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このコーナーは、宗教情報センターに長年住みついている知恵フクロウ一家の
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交代で、宗教に関わるさまざまなエピソードを紹介します。


第二十七回 アルジェリアに住む「イスラムの清教徒」

2016/06/27 第二十七回 アルジェリアに住む「イスラムの清教徒」 

情ちゃん

アルジェリアの主な宗教はイスラム教スンニ派です。しかし、南部ガルダイアを中心とする世界遺産「ムザブの谷」に住む少数民族ベルベル人のムザブ族は、イスラム教ハワリージュ派の流れを汲むイバード派を信仰しています。ハワリージュとは「離脱した人々」の意味です。この呼び名は、イスラム教預言者ムハンマドの従弟で第四代カリフ(最高指導者)のアリーから離れていったことに由来します。アリーが彼に反旗を翻したムアーウィヤと和平を結び、いずれがカリフにふさわしいかを人間による判定に委ねたことに不満をもち、彼を不信仰者(カーフイル)として暗殺した分派です。

最高指導者であるカリフの条件を、スンニ派が「知識、誠実、能力、感覚と肢体の健全、クライシュ族出身者※1」、シーア派が「ムハンマドの娘婿アリーの子孫」としたのに対して、ハワリージュ派は「神の意志を厳格に適用できるもの」とし、共同体がカリフを選び、不正なカリフを廃位できるとしました。厳格な平等主義に立脚しており、カリフはアラブ人でなくてもよいという点は、アラブ以外の人々にも受容されやすかったでしょう。ハワリージュ派は主にスンニ派から異端視され、迫害されることが多かったため、「危害が加えられそうなときに信仰を隠すこと(タキーヤ)」が認められました。

7世紀後半にハワリージュ派は、思想上の違いから3つに分裂しました。そのなかで最も穏健で現在まで伝わっているのが、アブド・アッラー・ブン・イバードが創始したイバード派です。現在、アラビア半島にあるオマーン国では主流ですが、イスラム教のなかでは少数派です。

ハワリージュ派はイラク南部のバスラを拠点としていましたが、8世紀半ばにイラクをアッバース朝が支配するようになると、激しい弾圧を受けました。そこで、イバード派は北アフリカに共同体を建設しようと宣教者を派遣しました。宣教者が統治を任せたペルシャ人のアブドゥッラフマーン・ブン・ルスタムはアルジェリア中西部にルスタム王朝(761~908年※2)を開き、イバード派を信仰する北アフリカの先住民ベルベル人たちにイマーム(指導者)として認められました。この王朝が10世紀初めにファティーマ朝に攻撃されて滅ぼされると、その末裔は南へ、さらに迫害を受けて南へと逃れて、ついにはアルジェから南に600kmの砂漠地帯にある涸れ谷「ムザブの谷」にたどり着きました。彼らは不毛の地に深い井戸を掘り、機能的な給水システムを整備し、ナツメヤシを植林してオアシスにつくり変えて定住しました。

こうして1012年から1350年の間に、エル・アーティフ、ブーヌーラ、メリカ、ガルダイア、ベニ・イスゲンという城壁に囲まれた5つの街が築き上げられました。

これらの5つの街は、11世紀初頭の建物と共同体が維持されていることや、イバード派の文化と平等主義の原則を表していること、中央サハラに独創的な灌漑システムとナツメヤシの植林によって築かれた伝統的な町であることなどが評価されて、「ムザブの谷」として1982年にユネスコの世界遺産に登録されました。

ここには約千年前の街並みが残っており、見張り塔と要塞、武器庫と貯蔵庫を兼ねていたモスクのミナレット(尖塔)を頂点として、同心円状にパステルカラーに塗られた四角形の家々が建ち並んでいます。この都市景観は、建築におけるキュビズム(立体主義)や、20世紀にフランスを拠点に活躍した建築界の巨匠で、東京・上野にある国立西洋美術館の設計者でもあるル・コルビュジェにも大きな影響を与えました。

▲1350年に築かれた最も新しい街ベニ・イスゲン。モスクを中心に発展した他の街と異なり、市場から街が広がったため、見張り塔(左手の四角い建物)が最も高い位置にある。右手の尖塔がモスクのミナレット。

▲1012年に築かれた最古の街エル・アーティフの城塞の南側に15世紀に建てられたシディ・イブラヒム廟(中央の白い建物)。ル・コルビュジェ作「ロンシャンの礼拝堂」に影響を与えた。

