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「ユダヤ人の歴史—迫害の克服と信仰の保持—」 黒川知文先生(ユダヤ教編)

 ご紹介にあずかりました黒川であります。今日はユダヤ人の歴史についてA.D.70年から1948年までの約1800年間をなるべくわかりやすくまとめてみていきたいと思います。
 

ディアスポラのユダヤ人

 ディアスポラとはギリシャ語で「離散」を意味し、離れ住んでいる状態のことです。ユダヤ史の中で最も重要な年代であるA.D.70年に、ローマ帝国の圧倒的な軍隊によってエルサレムの神殿が崩壊します。135年には、ユダヤ人はローマ帝国によってエルサレムから追放されます。ということは、135年から1948年に今日のイスラエル国が樹立されるまで、彼らは全世界へと離散状況にあったということです。ドイツ以来のユダヤ人をアシュケナズ系ユダヤ人、スペインのユダヤ人をセファラド系ユダヤ人と呼びます。
 

中世から宗教改革期におけるユダヤ人

宗教的反ユダヤ主義】
 西欧の中世から宗教改革期において、ユダヤ人はどのような歴史をたどったのでしょうか。

 中世の反ユダヤ主義は宗教的なものです。これは「ユダヤ人は神の子であるキリストを殺した。だから、ユダヤ人は神の敵だ」と考え、ユダヤ人は悪魔だとする迷信によるものですが、聖書はそのようなことは言っておりません。
 また、この中世の社会には封建制度があります。この制度は、基本的にはキリスト教に基づいています。従ってキリスト教徒でないユダヤ人は差別され、社会階層的には最も下の階層に属していました。では、ユダヤ人はどのようにして生活したのでしょう。中世のユダヤ社会には三つの特徴があります。第一に、封建制度から除外されたのでユダヤ人は土地を所有できませんでした。
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図1 中世後期のユダヤ文化圏(黒川知文『ユダヤ人迫害史』)

 土地を持てませんから、ユダヤ人は農業ができません。従って第二に、ユダヤ人は商業活動あるいは知的活動、そういった目に見えないものを扱う仕事をせざるをえなかったのです。ですから、中世後期、裕福になったユダヤ人への嫉妬心などがユダヤ人に対するさらなる迫害の原因となっていきます。第三に、ユダヤ教がユダヤ人を結びつけるものでありました。
 ユダヤ人は王に直接繋がって、税金としてお金を払います。このことを「ユダヤ人の隷従」と言います。これを念頭に置いて、中世の「宗教的反ユダヤ主義」のいろいろなパターンを見ていきたいと思います。

●血の中傷事件

 15世紀のドイツの木版画にも描かれていますが、「ユダヤ人たちがキリスト教徒の子供シモンを誘拐して彼を殺し、血をお皿に乗せて儀式に使った」という噂が広がり、ユダヤ人が殺されていきます。民衆がユダヤ人を迫害していったのです。キリスト教徒であるシモンの血、つまりイエスの血に繋がる尊い血をユダヤ人は汚したというわけです。この事件はキリスト教文化圏全土に広がりました。
 中世のユダヤ人は、閉鎖的な共同体を営んでおりましたから、偏見もあってこのような噂を生むようになったと考えることができます。
 
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  図2 血の中傷事件
 15世紀ドイツの木版画で、幼児のシモンの身体からユダヤ人が血を抜き取っていることを示す。ユダヤ人は円形バッヂを着用している。(Encyclopedia of Judaica 〔Jerusalem, 1971〕)
 

●聖体冒涜の中傷事件

 聖体とされたイエスの体をあらわすパンをユダヤ人が盗みシナゴーグでそのパンを剣で突き刺して冒涜したら、パンから血が出てきたとか、天使が出てきたとかそういう噂がありました。事件後、その村中のユダヤ人が処刑されました。1480年のドイツの物語絵には、実際に起きたことが描かれています。この事件もドイツを中心に西欧に広がりました。   201403161407_1.jpg
   
図3 1480年ドイツの物語絵(黒川知文『ユダヤ人迫害史』)


