールのアザーンが流れ、各人は時間を適宜見つけてモスクやムショラへと足を運び、お祈りと併せて少しの休憩をすることが多い。そして午後6時頃に(ⅳ)ソラット・マグリブのアザーンが流れ、一日の仕事終わりを意識しつつ、お祈りを行う。最後に午後7時頃から開始される(ⅴ)ソラット・イシャという5回目のお祈りにて、概ね一日の活動を締め括り、ムスリムは自宅へ戻っていく。その後は、ぼちぼち寝る支度を整え、午後9時~10時には床に就く。ただ夕食の時間は人によって異なり、ソラット・マグリブとソラット・イシャとの合間に摂る人もいれば、ソラット・イシャのあとに食べる人もいる。また5回のお祈りでは、それぞれその時間ちょうどにお祈りをする必要が必ずしもあるわけではなく、例えば午後3時頃からのソラット・アサールのお祈りは、次のお祈りであるソラット・マグリブが始まる午後6時までに済ませれば大丈夫である。
 だが、毎回のお祈りにはアザーンが流れた時間すぐに行うのが好ましいのであろうか、多くの人はアザーンが鳴るその時間帯に、モスクやムショラに足を運ぶ。したがって毎回のお祈りが開始されるちょうどその時間前後、モスクの周辺では人でごった返し、街の道路は交通の混雑が予想される。ただでさえインドネシアの道路事情が芳しくないことに加え、やはり「モスクでのお祈りの為、人びとの移動が集中する」のであろう。
 以上がインドネシア・ムスリムの一日のスケジュールを、簡単に紹介したものである。このように多くのインドネシア人ムスリムの日常生活は、一日に5回行われるお祈りの時間と密接に関わり合っているのだ。


【写真:モスクから祈りを終えて帰る人びと】


【2.特別な1ヶ月:ラマダーン月間中の宗教生活】

 それでは、「ラマダーン月間中のムスリムの生活」について紹介したい。ラマダーン月間では、おもに1.で述べた5回のお祈り時間とそれに基づいた生活リズムを、ムスリムは一層深く自覚し、この時期を過ごしている。先に紹介した通り、ラマダーン月間においてムスリムは、太陽が出ているあいだ、あらゆるものを口に入れてはいけない。したがって、「日の出に合わせてお祈りをするソラット・スブー」から「日の入のソラット・マグリブ」まで(厳密にいうと各ソラットの時間を知らせるアザーンが響くあいだ)、インドネシアではおおよそ14時間程度、断食を実践することになる。