▲シディ・イブラヒム廟の男性用礼拝室。壁の小さな窪みは、コーランの置き場。

▲シディ・イブラヒム廟のミンバル(説教壇)。壁の穴を通して壁を隔てた女性用礼拝室に説教が伝わる。女性用礼拝室は半地下があり2層になっている。

▲アルジェリア北東部の高地から1500年ごろ「ムザブの谷」にきたイスラム教イバード派のイマームだったシディ・アイサとその一族の廟。メリカの街の城壁の南側にある。人が死ぬと、イスラム教の通例通り、メッカの方向に顔を向けて、体を横向きに右側を下にして埋葬される。

▲ムザブ族の男性ガイド。ガイドは撮影可能。ムザブ族の男性は、暑い気候に適した股の部分がプリーツ状になった「サルワール」いわゆるサルエルパンツを履く。狭い路地は、日陰をつくって涼をとるためと、邪視を避けるため。

ここに住むムザブ族は、コーランの厳密な解釈から導き出された独自の戒律とみなされる2つの原則――すべての信者は平等で、あらゆる行為は例外を除いて善か悪かである――に基づいて暮らしています。戒律に忠実に暮らしているため「イスラムの清教徒」とも呼ばれています。

労働は宗教的な義務で、怠惰は最も責められるべき悪の一つとみなされています。宗教的側面と現実的側面が合致しており、サハラ交易で富んだ住民が多いようですが、平等主義の原則から貧富の別なく同じような四方形の建物に住み、質素な生活を営んでいます。モスクも、日干しレンガに白い漆喰が塗られた簡素な建物です。これは、「ムザブの谷」に定住する前、華やかな暮らしをしていたために襲撃され、集団移住せざるを得なかった苦い経験から学んだ知恵でもあります。

5つの街の中心となるガルダイア以外の街には、異教徒はガイドなしでは入ることができず、肌を露出した服装や喫煙、許可無く住民を撮影することは許されません。

▲“「ムザブの谷」の首都”や“オアシスの真珠”と呼ばれるガルダイアの街は1057年に築かれた。このガルダイアの広場でのみ人物撮影が許されている。この地区ではムザブ族とアラブ人の抗争や暴動が頻発しているため、治安部隊が点在して警戒している。

▲11世紀初頭にできた街メリカの中心部にあるモスク。「ムザブの谷」のモスクは、先端が王冠状のミナレットが特徴的。

既婚女性は外出時には頭から白い布を被り、片目だけを出して歩きます。これは夫以外の男性に顔を見せてはいけないからです。万が一、夫が先に亡くなった場合は、町の人々が暮らしを助けてくれます。助け合いの精神は、貧しい人たちにナツメヤシの実を分け与える伝統にも垣間見られます。町には人々を見張る審判官がいて、罪を犯した場合は罰として犯罪者同士で暮らさなくてはなりません。

「ムザブの谷」には、1882年にフランスの支配下になってから水道と電気が引かれ、灌漑システムがいっそう発展しました。さらに1962年にアルジェリアが独立してからは、近代化の波を受けて生活環境は大きく変わりました。高低差がある狭い路地では荷物の運搬にはロバが重宝されていましたが、現在ではロバを見かけることは少なくなり、オートバイが住民の足となっています。家々の屋上には衛星放送受信用のパラボラアンテナが立ち並び、景観にも変化がみられます。けれども、千年前から受け継がれた人々の暮らしを貫く宗教的な精神に、変わりはありません。

(文責 藤山みどり)

●参考資料:
  • 私市正年『北アフリカ・イスラーム主義運動の歴史』白水社2004年
  • 下中弘編『イスラム事典』平凡社1982年
  • 後藤明『ビジュアル版 イスラーム歴史物語』講談社2001年
  • 私市正年編著『アルジェリアを知るための62章』明石書店2009年
  • Djilali SARI “LE M’ZAB” Editions ANEP ,2014
  • ユネスコ公式サイト http://whc.unesco.co.org/en/list/188
  • アルジェリア文化省「ムザブの谷」保護宣伝局公式サイトhttp://www.opvm.dz/
※1 カリフについては、高尾賢一郎先生による寄稿コラム「『宗教』的観点から見た『イスラーム国』とは?」も参照のこと。
※2 ルスタム王朝は777~909年などの説もある。