黒死病とユダヤ人追放令
 中世の最後にして最大のユダヤ人に対する迫害、それが「黒死病(ペスト)とユダヤ人追放令」です。1347年から50年にかけて、中世ヨーロッパでは、少なくとも人口の約3分の1がこのペストの犠牲者になったといわれています。
 当時は医学が発達しておりませんから、ペストの原因として大気汚染説、死神説、魔女説、ネズミ説などがありました。
 その中で「ユダヤ人が井戸に毒を盛ったから死んだんだ」とするユダヤ人説があります。ユダヤ人にはこのペストの犠牲者が少なかったからです。中世後期のユダヤ人は裕福でしたからペストを予防でき、ユダヤ人の戒律である食事規制が健康を保つ一因となったのです。「なぜ、ユダヤ人の犠牲者が少ないのか。ユダヤ人のせいだ」として、実際に多くのユダヤ人が殺され、また追放されました。
 その他十字軍による虐殺など、中世では、いずれも宗教的な迷信に基づいた反ユダヤ主義的事件が数多くありました。
 

【宗教改革と西欧ユダヤ人の同化】

新たなプロテスタント勢力
 16世紀の宗教改革で様子が変わってきます。まず、それまで「カトリック教会」対「ユダヤ人」だったのが「カトリック」対「プロテスタント」という宗教戦争が起き、1648年のウェストファリア条約まで宗教戦争が何度もくり広げられて同じキリスト教徒同士が殺し合っています。

反ユダヤ的傾向が弱化
 もしこの時代にわれわれがいたら、やはりキリスト教が嫌になりますよね。それが啓蒙主義の発生につながります。
 「神は天地を創造した。それ以降は人間の理性が歴史社会を支配する」という理神論は、啓蒙主義の宗教理論であり、フランス革命の運動理論となり、最終的には、無神論となっていきます。
 こういった流れを「世俗化」といいます。つまり「脱宗教化」でありますから、ユダヤ教とキリスト教という区別が明確でなくなって、宗教改革以降は反ユダヤ的な傾向が弱化しております。
 

解放と反動

【西欧ユダヤ社会:ユダヤ人の同化傾向】

ハスカラー運動の展開
 ユダヤ社会は近代から今日にかけて、西欧と東欧では非常に対照的であり異なる歩みをします。
 まず、西欧ユダヤ社会では18世紀以降「ハスカラー運動」が展開し、多くのユダヤ人がキリスト教に改宗して「同化」していきます。これはドイツのユダヤ人である、モーゼス・メンデルスゾーン(1729~1786年)が提唱したユダヤ社会内部の啓蒙運動で、ユダヤ人もキリスト教文化を受け入れていこうとするものです。

ユダヤ人の解放
 そういった中で、それまで最下層民として差別されていたユダヤ人に西欧近代になると市民権が与えられます。これを「ユダヤ人の解放」といいます。歴史上最初にユダヤ人が市民権を得たのが、フランス革命の「人権宣言」以後です。反ユダヤ主義が最も強かったドイツにおいてもユダヤ人の解放が1871年に実現しています。

近代的反ユダヤ主義
①反ユダヤ主義の再燃
 ここで興味深いことに、世界史上、謎とも言える現象が起きます。やっとユダヤ人に市民権を与えたドイツで、その数年後、近代的な反ユダヤ主義が再燃するのです。
 まず、進化論に基づく民族理論によりユダヤ人は劣等民族にみなされます。また、「一民族一国家論」から言えば、ユダヤ人は国家を形成せずドイツ人ではない。そういう排他的民族主義によっても、再びユダヤ人が差別されます。
 それから貨幣経済にうまく乗った裕福なユダヤ人が多くおりますから、社会主義者からも「ユダヤ人資本家は革命の敵だ」として再び19世紀の後半、まずドイツで血の中傷事件が生じ反ユダヤ主義が再燃しフランスでもドレフェス事件が起きました。

②東欧ユダヤ人の流入
 1881年以降、東欧とロシアではユダヤ人暴動(ポグロム)によってユダヤ人が迫害されて、東欧からユダヤ人が西欧にどんどん流入してきました。このことがさらに西欧における反ユダヤ主義に拍車をかけます。なぜか。東欧系ユダヤ人は伝統的な服を着ているんですね。西欧でやっと市民権を得て同化したのに、東欧からぞくぞくと帽子を被ってヒゲを伸ばし、黒いフロックコートを着た明らかに他の人種とは違う異様なユダヤ人の一群が来るわけです。それがかえって、西欧の近代的反ユダヤ主義を強めていったのです。