【写真:ソラット・マグリブ時間のモスク付近の景色】

 この時期におけるムスリムの生活として特筆すべきは、彼らの朝が一層早い時間帯から始まることである。断食は、早朝4~5時に流れるソラット・スブーのアザーンが鳴り響く瞬間から始まる。したがって午前2~3時に朝食の支度を開始し、4時頃までにはだいたい食べ終える。またこの時期に限って、モスクより午前2時と午前3時頃に「サウール(Sahur)」という起床を促し朝食の合図を知らせる放送が町中に響く。そして朝の食事後、それから夕方の午後6時頃に響くソラット・マグリブのアザーンが流れるまで、彼らにとっては「飲まず食わず、口に入るものは空気を除き一切遮断する」という宗教実践を行うのである。
 ラマダーン月間の夕方午後5時くらい、ムスリムは14時間ぶりの食事をまえに、街はにわかに賑やかになり、人びとはそわそわし始める。ある者は夕食の支度を、またある者はオフィスでの仕事を終え帰宅の準備をいそいそと始める。午後6時には家に帰りたいという人のラッシュで、この時期の午後5時以降に発生する交通混雑は大変なものである。また公園のベンチでは、仲間内でどこのレストランで夕食を食べるのか楽しそうに相談し始める一団も多く目にする。そして断食時間が解ける午後6時頃、レストランや飲食店には人が集中し、ここでも混雑が予想される。この時期の賢い夕食の摂り方としては、午後5時過ぎからお店に行き、場所の確保と注文を済ませ、ソラット・マグリブのアザーンが流れる夕方6時頃まで仲間と談笑して過ごす、というプランである。空腹ななかで混雑を避け「確実に、そしてなるべく早く食べたい」という気持ちからの工夫であろう。また街の露天商、惣菜などの食べ物を売るお店では、5時半頃の開店から6時頃の繁忙期に合わせて徐々に準備を始める。香ばしい焼き鳥(サテ/Sate)の香り、サツマイモや野菜かき揚げといった天婦羅を揚げる音、屋台やレストランでの談笑、家路へと急ぐ人びと・・・このようにバンドゥンの町は午後5時頃から、だんだんとあたりが暗くなるにつれて街は徐々に活気づいていく。
 午後6時前後、その日の断食時間の終わりを告げるソラット・マグリブのアザーンが街に流れる。ムスリムにとっては、いざ、待ちに待った14時間ぶりの食事だ。だけれどここでも興味深い習慣が見受けられる。食事の始め、彼らはまず甘い飲み物やデザートを摂って、後に普通のご飯を食べる。そこには、長時間食べていないところに急に食べ物を摂取すること、それによって胃の調子が悪くならないように工夫しているということである。したがって、まず甘いものをとって素早く栄養を補給し、徐々に胃の調子を馴らしたうえで、メイン・ディッシュというわけだ。とりわけトウガラシなど香辛料の効いた料理中心のインドネシアにあって、空腹時に急に辛いものをおなかに入れることへの注意は、言われてみれば想像もつくであろう。


【写真:飲食店の雰囲気】

 そして午後6時から大抵は1時間程度で食事を済ませ、午後7時頃のソラット・イシャのお祈りの為、再びモスクへと向かう。またこのラマダーン月間に限り、ソラット・イシャのお祈りの後に「タラウェ(Taraweh)という特別なソラット(お祈り)」が行われる。これを実践するかどうかは個人に委ねられているが、バンドゥンにおいて多くの人は行っているようである。このソラット・タラウェの特徴としては、他の5回のお祈りに比べて、「祈りの動作の回数」が格段に多いことである。他の5回のお祈りでは、2~4回に対して、ソラット・タラウェでは11~23回行うと言われている。また、夜長にふけり、モスクやムショラにてコーランの黙読や自身の祈りを深めているものも多い。

 

【写真:正装し、モスクへ向かう婦人】

【写真:コーランを読む女性】
 
 最後に、ラマダーン月間における特徴として、次のような点を紹介しておきたい。まず、この時期の夕食はいつもと異なりブカ・ベルサマ(Buka Bersama)と呼ばれ、大切な時間として位置付けていることが挙げられる。とりわけ土日・休日といった仕事のない日には、家族や親族が集まり、みんなで食事をする。ホストの家が食事を準備する場合もあれば、集まる家族がそれぞれ食材を持ち込み、準備する場合もある。そして老人から子どもまで、おおよそ30人くらいの大所帯で食事と会話を楽しむのである。もちろん、例え2~3人の友人と夕食を食べようともラマダーン月間中の夕食はブカ・ベルサマと呼ばれるようである。しかし、皆にとって14時間ぶりの食事と一日の断食を無事成し遂げられたことを祝う想いで食べる夕食は、「一人よりも誰かと、一層機会があれば親しい人や親族と過ごし、盛大に食事を行いたい」という想いがあるようだ。


【写真:Buka Bersamaの様子】

 次に、ラマダーン月間の街や社会の様子を簡単に紹介したい。まず基本的にローカルな飲食店では日中はお店を占めている場合が多く、太陽の出ているころは街全体が断食の雰囲気に包まれている。外資系フードチェーン店や中規模以上のレストランといった場所ではサービスは行っているものの、飲食をする姿が外から見えにくくする為にカーテンなどで店内を覆い、また店内の奥の方で食べることになる。さらにTVなど公共の電波では、日中は食べ物や飲み物に関するテレビ番組ならびにCMなどの放映が控えられている。また「飲まず食わず、口に入るものは空気を除き一切遮断する」という断食にあって、インドネシアの多くの男性が普段から嗜好品として親しむタバコも、摂取禁止項目の一つである。したがって断食の時間帯は、路上や学校、オフィスといった公共の場所において喫煙中の人を見ることは殆ど稀といってよい。


【3.ラマダーン月間についてのムスリムの考え方】

 小腹がすけば最寄りのコンビニへ、喉が乾けばすぐそこの自動販売機で飲み物を購入する、といった日本での生活にどっぷり浸かった筆者にとってラマダーン月間におけるバンドゥンでの生活は、思いの他大変である。ムスリムの友人に合わせて断食に取り組んでみるものの、赤道に近い南国のインドネシアにあって、日中の外での日差しは強く、少し動いただけで汗が出る。喉もカラカラになり、空腹が頭のなかをめぐる。我慢していると、次第に集中力も低下し、なんだか朦朧としてくる。
 それでは最後に、このような苦しい修行を、彼らムスリムはどのように捉え、乗り越え、日々を過ごしているのか。ムスリムとの会話を通じて筆者が知り得たことを、以下に述べたい。まず、彼らとの話を通じて一番驚かされたことは、筆者が「ラマダーン月間と断食について、どのように思うか」と友人のムスリム数人に聞いたときの、返答の内容である。あるムスリムの友人は、断食について次のように語ってくれた。

 「一年を通じて、この時期を僕たちは楽しみにしている。ラマダーンの時期こそ、僕たちが良いことをすることについて、アラー(神様)は望みそして喜んでくれる。だから良いことをたくさんしていきたい。断食はちょっと大変だけれど、頑張ってやっている。」

 彼らは断食を実践していくことで、神であるアラーへ信仰を深めていきたいというのである。さらに、続けて「この苦しい時期にこそ、一層他の人を助けていくこと、施しを与えていきたい」とも述べていた。
 また別のムスリムの友人は、信仰の側面はもちろんのこと、断食について健康の面からも触れ、次のように述べる。

 「ラマダーンは身体の健康にもいいよ。一年のうち1ヶ月くらいは、おなかを休めることも大切だと思うから。」

 イスラームを基にした宗教生活が、いかに人びとの生活に密着しているか、とても心に伝わってくる言葉であった。

 ただやはりムスリムにとっても、断食は時にキツそうである。彼らは断食中であっても、普段に近い形で生活し、時折スポーツに汗を流し、もちろん仕事にも精を出している。しかしながら、筆者はムスリムの友人から、「断食中は、からだを気遣って激しい運動は控えめにする」という話を聞いた。また、日中の仕事場におけるムスリムの活動は、筆者の目からは、時に少し疲れの色が見てとれることもあった。さらになかには断食中にこっそり飲み物を口にし、また隠れてタバコをふかす者もいる。それでも概ね筆者の印象としては、それぞれが出来る限り断食に対して忠実に過ごし、一方で「無理はしない」という緩やかさをも併せ持って、バンドゥンにおいては個々のムスリムがイスラーム教の信仰を行っているように思えた。

 ラマダーン月間。筆者がバンドゥンで出会った多くのムスリムは、断食を年中行事として生活してきたこれまでの経験、そしてなにより強い信仰心に支えられ断食の日々を過ごしている。単にムハンマドの苦しみを感じるだけではなく、むしろ断食という期間に喜びを抱きながら、そしてレバランというお祭りの日を心待ちにしながら、日々を重ねているように思えた。

 それでは次回は、断食明けのお祭り、レバランについて引き続きバンドゥンから報告したい。