③ホロコースト
 ヨーロッパでは第二次世界大戦中に、ナチスドイツによるホロコーストでユダヤ人の約8割が犠牲になりました。
ホロコースト以前の1941年のユダヤ人口は約870万人でした。そしてホロコーストで1945年までに殺されたユダヤ人の数はおよそ520万人。実際には病気や飢饉でさらに約100万人ものユダヤ人が死亡していますので、600万人以上が殺されたと推定されます。
 特に、東欧のポーランド、ルーマニア、ブルガリア、ユーゴスラビアではユダヤ人の9割近くが殺されています。
それに対して西欧のイタリアでは約9000人、フランス、ベルギーでも犠牲者数は東欧に比べては少ないです。虐殺がいちばん少ないのは約100人のデンマークで協力してユダヤ人を船で逃がしました。
 このように、東欧のユダヤ人の大半がホロコーストの犠牲となったのです。彼らは宗教的なユダヤ人でした。
 

【東欧ユダヤ社会:ユダヤ人の排他的傾向】

ハシディズムの展開
 西欧では「ハスカラー運動」の結果、「同化」傾向にありました。しかし、東欧では「排他的」傾向にありました。
 どう違うのか。それが「ハシディズム」の展開です。これは、思想家のイスラエル・ベン・エリエゼル(1700?~1760)が提唱し、東欧に広がったユダヤ教の神秘的宗教運動です。特徴は万有在神論による「身体を用いる礼拝」と喜びの強調にあり、集団ダンスの熱狂状態の中で神体験をするというものです。
 この運動は排他的で「同化」を拒否します。ですから、東欧ユダヤ人社会では、彼らの閉鎖的な共同体と「ハシディズム運動」というこの宗教運動によって近現代においても排他的傾向のままだったというわけです。
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図4 1941年から1945年にかけてのユダヤ人の根絶
 各国の上の数が1941年におけるユダヤ人人口。
下の数が1945年までに殺されたユダヤ人の最低推定数。
餓死者、病死者の数は推定100万人。
 

【近代におけるユダヤ社会の対応型】

 近代においてユダヤ人社会はどのように対応したかということを、私なりに4つの型にまとめてみました。
 まず「同化型」です。キリスト教に改宗してユダヤ人としてのアイデンティティを捨てたという型ですね。西欧のユダヤ人にあてはまります。宗教戦争、宗教改革、ハスカラー運動によってどんどん同化して、特にドイツのユダヤ人が繁栄しました。
 2番目は「国家内国家型」です。これは「同化」を拒否し、ユダヤ人の国家的組織を異邦人の国家の中に建設する型で、特にポーランド、そしてロシア、ウクライナも含めて東欧があてはまります。
 3番目は「革命運動型」。非ユダヤ人の国に同化して、そこで革命を成功させることによってユダヤ人の市民権を得る型で、ロシアとハンガリーがこの型です。
 それから4番目は「シオニズム型」で、ユダヤ人の国家を他の領土に建設しようとするものです。ホロコーストを生き延びたユダヤ人は、1948年にイスラエル国を樹立します。
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図5 4つの型のチャート
 

シオニズム運動の展開

 パレスチナにユダヤ人の国家を作ろうという運動のことを「シオニズム運動」といいます。「シオニズム」という名はエルサレムの「シオンの丘」からきています。この運動には5つのパターンがあります。

 ①「宗教的シオニズム」は、「メシア(救世主)が現れて預言者エリヤの吹く角笛により全世界から離散ユダヤ人が集められ、エルサレムにメシアを王とする国が出現する」というものです。
 ②「精神的シオニズム」の中心的人物はアハド・ハアムという東ヨーロッパのユダヤ人です。国家ではなくユダヤ民族の精神的文化的復興を願う特定の人々だけがパレスチナに移住してユダヤ人の精神的センターを作るというものです。
 ③「政治的シオニズム」は、ドイツの思想家モーゼス・ヘス(1812~1875年)が、その著書『ローマとエルサレム』で提唱しました。そして、テオドール・ヘルツル(1860~1904年)が、ドレフュス事件をきっかけにユダヤ性に目覚め、1896年に『ユダヤ人国家』というドイツ語の本を書きます。彼は「50年以内にユダヤ人は国家を持つであろう」と予言して、ほぼ50年後にイスラエルの国家が誕生しました。政治的外交手段によって、合法的にユダヤ国家が創設されたのです。
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図6 エルサレムのメシアの入城図:離散ユダヤ人が集まっている。
(1609年 ベニスのハガダーより)
 ④「社会主義シオニズム」はロシアのユダヤ人であるナフマン・スィルキ(1868~1924年)の主張によるものです。彼は、ロシア革命を経験し、社会主義によるユダヤ国家をパレスチナに創設しようと考えました。
 ⑤「反シオニズム」は、「ユダヤ民族自治主義」とも言います。シモン・ドゥブノーフ(1860~1941年)というポーランドのユダヤ人の歴史家が「ユダヤ人は精神的国家をすでに樹立しており、領土を伴う国家を持つ必要はない」と主張して、シオニズム運動に反対しました。
 以上の5つのシオニズムの中で歴史的に成就したのは、国連の決定により実現した「政治的シオニズム」、そしてキブツと呼ばれる社会主義的期待の建設において実現した「社会主義シオニズム」です。ユダヤ人は精神的国家をすでに樹立しております。今日のアメリカがそうで、2008年の人口調査ではユダヤ人が530万人おります。アメリカのユダヤ人が経済的にもイスラエル国を支えています。したがって「ユダヤ民族自活主義」も歴史的に実現しているといえます。
 

歴史の教訓

【ユダヤ人は迫害をいかに克服し、信仰をいかにして保持したのであろうか】
 最後に今日のまとめとして「歴史の教訓」として学ぶべきことについてお話しします。ユダヤ人はすでにお話しましたように四つの「近代におけるユダヤ社会の対応型」で迫害を克服してきました。「同化型」「国家内国家型」「革命運動型」「シオニズム型」ですね。それでは「ユダヤ人は信仰をいかにして継承、保持したのか」を考えてみましょう。四つのユダヤ社会の対応型で再び見てみますと、「国家内国家型」において様々な迫害や苦しみはあるけれども、その中で東欧のユダヤ人は自分たちの信仰を保持・継承しました。
 ポーランドやロシアなど迫害があるところのユダヤ人は、宗教を継承しているんですね。人生の苦境や試練、そういったものを経験して信仰は深まり保持される。宗教には苦難によってアイデンティティを得るところがあります。
 ユダヤ人はまた、聖書を徹底的に自分のものとしています。ユダヤ教礼拝では、聖書の巻物を神であるかのように重んじます。ユダヤ教、キリスト教は、聖書を神の言葉と信じ徹底的に読み、覚えるのです。
 苦難の経験と聖書への信仰。私は、この二つがユダヤ人が信仰をいかに保持してきたかの背景にあると考えます。

 今日はユダヤ人の歴史について、国を追放され離散してからの迫害とその克服、そしてどのようにして信仰を保持してきたのかをお話ししました。ご清聴ありがとうございました。
 
(平成25年10月14日、東京・千代田区にて)
【黒川知文先生】
 愛知教育大学教授。歴史学者。牧師。東京外国語大学ロシア語学科、同大学大学院修士課程を経た後、1980年にイスラエル・ヘブライ大学に留学され、1983年に一橋大学大学院博士課程修了、1985年にイェール大学大学院博士課程を経て1995年に東京大学大学院博士課程宗教学宗教史学専攻を修了(文学博士)。専門はユダヤ史、ロシア正教史、日本キリスト教史など。1995年大畠記念学術研究奨励賞受賞。『ユダヤ人迫害史―繁栄と迫害とメシア運動』(教文館)、『西洋史とキリスト教』(教文館)、『―神教文明からの問いかけ―』(講談社)、『歴史観とキリスト教』(新教出版社)、『内村鑑三と再臨運動』(新教出版社)、『ロシア正教のイコン』(創元社)など著書多数。